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2005年05月02日
4年目に当たって-師匠のお言葉-
皆さんこんにちは。このサイトも4年目を迎えることになりました。開設当時からごらんいただいてる方も、最近見付けて頂いた方も本当にありがとうございます。管理人も先週の寒さから風邪を引いてしまいましたが、人手不足で休むことも出来ず、葛根湯を飲みながら、病院に出ています。こういうときに限って、移植や当直が続くものです。
さて、アメリカでよく感心することには、みな躊躇無く質問することがあります。これは、病棟でもそうですし、国立公園のパークレンジャーに対してでもです。で答える方も、小さな子供から去れた、ちょっと間抜けな質問でも、丁寧に答えてあげて、けっして「そんなばかげた質問をするな。」ということはありません。また、逆に質問しなければ「熱心でない。」として悪く評価されることになるようです。質問する側にとっては難しいことなのかもしれません。その辺はおおらかにしたいものです。
研修先病院の一つとして、海外の病院も選択肢の一つに入れば、それだけ広がりを持つことになります。海外の病院も、日本の病院も言葉が違う以外は何も変わることはありません。同じように人がいて、人生があって、藤枝の研修病院のボスがよく言っていたように「感動」があります。そう思ってそんな、一研修病院の様子をお知らせしてきましたが、いかがでしょう。
移植医療に関しても、いかに移植医療が普通の医療の一部かということをお伝えできればと思っています。移植医療といっても、他の治療と同じように患者さんが日常の生活を取り戻すための治療の一つで、当たり前のように行われています。ダラスのボスの退院時の決まり文句も「Enjoy your Life!.」でした。
臓器の提供に関しても、そこには寄付という高貴な志に基づいて行われています。日本での論調はすぐに「脳死を死と認めるか」との方向に向きがちですが、これは、「あなたは地球が回っているのを信じますか?」といっているようなものです。脳死は現代科学の作り出した人工的な死です。科学技術がなければ脳死は生まれてきません。これは、科学がなければ地球が丸いとか、まわっているとかを計測できないのと同じことです。
あくまでも、科学は人間に使えるもので、寄付をするという志と、それで助かる命や生活があって、脳死はそれを結びつけるためのものでしかありません。それなのに、すぐに議論が技術論になってしまうのは嘆かわしいものです。
宗教団体が「脳死を死と認めない。」というのは結構なことです。彼らが、進化論を信じないや、地球は平面の上にあるということを信じないのは仕方がないことです。
しかし、科学のもとで働く医師や看護士が脳死に関する知識がないのは残念なものです。
病院付けの研修生活でしたが、アメリカでは休みが多く取れることもあって(ダラスは3週間、マイアミは4週間)さんざん旅行には行かせてもらいました。学生時代に実習に行ったアイオワ大学の小児外科のボスのせりふに、「自分の人生を楽しんでいないものが、他人の人生を楽しませることは出来ない。」というのがありました。その点、研修、休暇ともさんざん楽しませてもらったので、申し分はありません。
いずれにせよ、葛根湯も残り三日分となった今日この頃、管理人もそろそろ日本に戻らなければなりません。まあ、今後は日本の病院の状況や、旅行やオタクの話しが中心になることでしょう。それではまたしばらくおつきあい下さい。
投稿者 管理人 : 2005年05月02日 20:55
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