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 こちらで報告する患者さん、ご家族の情報また写真に関しては、患者さんご両親より掲載依頼、許可されたものを管理人が掲載しています。
日本における刑法134条、米国におけるHIPAAのガイドラインより、患者さんの状況に関して管理人はいっさいお答えできませんのでご了承下さい。


6月28日  学会へ行こう ブルッセル編

 さて、今日から学会です。飛行機は夕方の飛行機だったのですが、早朝からプレゼンテーションの練習、その後回診をした後は、早々に帰宅してぎりぎりまでスライド作成。ベルギーには一度も行ったことがないので、一応、トラベラーズチェックの作成と、電源の変換アダプターの購入とあっと言う間に時間が過ぎます。空港に行く前に、残りのポスターも病院で拾って、急いで向かいます。今回はポスターを8枚も持って行かないといけないので、筒も2本。すっかり運び屋です。
 マイアミ空港からはアメリカン航空でロンドンへ。マイアミはアメリカン空港のハブなので、便利なのですが、アルコールが有料なのが玉に瑕です。でも、今日の機体は777で、足元も広く、ロンドンまでは原稿の準備をする間もなくて爆睡です。隣の紳士は地学の研究者で、こちらが地球の歩き方しか見せていないのに「おまえはScientistか?」と聞いてきました。彼もロンドンで学会発表があるのですが、今日飛行機の到着と共に、午後には発表があるそうです。同じくVAIOで一生懸命準備をしていました。こちらも彼より小型のVAIOでスライドを作りたかったのですが、VAIOのバッテリーが3分しか持たないので、やっぱり爆睡です。

 ヒースロー空港へは定刻通りに到着。この空港のわかりにくいこと、わかりにくいこと。狭くて案内が悪くて、また、ターミナルを映るのにもバスで、結構不便な空港です。ロンドンからアムステルダム行きの英国航空のゲートの表示が出発時刻になってもでなくて、マイアミからの家族連れと共に不安になっていまいした。

 アムステルダム行きは30分程度送れて出発。この便には結構日本人が乗っていました。1時間程度のフライトなのに一応軽食がでます。アメリカの航空会社では考えられないですね。

 さて、飛行機は2時半頃にアムステルダムに到着。このスキポール空港は評判通り非常にきれいな空港で、空港全体がモールのようです。何かヨーロッパの香りがしてきます。空港の構内に国鉄の駅があって、そちらでブルッセル行きの列車に乗ります。ブルッセルまでは30ユーロほど、自動販売機でも購入することが出来ます。
 3時40分の列車でブルッセルへ向かいます。飛行機と違って、せまっこくない上に車窓からオランダの町並みも見渡せてなかなか快適で。KIOSKEの車内販売もまわってきます。

 列車は6時20分にブルッセル北駅に到着。ところが困ったことはB&Bの場所を調べてこなかったことです。駅の構内にインターネットカフェがあったので、こちらで調べても出てきません。ちなみにこちらでメールのチェックもします。ここのカフェでは電話も使うことが出来ます。ちなみにインターネットは0.05ユーロ/分です。
 雨も降ってきて結局場所がわからないので、タクシーで向かいます。タクシーが止まったところは住宅地の中です。何にも標識がでていません。雨も降っていてもし間違っていたら泣きそうです。タクシーもその場合に備えて未だ外で待っていました。しかし、ベルを鳴らすと大家さんが出てきました。8時前にやっと、宿にたどり着き毎した。
 さて、ここのB&Bはほんとに民家の一部屋を借ります。大家さんと娘が住んでいて、娘と大家の部屋の並びの2回の3畳程度の部屋を貸してくれました。鍵を借りて、キッチンやトイレの使い方を教わります。かなり驚きましたが、「今晩お部屋を貸して下さい。」なみに、全く普通の民家に部屋を借りるのです。このあたりはイギリスのB&Bよりもより普通の家に近いようです。
 「ブルッセルの普通の生活を知りたい。」という方にはいいかもしれませんが、プライバシーがほしい方には全く向きません。ホームステイと何にも変わりません。(管理人はしたとがないけれど。)


6月26日  日本人の看護学生

 管理人が小児ICUで患者さんを見ていると。「日本人の方ですか?」との声が。この病院の隣に看護学校があって、そこの学生さんがよく実習に来ているのですが、その中に日本人の学生さんがいたのでした。
 彼は、元々バイオリニストだったそうですが、今は、看護士になるべくこちらで勉強しているそうです。管理人も日本人の看護学生さんには、初めてで会いましたね。

 さて、相変わらず、学会前になると風邪を引いてしまいます。日本に帰る前に見学に来ていた方の葛根湯を相変わらず飲んでしのいでいますが、もうすぐ飛行機に乗って休めるので、もうしばらくの辛抱です。

 さすがに、初日の泊まる場所は決めないといけないだろうとのことで、ブルッセルのB&Bに予約を入れます。最近は便利なサイトもあるようです。今回はアムステルダム空港から、陸路でブルッセル行きなのですが、ヨーロッパに行くのも久しぶりなので少々不安なところです。電源のコネクターも手に入れないといけないし、通信状況などもいまいちよくわかりません。


6月25日  去るも・・ 残るも・・

 病棟で一年目のフェローとすれ違ったら、30日には国に帰るとのこと。さすがに、少し寂しそうでした。彼女のビザが更新されないので、フェローの途中にもかかわらず、国外脱出をはからなければなりません。去年の管理人と、同じ状態です。
 昨日も、今日もパーティーがあるのですが、当科の見習いインターンは、昨日の彼の主催したパーティーにどうしてぼくが来ないんだ。としきりに言っています。誰のおかげで、24時間7日間当直だと思っているんだい?まあ、彼は見習いだから彼のせいではないのですが...
 学会ももう間近に迫っているのですが、準備がまだまだです。特に、前のインターンの先生、抄録だけ送って、「さ・よ・お・な・ら」です。まだまだ、必死にデータ解析をしている状態ですから、かなりしんどいです。
 そんなときに限って、牛乳を、デスクトップと、バイオの上にばらまきます。管理人はよくコーヒーをこぼして、VAIOのキーボードは洗っているのですが、今日は調子に乗って、デスクトップのキーボードをドライヤーで乾かしていました。ちょっと、目を離したら、すっかりキーボードはふにゃふにゃになっていまいました。結局、マイクロソフトキーボードはお釈迦です。
 まだ、航空券が取ってあるだけで、とまるところも決めていません。さて、どうしたものでしょうか。


