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2005年06月27日
ケニア先生の手紙
ケニア先生のあとの、新しいインターンが来ています。しばらくは、見習いなので管理人が病棟業務を教えることになります。まあ、今まではケニア先生に頼りっきりだったので、前の病院で字の汚さベスト10に入った管理人としては、オーダーを書くのがきついところです。(看護婦さんにとってね。)
ケニア先生は病棟へ、感謝の盾を残していきました。こういうところはなかなか粋なところです。
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2005年06月26日
さよならケニア先生
ケニア先生は、今日で仕事納めです。彼女のおかげで、本当に助かりました。非常に残念です。外国人が正規のレジデントコースにはいるのは大変なことですが、それを成し遂げました。優秀な彼女なら、これからオーランドでも、一生懸命がんばることでしょう。
投稿者 管理人 : 21:58 | コメント (0) | トラックバック
いま会いにゆきます
マイアミは、ここ一ヶ月近く雨が降る日が続いています。スコールのような雨が降るのではなくて、日本の梅雨のようなじめっとした日が毎日続きます。エバーグレーズを控える土地ですから当然といえば当然なのですが。
やっとマイアミが冬の間の避寒地であって、夏の間に人が来ないというのがわかりました。これでハリケーンでも来た日には最悪ですね。
さて、今クールの連続ドラマは当たりものが多いですね。続編となって安定した「離婚弁護士2」と「あねご」最近はこの二つにはまっています。
さて、最近は天気も悪いので出かけることも出来ないですし、今月末の学会までに発表の準備をしないといけないので、今日は引きこもりです。
そんなときは、日本に持って帰れないお気に入りのドラマの総集編を鑑賞です。今日は「世界の中心で愛をさけぶ」を流しているのですが、何回見てもいいドラマです。話しの構成も良くできていてロケ地もいいですね。同世代だということも共感できることなのでしょうか。
最後のテロップも
1987年 ぼくはたった一人の大好きな人の命を
救うことが出来ませんでした--
2001年 日本骨髄バンク設立
から
1987年 僕らに出来ることは、
あまりにも少なすぎました。
2001年 日本骨髄バンク設立
そして最終回の
2004年 今なら、血液難病の人を
救えるかもしれない。
2001年 日本骨髄バンク設立
それと共に、昨年同様にはやった「いま、会いにゆきます。」を未だ手に入れていません。 ヤフーで梅雨の季節の映画として紹介されていたので、是非見てみたくなりました。7月からはドラマにもなるようですね。ちょうど帰国時期と重なるので、こちらもしばらく見ることが出来ませんね。
英語のテレビを見るのが一番の英語上達に秘訣だとわかっていても、日本語のテレビしか見ないので、いつまで経っても上達しない管理人でした。
投稿者 管理人 : 06:23 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月24日
陽佑ちゃん移植報告(手術後163日目6/7)
陽佑君のお父様が日本に帰国するに当たって、病棟まで挨拶に来てくれました。小児移植外科のオフィスの後に、病棟まで上がって、看護婦さん達と久しぶりの再開です。今日の陽佑君はずっと眠り続けていましたが、みんな元気になった陽佑君をみて喜んでいました。
未だしばらくは、こちらでの療養が必要になりますが、帰国の日はそう遠くないでしょう。
投稿者 管理人 : 05:33 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月23日
再会
管理人はここのところすっかり体調を悪くして、病院のオフィスで寝ている状態でした。入院といえば入院でしょうか。
さて、齋藤陽子さんも無事に日本に到着されたようですね。長旅大変だったことと思います。
投稿者 管理人 : 09:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月20日
陽佑ちゃん移植報告(手術後156日目5/31)
陽佑君も久しぶりの内視鏡です。今日は、ルナちゃんも一緒に来ています。もう残り少ない、ケニア先生も来てくれました。お父さんとお母さんは内視鏡にかかりつきなので、ルナちゃんはちょっと退屈かな。
投稿者 管理人 : 05:53 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月11日
陽子さん移植報告(手術後135日目)
齋藤陽子さんはいよいよ6月9日に帰国ということになりました。ご両親と一緒にわざわざ小児移植外科のオフィスまで、いらしてくれました。帰国後は、母校での講演など、いろいろな活動が待っていることだと思います。
最後に、彼女の日記の中から一節。
「これからも全く心配はいらないとは言えないが、臆せず肩の力を抜いて今まで出来 なかったことを取り戻せるよう自分のために生きること」も私のこれからの目標であ ることを教えて下さいました。
今まで病気のために諦めていたものに挑戦することができる可能性を私は移植医療と ドナーによって与えられました。
