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2005年07月17日
学会へ行こう ブルッセル編 その5
今日はアムステルダムへ移動です。航空運賃がアムステルダムの方が安いので、アムステルダム経由の人は日本人でも多かったようです。
長居したB&Bにお別れを告げて、ブルッセル南駅まで
こちらはユーロスターやTGVも発着する、ブルッセル最大の駅です。アムステルダムまで超特急のタリスに乗ってみたかったのですが、すでにかってしまったアムステルダム行きのチケットが変更できないとのことで、そのままインターシティーでアムステルダムへ向かいます。かかる時間は30分も違いません。
アムステルダムはなんと言っても東京駅がお手本にした駅。とは言っても東京駅とは比較にならないくらい立派です。駅前のインフォメーションで、ホテルを探しますが、ここでは余りやすい宿は見つからないようですね。バックパッカー系の宿は、自分で歩いて探した方が良さそうです。そんなわけで、普通のホテルを紹介してもらって、チェックインをした後に街へ出かけます。
アムステルダムの街は運河が張り巡らされてあって本当に美しい街です。今度はゆっくりと来てみたいものです。
さて、今日はアンネの家に出かけていきます。この夏の旅行のテーマは「アンネの足跡をたどって」ということにしたので、アンネが日記を書いた隠れ家のこの家、そして8月には生まれ育った街のフランクフルト、そして、ポーランドのアウシュビッツ=ビナケナウを訪れる予定です。
ドイツから逃げてきたアンネはこのアムステルダムで、捕らえら、アウシュビッツ=ビナケナウへ送られるまで潜伏生活を送っていました。その時の模様を綴った日記が、皆さんもよくご存じのアンネの日記です。ホロコーストでは600万人の”アンネ”がその人生をみじんにもふみにじみられたわけです。一人の命を助けるだけでも苦労している身としては、600万人という数が、想像も出来ません。
「この忌まわしい戦争もいつか終わることでしょう。いつかはきっと私たちがただのユダヤ人でなく、一個の人間となれる日が来るはずです。」
アンネの家では日記の引用からこの文章が最初に記されています。この事実は、遠い世界の話しでも、遠い昔の話しでもありません。
投稿者 管理人 : 2005年07月17日 09:29
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