6月23日  おいしいワインの作り方

 The Capital Grilleにて送別会。婦長いわく「ヤッピー」なワインセーラーの中で、小児移植から、腎移植までのサービス合わせての夕食会です。
 赤ワインをくぐらしながら、腎移植の先生のワインの作り方のスピーチです。

フェローはブドウ作りに似ています。
おいしいワインを作るにはまずブドウ作りからです。
いいブドウは接ぎ木(Transplant)をするところから始まります。良い土壌が大事です。
毎日、日光と、水、風が良いことを確認して、それからお祈りをすることも。でも一番大事なことはDdicdation です。
縦網に広がって、それから横網に枝を伸ばしていきます。たわわな実は、時にはしぼんだり、カビがついてしまったりすることもあるでしょう。

とユーモアを交えながら、フェローシップについて語ります。

 途中までアティンディングやフェローのことをギャグも交えてちゃかしながら勧めていきますが、最後には

「一番大事なのは毎日欠かさず、日当たりと、水と、風と、土のディテールに気を配ること、一日でも欠いたらおいしいワインは出来ないのです。」


 とやはり、赤ワインを傾けながら語ります。

 そういえば、管理人病棟から、感謝状の表彰をいただきました。こういうことはとても心に残るものです。ちなみに、もちろん一番はインターンのケニア先生です。
 ちなみに左は投票風景。秘書が管理人に投票するように張り紙を出してくれています。


6月22日  日本へ行ってきた

 薬剤師のマリアが、日本旅行から今日帰ってきて久しぶりに病棟で会いました。彼女が日本で感心したことは、
・ レストランのサンプルがすごい精巧で、注文したらほとんど同じものが出てきたこと。
・ どこの街角にも甘いもの屋(喫茶店のことか?)があるのに、みんなやせていること
・ 新幹線の速さ
・ 街のきれいさ
・ 大阪の人混み
・ 原宿の若者(お嬢さんだん)
・ 箱根の箱庭のような景色

 ただ日本はあまりにも遠かったようです。今は、管理人が、言葉の違うだけではなくて、いかに文化習慣の違う世界から来ているかを認識してくれました。

 全然話が違うのですが、リンクスタッフという医師の就職斡旋会社では、臨床留学者の帰国用の就職の世話までしているのですね。こういう会社というのはどん欲というか、まあすごいものです。 


6月20日  学会へ行こう 西欧編2

 4年目になる管理人のVAIO。今まで2年ごとに買い換えてきたのに非常に長く持たせています。ここでは、「さすが日本人いいコンピューターを持っているね。」で通っています。
 ところが、今日は全く起動しなくなって冷や汗をかきました。やはりそろそろ寿命が近いのですが、日本に帰るまでは持たせたいところ。来週の学会に行くまでに、発表の準備があるので、こんなところで、VAIOが壊れたらもう放心状態です。
 しかも病棟医は管理人しかいないので、24時間7日間のオンコールです。病院で、ポケベルフリーになったケニア先生とすれ違うと、すっかりつやつやとした元気そうな顔です。見習いのインターンもそんな管理人を哀れんでか、「英語の手直しなら手伝ってあげるから。」といってくれます。

 そんなわけで、メールのお返事が著しく遅くなっていますので、ご了承下さい。
 


6月19日  出張学会へ行こう 西欧編1 

 皆さんこんにちは。こういう仕事をやっていると、「出張」という響きにあこがれます。学会は、出張とはいわないし、もちろん、ドナーの手術に行ってきても、出張したとは言わないですね。やっぱり、学会というと半ば遊び勉強と言うことなのでしょうかね。
 さて、いよいよブルッセルの学会が今月前に迫ってきました。普通は?、学会といえば旅行がてらなのですが、さすがに今回は大ボスと管理人しか行かない、あんまり遊んでいられないかもしれません。忙しい中を行かさせてもらうのはとてもありがたいのですが、発表がたくさんあるのがちょっと困ったものです。今回はアメリカン航空なのでダラス経由となります。ダラスを訪れるのも久しぶりなので、こちらも楽しみなところです。ただ、今回に限っては管理人もさすがに準備が大変です。今回はアムステルダム行きの航空券を買っただけで、その後の宿泊も何も未だ決めていません。
 まあ、8月にもオーストリアで学会があるので、こちらのほうが旅行つきなので楽しみかもしれません。AAAのヨーロッパ地図を広げて、今から楽しみにしています。

陽佑ちゃん移植報告(手術後170日目6/14)(クリックすると拡大します)

  今日は内視鏡検査のために来院です。今日は、ルナちゃんと一緒にお出かけです。検査が終わる頃には、すっかり2人ともお休みです。
 経過は良好で、内視鏡の結果も問題はありません。


6月17日  さよならアンソニー

 ジュニアフェローのアンソニーが、プログラムを変わってニューヨークに行くことになりました。今日は、彼の家で送別会です。6月中は管理人しかオンコールをとれないのでちょっと顔を出すだけ。パーティーといっても楽しみが半減です。藤枝の駅前の居酒屋で飲んだくれていたのが懐かしいですね。


6月15日  USB ドライブ

 管理人も遅ればせながらUSBドライブを手に入れることにしました。今や、研究者の間では必需品とも言えるものですね。いままで、CFカードを使っていたのですが、リーダーがマックで認識されないという大きな問題があるので購入することにしました。しかし、こんな小さいと無くしそうですね。
 


6月14日  新しいインターンとケニア先生からの手紙

 ケニア先生のあとの、新しいインターンが来ています。しばらくは、見習いなので管理人が病棟業務を教えることになります。まあ、今まではケニア先生に頼りっきりだったので、前の病院で字の汚さベスト10に入った管理人としては、オーダーを書くのがきついところです。(看護婦さんにとってね。)
 ケニア先生は病棟へ、感謝の盾を残していきました。こういうところはなかなか粋なところです。