可能性だけで終わらせないためにも感謝することを忘れず、努力し怯まず行動するこ とがこれからの私の人生の目標です
投稿者 管理人 : 07:50 | コメント (106) | トラックバック
2005年06月08日
バハマへ行こう
買い物からの帰りの途中、同僚から「ドナーの手術に行ってくるからオンコールを変わってくれる。」という電話が入った3分後、ドナーデスクからまた電話が。「上野先生今から空港に行ってもらえます、それからパスポート番号を教えて。彼は、ビザが切れたから行かれないの。」
というわけで、はじめてバハマに行くことになりました。海外では初めての手術です。
パスポートとDS2019を手にして空港へ。プライベートの飛行機では、パイロットが必要書類を調べるようです。一応、バハマもフロリダ州と同じリージョン3に属していて、同じようにドナーの提供を受けることになっているようです。
今日は、あいにく悪天なので、眺めは今ひとつ。数時間の滞在でも、ちゃんと入国の書類を書かないといけないのですが、バハマの入国の書類はまるでホテルの評価表のよう。さすが観光立国のようです。
バハマの空港に着くと、通常と同じように入国と、通関をすませます。入国のスタンプには滞在期間1日と記されました。
なかなかこない救急車を待って病院へ。久しぶりに左側通行の道をとばすのですが、サイレンに車が止まらないので結構スリルがあります。
さて、バハマの病院はほとんどアメリカの病院と変わりませんでした。英語が公用語なのでマイアミよりはアメリカらしいかもしれません。
手術を終えた後は、すぐに帰国。General Aviationの小さなプレハブ小屋にも、一応入国審査があって、新しいI-94と指紋、顔写真が必要になります。どうもここの審査官は慣れていなくて、こちらがいちいち説明しなければなりません。危うく前のI-94をそのままにされるところでした。
投稿者 管理人 : 05:34 | コメント (12) | トラックバック
2005年06月07日
MISS ME, BUT LET ME GO
When I get to the end of the road
And the sun has set for me
I want no lights in a gloom filled room
Why Cry for a soul set free.
Miss me a little
And not with your head bowed down low
Remember the love we share
Miss me, but let me go.
For this a jouney that we all must take
And each must go alone
It's all a part of the Master's plan
A step on the road to home
When you are lonely and sick of heart
Go to the friends we know
And bury your sorrow in doing good deeds
Miss me, but let me go.
投稿者 管理人 : 22:50 | コメント (4) | トラックバック
THEIR JOURNEY HAS JUST BEGUN
Don't think of them as gone away,
their journey has just begun.
Life hold so many facets,
this earth is only one.
Just think of them as resting
from the sorrows and the tears,
in a place of warmth and comfort,
where there are no days and years.
Think of how they must be wishing
that we could know today,
how nothing but our sadness
can really pass away.
And think of them as living
in the hearts of those they touched
for nothing loved is erer lost
and they were loved so much.
投稿者 管理人 : 22:04 | コメント (51) | トラックバック
Shall reach you from the stars
移植後になくなられた患者さんの、病棟での送別会が先日開かれました。未だ2歳でした。最後はお母さんに抱かれながら、短い生涯を閉じました。
病棟での送別会はいつもカンファレンスに使われている部屋に、医師や看護師を集めて行われました。患者さんの元気なころの写真と、寄せ書きを釣り下げた風船、子供の好きだった音楽をかけて病院での最後のお別れを告げます。このような準備は子供の病棟での生活を手助けしている保母さんの役目をしている Child Livingの部署の方が行ってくれます。
患者さんのご両親に、看護師などから、最後のお別れの詩が送られます。こちらで、その詩を紹介致します。
投稿者 管理人 : 05:44 | コメント (965) | トラックバック