6月13日  さよならケニア先生

 ケニア先生は、今日で仕事納めです。彼女のおかげで、本当に助かりました。非常に残念です。外国人が正規のレジデントコースにはいるのは大変なことですが、それを成し遂げました。優秀な彼女なら、これからオーランドでも、一生懸命がんばることでしょう。
 


6月11日  いま、会いにゆきます

 マイアミは、ここ一ヶ月近く雨が降る日が続いています。スコールのような雨が降るのではなくて、日本の梅雨のようなじめっとした日が毎日続きます。エバーグレーズを控える土地ですから当然といえば当然なのですが。
 やっとマイアミが冬の間の避寒地であって、夏の間に人が来ないというのがわかりました。これでハリケーンでも来た日には最悪ですね。
 さて、今クールの連続ドラマは当たりものが多いですね。続編となって安定した「離婚弁護士2」と「あねご」最近はこの二つにはまっています。
 さて、最近は天気も悪いので出かけることも出来ないですし、今月末の学会までに発表の準備をしないといけないので、今日は引きこもりです。

 そんなときは、日本に持って帰れないお気に入りのドラマの総集編を鑑賞です。今日は「世界の中心で愛をさけぶ」を流しているのですが、何回見てもいいドラマです。話しの構成も良くできていてロケ地もいいですね。同世代だということも共感できることなのでしょうか。

最後のテロップも
1987年 ぼくはたった一人の大好きな人の命を
救うことが出来ませんでした−−
2001年 日本骨髄バンク設立


から
1987年 僕らに出来ることは、
あまりにも少なすぎました。
2001年 日本骨髄バンク設立


そして最終回の
2004年 今なら、血液難病の人を
救えるかもしれない。
2001年 日本骨髄バンク設立



 それと共に、昨年同様にはやった「いま、会いにゆきます。」を未だ手に入れていません。 ヤフーで梅雨の季節の映画として紹介されていたので、是非見てみたくなりました。7月からはドラマにもなるようですね。ちょうど帰国時期と重なるので、こちらもしばらく見ることが出来ませんね。

 英語のテレビを見るのが一番の英語上達に秘訣だとわかっていても、日本語のテレビしか見ないので、いつまで経っても上達しない管理人でした。


6月10日  再会

 管理人はここのところすっかり体調を悪くして、病院のオフィスで寝ている状態でした。入院といえば入院でしょうか。
 さて、齋藤陽子さんも無事に日本に到着されたようですね。長旅大変だったことと思います。

陽佑ちゃん移植報告(手術後163日目6/7)(クリックすると拡大します)


 陽佑君のお父様が日本に帰国するに当たって、病棟まで挨拶に来てくれました。小児移植外科のオフィスの後に、病棟まで上がって、看護婦さん達と久しぶりの再開です。今日の陽佑君はずっと眠り続けていましたが、みんな元気になった陽佑君をみて喜んでいました。
 未だしばらくは、こちらでの療養が必要になりますが、帰国の日はそう遠くないでしょう。


6月7日  諦めていた方に
陽子さん移植報告(手術後135日目)(クリックすると拡大します)

 齋藤陽子さんはいよいよ6月9日に帰国ということになりました。ご両親と一緒にわざわざ小児移植外科のオフィスまで、いらしてくれました。帰国後は、母校での講演など、いろいろな活動が待っていることだと思います。

 最後に、彼女の日記の中から一節。

「これからも全く心配はいらないとは言えないが、臆せず肩の力を抜いて今まで出来 なかったことを取り戻せるよう自分のために生きること」も私のこれからの目標であ ることを教えて下さいました。
今まで病気のために諦めていたものに挑戦することができる可能性を私は移植医療と ドナーによって与えられました。
可能性だけで終わらせないためにも感謝することを忘れず、努力し怯まず行動するこ とがこれからの私の人生の目標です。



陽佑ちゃん移植報告(手術後156日目5/31)(クリックすると拡大します)


 陽佑君も久しぶりの内視鏡です。今日は、ルナちゃんも一緒に来ています。もう残り少ない、ケニア先生も来てくれました。お父さんとお母さんは内視鏡にかかりつきなので、ルナちゃんはちょっと退屈かな。


6月6日  バハマへいこう

 買い物からの帰りの途中、同僚から「ドナーの手術に行ってくるからオンコールを変わってくれる。」という電話が入った3分後、ドナーデスクからまた電話が。「上野先生今から空港に行ってもらえます、それからパスポート番号を教えて。彼は、ビザが切れたから行かれないの。」
 というわけで、はじめてバハマに行くことになりました。海外では初めての手術です。
 パスポートとDS2019を手にして空港へ。プライベートの飛行機では、パイロットが必要書類を調べるようです。一応、バハマもフロリダ州と同じリージョン3に属していて、同じようにドナーの提供を受けることになっているようです。
 今日は、あいにく悪天なので、眺めは今ひとつ。数時間の滞在でも、ちゃんと入国の書類を書かないといけないのですが、バハマの入国の書類はまるでホテルの評価表のよう。さすが観光立国のようです。
 バハマの空港に着くと、通常と同じように入国と、通関をすませます。入国のスタンプには滞在期間1日と記されました。 

 なかなかこない救急車を待って病院へ。久しぶりに左側通行の道をとばすのですが、サイレンに車が止まらないので結構スリルがあります。
 さて、バハマの病院はほとんどアメリカの病院と変わりませんでした。英語が公用語なのでマイアミよりはアメリカらしいかもしれません。
 手術を終えた後は、すぐに帰国。General Aviationの小さなプレハブ小屋にも、一応入国審査があって、新しいI-94と指紋、顔写真が必要になります。どうもここの審査官は慣れていなくて、こちらがいちいち説明しなければなりません。危うく前のI-94をそのままにされるところでした。


6月3日  Shall reach you from the stars - 星空からあなたにとどくでしょう

 移植後になくなられた患者さんの、病棟での送別会が先日開かれました。未だ2歳でした。最後はお母さんに抱かれながら、短い生涯を閉じました。

 病棟での送別会はいつもカンファレンスに使われている部屋に、医師や看護師を集めて行われました。患者さんの元気なころの写真と、寄せ書きを釣り下げた風船、子供の好きだった音楽をかけて病院での最後のお別れを告げます。このような準備は子供の病棟での生活を手助けしている保母さんの役目をしているChild Livingの部署の方が行ってくれます。

 患者さんのご両親に、看護師などから、最後のお別れの詩が送られます。こちらで、その詩を紹介致します。
 
THEIR JOURNEY HAS JUST BEGUN

Don't think of them as gone away,
their journey has just begun.
Life hold so many facets,
this earth is only one.

Just think of them as resting
from the sorrows and the tears,
in a place of warmth and comfort,
where there are no days and years.

Think of how they must be wishing
that we could know today,
how nothing but our sadness
can really pass away.

And think of them as living
in the hearts of those they touched
for nothing loved is erer lost
and they were loved so much.


MISS ME, BUT LET ME GO

When I get to the end of the road
And the sun has set for me
I want no lights in a gloom filled room
Why Cry for a soul set free.

Miss me a little
And not with your head bowed down low
Remember the love we share
Miss me, but let me go.

For this a jouney that we all must take
And each must go alone
It's all a part of the Master's plan
A step on the road to home

When you are lonely and sick of heart
Go to the friends we know
And bury your sorrow in doing good deeds
Miss me, but let me go.


IF I SHOULD GO TOMORROW

If I should go tomorrow
It would never be
goodbye,
For I have left my heart
with you,
So don't you ever cry.
The love that's deep
within me,
Shall reach you from the
Stars,
You'll feel it from the
heavens,
And it will heal the scars.
旅は今はじまったばかり

彼らは亡くなったと思わないで下さい
新しい旅が今始まったところなのです
人生は様々な側面があって
この世はそのうち一つにしか過ぎないのです

今彼らはただ悲しみと涙から離れて
暖かく快適な場所で
休んでいるのです
時間のない場所で

私たちが今日
この悲しみが過ぎ去ることが
いかに難しいかを知すことを
彼らは望んでいたに違いありません

彼らは今でも
消して失われることのない愛で
心の中に生きていることを
いかに彼らが愛されていたか


私を想っていて、だけどもう行かないと

旅路の終わりにたどり着いたとき
そして日が沈むときに
薄暗い部屋の中で明かりが無くても
どうして泣くの?自由になったのに

少しだけ私を想って
だけど、上を向いていて
私たちの愛を覚えていて
私を想っていて、だけどもう行かないと

この旅は誰もが行く路
そして皆一人で行かなければ
これは神様が決めたことなの
生まれた場所へ戻る最初の一歩なの

もし心がつらくて悲しいときは
私たちの友達のところへ行って
良い行いの中で悲しみを埋めましょう
私を想っていて、だけどもう行かないと


明日行かなければならなくても

もし明日行かなければならなくても
決してさよならではないわ

心はいつもそばにあるから

だから決して泣かないで

私の深い愛は

星空からあなたにとどくでしょう。

それは天国からの贈り物のように
傷ついた心を癒すでしょう。


作者:不明 訳:管理人なので、素人訳です


5月30日 齋藤陽子さんの帰国.
陽子さん移植報告(手術後128日目)(クリックすると拡大します)

陽子さんと陽佑君
 当院にて移植を受けられた齋藤陽子さんが、このたび6月9日に正式に帰国することが決まりました。本当におめでとうございます。それに合わせて、昨日、齋藤陽子さんの送別会として、BBQ会が催されましたので、ご報告します。

 齋藤陽子さんは、お父様からの生体肝移植を受けられた後に、残念ながら移植された肝臓がうまく働くことが出来なくて、故郷の仙台を離れて長いこと東京の病院で闘病生活を送っておりました。数年間の間、病院から出ることが出来ずに、管をつながれたままの生活を強いられていました。
 多くの方の募金活動と、超人的な移植コーディネーターの方の計らいで、幸運にも当院での移植を受けることが出来ました。
 再移植という選択肢が非常に限られている日本では、このような状態からの回復は難しく、多くの患者さんが亡くなられているの非常に残念な現状です。

 日本では、帰国後に入院が必要ではないかとか、頻回な外来が必要ではないかという心配もあるかと思いますが、この写真のようにお元気な姿を見て頂ければ、それが無用な心配であることがわかって頂けると思います。
 一緒にバーベキューを楽しみます(1)。蚊が出てきたので陽佑君にOFFを蒔いているところ(2)。ビーチにグラビア写真を取りに行ったのですが、暗くて敗退。次回に期待しましょう(3)。お父様のスピーチ(4)。

 このバーベキュー会はご自身もドナーとなられたお父様のスピーチで締めくくられました。それは、陽子さんを支援して下さった方と、臓器を下さった名も知れぬドナーの方に当てられました。

 どちらもドネーション(Donation)という言葉にはかわりがありません。近い将来、陽子さんのような患者さんが海外に来なくてすむようになる日がきっと来ることでしょう。

陽佑ちゃん移植報告(手術後155日目)(クリックすると拡大します)

 昨日はバーベキューの日だったのですが、胃瘻のボタンがぬけてしまったので、病院にきてもらいます。この場合は、胃壁が薄くなっていることが心配なのですが、バルーンの水がぬけてしまっただけで特に心配はありませんでした。新しく、MICボタンを入れてお帰りです。

 さて、陽佑君のお父様が闘病記のホームページをはじめられました。こちらの方もご覧下さい。

 がんばれ陽佑!
http://gambare-yosuke.web.infoseek.co.jp/


5月28日 統計学の苦手な方へ

 最近は学会と論文が多くて、統計学の苦手な管理人をかなり悩ましています。そんな中、ダラスのテキサス大学サウスウエスタン校の内分泌代謝内科でフェローをしている、能登先生から統計学の本をお送り頂きましたので、簡単にご紹介します。

 従来の統計学の本が、統計を使う側つまり、論文や学会発表のための統計学であるものがほとんどなのですが、この、「日常診療にすぐに使える臨床統計学」は、統計を利用する側、最近はやりのEBMに基づいた報告を解釈するための本であることが特徴です。また、現在主流の統計学の教科書が、薬理などの論文に基づいて書かれていることが多いですが、筆者が臨床医、また、EBMに詳しいこともあって、臨床医サイドから執筆されていることもこのほんの特徴です。
 そのため、難しい数式などは省略してあって、また、構成もすっきりしていています。教科書として通読することも可能ですが、辞書的に使用することも出来ます
 この本は統計学を学びはじめた学生さんや研修医、また、臨床の場で研究報告を活用したいけれども統計学を忘れてしまった医療関係者の方が、手早く思い出すためにおすすめの本です。

Disclosure: 著者の能登先生はダラス時代からの知人で、この本にFinancial supportを受けています。


5月26日  秋葉に行こう −メイド喫茶の巻−

 ノースウエストの夜行便で帰ってきた管理人。今日から通常勤務です。さて、うちの病棟薬剤師がお嬢さんと一緒に日本に行く予定なのですが、彼女は日本のアニメの大ファンで、日本滞在中に是非ともアニメに関するところにいってみたいそうです。
 管理人もその昔は秋葉原巡りをしたものですが、その当時は電子部品などのジャンク品をあさるのが目的でした。ところが、最近は秋葉原というのはアニメオタクの街らしく、コスプレをした娘がいる、コスプレ喫茶(メイド喫茶というらしい。)などがあるようですね。
 その高校生の彼女の東京観光としては、朝の満員電車と秋葉原のメイド喫茶とアニメのお店、それから渋谷か原宿などを勧めようかと思っているのですが、どなたか、ご存じのところが会ったら紹介して下さいね。(そんなところにいったらとんでもないことになるという意見も歓迎致します。)
 


5月24日 学会に行こう −旅は道連れ シロー寿司−

 今日でいよいよ学会も最終日です。今日は慶應の移植コーディネーターの方と、飲みに行くことになっています。彼女はピッツバーグでの貧乏な日々を忘れないため、シアトルでもユースホステルに泊まっているという、今でも青春18切符というすばらしい方ですね。(時間がないので詳細は機会があったらまたご紹介します。)
 さて、彼女との飲み会の前に道で学会場で声をかけてくれた青年一人、同じく慶應の小児外科の先生で、環太平洋小児外科学会がバンクーバーでやっているので、そこからシアトルまで訪れたとのこと。以前にこのサイトを見たことがあるということもあって、そのままコーディネーターの人とのみに出かけます。
 彼は、今フロリダのジャクソンビルにいらして、移植にも興味があるということ。家も近いし話しもあって、また、後輩に激励のメッセージを送るような熱血漢の先生。こういう出会いもあるのですね。


 さて、その後も厚かましい管理人は慶應の飲み会に同席させて頂きました。シアトルでも一番おいしいといわれている(多分そうですよね。)シロースシにて、すっかりといい調子です。なかなか楽しい夜でした。そんなわけで、こちらに写真を掲載しておきます。


5月23日 学会に行こう −同窓会−

 ダラスのプログラムでは毎年、米国移植学会に合わせて同窓会が開かれています。管理人は初めての参加になりますが、今日はEliott Bayを見下ろす、Palisadeというレストランで、20人近くを集めて催されました。今回は学会に参加するというのももちろん重要ですが、この同窓会に参加するというのが、主な目的だったのです。
 ちゃんと「Baylor Transplant Fellows Reunion」と印刷された、メニューが配られて、メニューはDungeness Crab Stuffed Halibut, Fresh Copper River Salmonまたは、Filet Mignonからの選択になります。
 このレストラン、ヨットハーバーもついた眺めの良いすてきなレストランで、ダラスのボスも「スエーデンの風景に似ていてホームシックになる。」と語っていました。
 彼の演説がまたすばらしいもので、ほれぼれとさせてくれます。その内容というのは、ダラスで研修したものがここでまた集って

 移植外科というものは生と死の狭間にあって、日常の生活がいかにすばらしいかを感じさせてくれる、数少ない残された分野です。君たちはそのような場所で働くことが出来ていかに幸せなことでしょう。
 自分は肝臓移植の第2世代だが、これからは第3世代の君たちの時代だ。その君たちがいろいろな文化の様々な場所に散って、そこで遺伝子を引き継いでほしい。

 彼は、手術に関してはこう語っていました。


 外科医として、何かトラブルが起こったら、とりあえずアナに指をおけ(put a finger on the hole)、それからまわりを静かにさせて、また集中すればトラブルは解決できるのです。手術中に使う器械として、「しまった鉗子(Shit Clamp)」というものがあるのですが(スプーンクランプのこと)、それをかけてから、ゆっくり原因を考えれば、大量出血などすることはないのです。

 しかし、外科では手術だけではなくて、病んだ患者さんや家族に対する対応もとても大事なことなのです。と昔のように、講義をしてくれました。まだ、一年も経っていないのですが、とても懐かしいものです。

 そして、最後には「数年以内には、卒業生が現在何をやっているかを、それぞれ講演してもらうことにしよう。」
 彼のいう、このプログラムの出身だということを誇りに思いなさい。ということは、ここの遺伝子を受け継いでるのだから、それだけの責任を果たしなさいということでした。耳の痛い話しです。


5月22日 学会に行こう −コーヒーの香りあふれる街−

 空港の近くのモーテルからだと、学会場までは路線バスで行くことになります。いくらお金が出ないとはいえ、モーテルから路線バスで一時間近くかけて通うのはやっぱり寂しいですね。

 シアトルは日本人にとっては、親しみのわく町でしょうね。街にはコーヒーの香りがあふれて、学会場の中でもコーヒーはもちろんスターバックスでした。こんなところに留学している人たちはうらやましいですね。といったら、それは天気がいいときだけだよ。とのことでした。


5月21日 学会に行こう −シアトルは遠かった−

 管理人は安売りのチケットのため、大回りでシアトルに向かいます。ジグザクの飛行で17時間かかりました。まあ、風邪も引いていてぼんやりしていたこともあったのですが、新しくなったデトロイトの空港のゲートについた後、手荷物バックのタブを見ると「NW Crew」と書いてあります。
 大急ぎでゲートに戻ります。ゲートの人にポケベルで、そのキャピンアテンディングを呼び出してもらっていると、「マイアミよりシアトルにご旅行中の上野様、40番ゲートにてお荷物がお待ちしております。」と聞き慣れた、日本語の放送。受付の人に「どうも、呼ばれているみたいです。」と一言いって、荷物を引き取りに行きます。
 荷物を間違えたスチュワーデスさんごめんなさいね。でも、最近日本人に力を入れているNW、こういうときにありがたいですね。


5月20日 学会へ行こう その2
 
 皆さんこんにちは、また風邪を引いて参っている管理人です。学会も迫ってきてポスターを作らなければならないのですが、大学の印刷は3日間もかかるとのこと、そんなわけでまた困ったときのKinko’s頼みです。(24時間で出来る)

 さて、この夏は学会が3回続きます。学会への費用が自前のこのプログラムでは、この費用が重くのしかかります。特に薄給のフェローにとってはかなり痛いです。そんなわけで、出来るだけ安いチケットを探してくるのが重要なのですが、今回はノースウエストのウエブサイトから探してきた往復$280のチケット、さんざん遠回りするので、シアトルまで17時間かかります。シアトル旅行記はまた後ほど。


 さて、今日は陽佑君を救う会の大阪支部長が当院を訪れてくれました。管理人のオフィス倉庫にて、現在小児移植外科に訪れている研究生と学生の日本人達と記念写真です。


陽佑ちゃん移植報告(手術後141日目5/15)(クリックすると拡大します)

  今日は往診の日です陽佑ちゃんもすっかり動き回れるようになりました。体重の伸びが少ないので、経管栄養の量を増量します。ルナちゃんもすっかりおいたで逃げ出さないようにソファーで囲いがしてあります。ちなみに、18日の血液検査の値も問題ありません。



陽子さん移植報告(手術後114日目5/15)(クリックすると拡大します)

 陽子さんもすっかり元気です。今日は、陽子さんが得意のカステラを作りました。研究生のヒロコさんも陽子さんのところを訪れていたところです。


5月17日 小児移植外科見学  おまけ

  昨日は一晩中肝移植13時間の手洗い。その上、週末の学会のポスターのデーターを最新のものに書き直すことになったので、図表を全部作り直しです。計算から全部し直さないといけないので、涙がちょちょきれそうです。
 
  さて、見学に来た学生さんから感想を送ってもらいましたので、ご紹介します。ちなみに、左の写真は小児移植外科ハウススタッフとの写真ですが、この実習も学生さんの思い出になるといいですね。

 今回の見学では、アメリカの医療と移植外科の実際に触れる事ができ、予想以上の収穫を得る事ができました。日本では行われていない小児の脳死移植も見学できましたし、先生についてモーニングレポート、回診、カンファレンスなどを見学出来た他にも、放射線科や病理まで色々と詳細に案内して頂き、短期間にも関わらず本当に充実した実習でした。日本とアメリカの医療を両方経験してらっしゃる先生に丁寧に教えて頂けるので、アメリカの医療や移植に興味を持つ方に是非お勧めしたいと思います。本当に有難うございました。

 


5月16日 小児移植外科見学  後編

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  手術の他にも検査の見学をします。CT検査は日本とほとんど同じようです。子供の撮影なので怖がらないように、お母さんも一緒に中に入ります(1)。これは、消化器内視鏡の見学。小腸移植をやっている施設ならです(2)。ICUでの、超音波の見学をしたり(3)、肝生検の見学をしたり(4)、胸腔穿刺の見学をしたりもします(5)。
 午後の回診の前には、検査結果を集めなければいけません。シンチグラムを見たり、くるくる回るボードにあるレントゲン写真を見て回ります(6)。また移植の場合大切なのは感染症と、病理です。細菌学部門によって、培養の結果を聞たあとに(7-8)、病理部門に行って、標本を病理フェロージュリーと一緒に見ます(9)。
 午後の回診の前には、ダンキンドーナッツで一服(10-11)。ここのコーヒーは甘いですがなかなかおいしいです。
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 午後の回診は、影のボスのインターンのケニア先生と一年目のフェローのアンソニー先生とまわります(12)。温度版を見て、今日一日問題がないかも確認し、夜に対して指示を出していきます。移植外科の場合はプログラフの指示を出すのが一番大切です。
 さて、今日はこの後に移植のカンファがあります。今日はM&Mの日です。カンファ室では、アイスティーとクッキーがでますので、少しいただきます(13)。カンファレンス室の後ろの席に陣取って、発表を聞きます(14)。わからない単語がでても電子辞書があるから大丈夫です(15)。
 さて、これで実習も終わりました。最後に、ジュニアフェローのアンソニーと握手をしてお別れです。お疲れ様でした。
 

写真・文:管理人 モデル:見学の学生さん カメラ:IXY 50


5月15日 小児移植外科見学  中編

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 病理のカンファの後は、肝移植後の患者さんの超音波を行います。超音波の機械は大人の病棟にあるので、取りに行きます。大人の病棟では、大人のインターンとちょっと話しをします(1)。ここが当直兼インターン部屋ですが、どこでも汚いですね。でも、この超音波の機械の小さいこと、ノートパソコンくらいの大きさしかありません。これは、彼女に運んでもらいます(2)。
 さて、その後は、お昼ご飯ですね。病院のカフェテリアに並びます(3)。今日はイタリアンフェアーということですが、イタリア人が聞いたら笑ってしまいますね(4)。管理人おすすめのパルメザンチーズのチキンとスパティーを注文します。アメリカでの医療について、小児病院からローテーションに来ているICUフェローのラビッシュ先生に質問します(5)。
 さて、昼食が終わると、手術室へ見学に行きます(6)。今日は幸運なことに肝移植が行われています。一般の方立ち入り禁止の手術室へ。いつも小児の移植が行われる70号室です(7)。手術室の番号が70以上もあるなんてなんて数でしょうか。
 バックテーブルは未だきれいで肝臓は届いていません(8)。手術台の上からのぞき込んで手術を見学します(9)。器械出しの上にある、摘出された肝臓です。正常の肝臓の1.5倍くらいになっています(10)。
 

写真・文:管理人 モデル:見学の学生さん カメラ:IXY 50


5月14日 小児移植外科見学  前編

 

さて、今日から実習に来てくれた学生さんに、サービスを案内してもらいます。彼女は管理人が鉄緑会という塾で講師をしていたときの教え子なのですが、6年ぶりに合えばいつの間に大学を卒業していました。教える教科が化学から、医学になっても、かつての生徒がこうやってまた見学に来てくれるのは管理人としては涙ものです。

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 さて、朝の始まりはコーヒーからです(1)。ここマイアミではキューバコーヒーが顔を利かせています。ちょうど、コーディネーターのモニカと出会います (2)。朝は回診の前にインターンとフェローのモーニングレポートがあるので、それに参加します。メアリーは小児移植外科の受付をしています。 朝は、やっぱりコーヒーが欠かせません。なぜか小児移植外科にはコーヒーメーカーがないので、いつも小児科の医局で失敬させてもらいます(3)。 
 朝の報告会では、朝早く来たインターンやフェローが患者さん達の状況を報告して今日の治療の計画を立てます(4)。この会議には、他にコーディネーターや、薬剤師、栄養士なども同席します。 朝の報告会が終わると、病棟を回診します(5)。インターンのケニア先生は、てきぱきと患者さんの報告をして、指示をカルテに書いていきます(6)。今日の回診には外科以外に、小児消化器内科の先生も参加しています。 患者さんの中にはプレイルームで遊んでいる患者さんもいるので、そちらにも立ち寄ります(7)。ニンテンドーのゲーム機がおいてあります(8)。
 回診が終わると、病理のカンファレンス病理医、肝臓内科医と移植後の肝生検や小腸生検の標本について議論をします。学生さんも一番後ろに座って見学します(9-10)。

写真・文:管理人 モデル:見学の学生さん カメラ:IXY 50


5月13日 ママのご飯が世界一

 今小児移植外科に滞在している、イタリア人の見学の医師、居心地がいいのか6ヶ月間の滞在を一年に延ばしたいといっています。イタリアでは、研修医の時に3−6ヶ月間、他の場所で研修をする機会があるそうです。
 そうとはいっても、彼がもらっているのは月$1000の奨学金のみ、さすがに一年間は苦しいのではないかと、インターンが聞いたら。
 「だって、みんな親がだしてくれるもん。イタリアではそれが当たり前だよ。」さすがに、ママのご飯が世界一という男性の国柄、いつまで経ってもお子様な用です。

陽佑ちゃん移植報告(手術後139日目)(クリックすると拡大します)

 今日は外来日。外来の風景などもお伝えします。(1−3)ルナちゃんも一緒で、採血室の看護師に挨拶をします。(4)
 お母さんが、病院に来るのも久しぶりですね。(5) 昨日と同じように陽佑君もすっかり元気です。
 今日も、研究留学のヒロコさんが外来に付き添います。


5月12日 見学
 


 ここの医学部では、毎年3人の日本人学生が交換留学生として、1年間ここの医学部生に混じって授業を受けたり実習に参加したりしています。そのうちの、一人の穐吉君が、来週から2週間小児移植外科で実習することになりました。
 彼には、移植外科をリポートしてもらおう(管理人の写真の生け贄になる。)と思っていますのでこうご期待。





陽佑ちゃん移植報告(手術後138日目)(クリックすると拡大します)

 今日は内視鏡の日です。回診途中で「ちょっと挨拶をしてくるからと。」いったら、小児外科チーム全体がお出迎えです。(1)すっかり元気になりました(2)。もうすぐはいはいも出来ます(3ー4)。内視鏡にもすっかり慣れて(5)。陽佑君は内視鏡がお気に入りです(6)。内視鏡見学には研究留学のヒロコさんも同席です。





陽子さん移植報告(手術後111日目)(クリックすると拡大します)

  陽子さんもすっかり元気です。今日は、小児外科のオフィスまできてくれました。


5月10日 画素数が多くても

  早速、IXY50で病院の様子を撮っています。小型化からの影響か、結構パープル・フリンジ(色収差の一種)が目立ちます。前からわかっていましたが、思っていたよりも目立つものです。最近は、コンパクトデジタルカメラの高画素化が進んでいますが、レンズの性能が追いついていないので、いたずらに高画素化を勧めるのもどうかといったものです。

 さて、現在小児移植外科には、イタリア人のレジデントの見学者と、小児病院のICUフェローのローテーターが一緒にまわっています。この写真は、影のディレクター(写真中央)による、パワーブレックファーストです。小児病院のローテータにはいろいろと、教えてあげないといけないのですが、なかなか難しいところです。

 明日は、6年ぶりに会う鉄緑会の教え子が、見学に来ます。最後のあったのは大学に入学する前だったのに、もう卒業してしまっています。月日の経つのは早いものですね。


5月7日 新機種投入

 さてコンパクトデジタルカメラの新機種はIXY50とすることにしました。カメラを手に入れるに当たって、ヨドバシカメラが近くにあるわけではないので、通信販売で購入することにします。今までは、定評のある、B&H Photoや、Adorama Cameraを使用していたのですが、Price GrabberやYahoo Shoppingで評価の高い、Buydig.comを利用してみることにします。
 注文したのが5月2日。送料の一番安いFedEx Saverを利用したので、7−10日かかる予定です。通信販売で一番楽しいのは、商品が到着するまでです。FedExはトラッキングが出来るので、追っかけていきます。5月3日には商品が発送。Newark空港に到着します。4日には空輸で、マイアミに到着。5日の朝には配達のトラックに乗って午後には到着しました。非常にスムーズな配達です。
 これからの試写が楽しみです。

陽佑ちゃん移植報告(手術後133日目)(クリックすると拡大します)

 今日は往診です。すっかりお休み中ですね。湿疹もほとんど消えて、経過は良好です。すっかり活発になって、寝返りも自由に打てるようになりました。ルナちゃんもすっかり起こされてしまいましたね。ごめんなさいね。ちなみにこの写真はIXY 50の写真ですが違いがわかりますか?


陽子さん移植報告(手術後106日目)(クリックすると拡大します)

 すっかり良くなりました。そろそろマイアミで経過観察をする必要も無くなってきたかもしれません。


5月4日 見学・実習について

 見学・実習のお問い合わせがいくつか来ているのですが、管理人の研修している小児移植外科では見学・実習は大歓迎です(たぶん)。移植医療や、米国の医療に関心のある医師、看護師、学生、薬剤師、栄養師、コーディネータなどどなたでもどうぞ。ボスに確認する必要と、いくつかの書類手続きが必要ですので、メールにて所属、略歴、希望期間をご連絡下さい。メールはホームページの下の方から送れます。
 なお、メールは題名の中に"baylor"または"miami"のキーワードが入っていないと、スパムフィルターに引っかかって永遠に届きませんので、その点はよろしくお願いします。

陽佑ちゃん移植報告(手術後125日目 4/29)(クリックすると拡大します)

 今日は少しストマの量が多かったため、予定を早めて、内視鏡をします。また、鼻水も続くためRSVも調べます。どちらも、問題もなく、今では調子が戻りました。




 また、陽佑ちゃんへの励ましのメッセージが掲示板に来ていますので、こちらに転載いたします。励ましのメッセージはお気兼ねせずにご自由に書き込んで下さい。

初めまして。魅羽 あげはと申します。久しぶりに此処に来てみました。
此処に書くべきなのか悩んだのですが、どうしても『おめでとう』が言いたくて…

 私は昨年、ゴルフ場で受付兼、経理事務をしておりました。
小額ですが、寄付させて頂きました。
 プレィが終わったお客様が、大金を募金しておりました。
私は正直、目が点でした。その金額の大きさに…
 その募金をしてくれた方の一言に感動しました。
『俺はこうして健康で、ゴルフも出来る。それに比べたら、小さな命が助かるなら全然大した事した事ないよ』
…痺れました。その一言の大きさ、その人の大きさに…
 募金をして下さった方に、精算が済んだら、一言お礼を申し上げておりました。

 私はフロントにいて、募金活動を見ておりました。
たくさんの人が募金して下さいました。嬉しい限りでした。

 私も、二人の子を持つ母として、是非、ようすけちゃんの手術の成功を心から祈ってました。その頃は、募金活動がはじまったばかりの頃でした。

 フロントで、募金をお願いする『メンバーさんが、ようすけちゃんの写真を持ってて、見る度、涙が出そうになって、必死に堪えてました。
 無事、募金が集まって、早く手術が出来る事を、心から祈ってました。

 やっと、その願いが叶いました。本当に嬉しくて仕方ありません。
これからも、大変かと思いますが、是非、早くようすけちゃんの笑顔が見たいです。

 心から応援してます。


5月1日 4年目に当たって-師匠のお言葉-

 皆さんこんにちは。このサイトも4年目を迎えることになりました。開設当時からごらんいただいてる方も、最近見付けて頂いた方も本当にありがとうございます。管理人も先週の寒さから風邪を引いてしまいましたが、人手不足で休むことも出来ず、葛根湯を飲みながら、病院に出ています。こういうときに限って、移植や当直が続くものです。

 さて、アメリカでよく感心することには、みな躊躇無く質問することがあります。これは、病棟でもそうですし、国立公園のパークレンジャーに対してでもです。で答える方も、小さな子供から去れた、ちょっと間抜けな質問でも、丁寧に答えてあげて、けっして「そんなばかげた質問をするな。」ということはありません。また、逆に質問しなければ「熱心でない。」として悪く評価されることになるようです。質問する側にとっては難しいことなのかもしれません。その辺はおおらかにしたいものです。

 研修先病院の一つとして、海外の病院も選択肢の一つに入れば、それだけ広がりを持つことになります。海外の病院も、日本の病院も言葉が違う以外は何も変わることはありません。同じように人がいて、人生があって、藤枝の研修病院のボスがよく言っていたように「感動」があります。そう思ってそんな、一研修病院の様子をお知らせしてきましたが、いかがでしょう。

 移植医療に関しても、いかに移植医療が普通の医療の一部かということをお伝えできればと思っています。移植医療といっても、他の治療と同じように患者さんが日常の生活を取り戻すための治療の一つで、当たり前のように行われています。ダラスのボスの退院時の決まり文句も「Enjoy your Life!.」でした。
 臓器の提供に関しても、そこには寄付という高貴な志に基づいて行われています。日本での論調はすぐに「脳死を死と認めるか」との方向に向きがちですが、これは、「あなたは地球が回っているのを信じますか?」といっているようなものです。脳死は現代科学の作り出した人工的な死です。科学技術がなければ脳死は生まれてきません。これは、科学がなければ地球が丸いとか、まわっているとかを計測できないのと同じことです。
 あくまでも、科学は人間に使えるもので、寄付をするという志と、それで助かる命や生活があって、脳死はそれを結びつけるためのものでしかありません。それなのに、すぐに議論が技術論になってしまうのは嘆かわしいものです。
 宗教団体が「脳死を死と認めない。」というのは結構なことです。彼らが、進化論を信じないや、地球は平面の上にあるということを信じないのは仕方がないことです。
 しかし、科学のもとで働く医師や看護士が脳死に関する知識がないのは残念なものです。

 病院付けの研修生活でしたが、アメリカでは休みが多く取れることもあって(ダラスは3週間、マイアミは4週間)さんざん旅行には行かせてもらいました。学生時代に実習に行ったアイオワ大学の小児外科のボスのせりふに、「自分の人生を楽しんでいないものが、他人の人生を楽しませることは出来ない。」というのがありました。その点、研修、休暇ともさんざん楽しませてもらったので、申し分はありません。

 いずれにせよ、葛根湯も残り三日分となった今日この頃、管理人もそろそろ日本に戻らなければなりません。まあ、今後は日本の病院の状況や、旅行やオタクの話しが中心になることでしょう。それではまたしばらくおつきあい下さい。

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