12月1日 立つ鳥跡を濁さず Thanksgiving day |
今日から一週間はレジデントが一人もいません。フェロー2人で2つの病院と、ドナーを回さなければなりません。だいたいそういうときこそ忙しくなりますし、学会の抄録の締め切りもあさってです。 さて、いつものようにMedical Recordにカルテのサインをしにいったら、山のようなUn dictatedの退院サマリーの山。1−2つくらいの未録音の退院サマリーはある物ですが、10近くあります。いつもレジデントに退院サマリーをすましたかどうか聞いても「やりました。」の声。どうもやっていなかったようです。当のレジデントはサービスを変わったのでもういません。 「評価を落としてやる。」と叫びながら、泣く泣くdectationをしたのでした。 注:こちらのレジデントは評価表というのがすごく大事なので、よく働いていたからこれくらいでは評価を下げません。 186951 |
11月30日 クリスマスシーズン Christmas Season |
今日の週末ですが、移植のない穏やかな日です。最も昨晩は2時に腸閉塞の入院で救急に呼ばれていきましたが。 そんなわけで、今日は一日かけてクリスマスカード書きです。アメリカでもデジカメは普及しているのですが、日本のように印画するという習慣が発達していないのか、カード用プリンター用紙という物が普及していません。そのため、4×6の印画紙にプリントアウトして、封筒で送るという手間が必要になります。(裏面には印刷できないのです。) 昨日とうってかわって、静かな町です。お店もそれほど混雑していません。この週末で、町の飾り付けも一気にクリスマスに加速です。管理人のアパートも、管理人のところだけではなく、いくつかの家も、電飾で飾り立てています。 |
11月29日 クリスマスシーズン Christmas Season |
今日は当直なのですが、病棟は比較的静かです。おとといの感謝祭が終わったら、早速クリスマスの飾り付けです。管理人も、今年は電飾の飾り付けをしようかということで、電球を買いに出かけます。ご存じのように、アメリカでは各家庭がクリスマスに向けて飾り付けにかなり力を入れます。町全体が華やいで、気分もうきうきしてきます。 それにしても町中のごったかえしていること、駐車場にはいるのにも一苦労です。 クリスマスの飾り付けと並んで、クリスマスカードも書かなければなりません。管理人はデザインのセンスにかけるので、どうも毎年一苦労です。カードの作成も未だに筆まめVer.8を使用しているので、結局去年と全く代わり映えのしないデザインになりました。普段は、すっかり電子メールばかりとなっていますが、やはり、クリスマスカードや、年賀状は手紙で受け取りたいものですね。 |
11月28日 休暇明け Post Vacation |
昨日は休暇明けですが、そんなわけで朝から晩まで働きずくめで、聖先生はダウンです。ここのプログラムの難点というかいいところというのは、ICUやERもこちらでみないといけないので、汎腹膜炎を起こして緊急手術が必要な患者さんから、心筋梗塞でVTを起こした患者さんまで、みんなみなければなりません。 場所によっては、集中治療医や救急医をおいているところも多いのですが、ここでは、手術の合間を縫って、カテを入れて、スワンガンツをいれて、さらに、ショックもかけなければなりません。 ともかく、一日終わってほっとしました。聖先生にも少し寝てもらったので、今晩はがんばってくれるでしょう。 今日の紙芝居(クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
11月27日 感謝祭 Thanksgiving day |
今日から通常勤務です。感謝祭の日なので、休日です。休日とは行っても日本のお盆のようなものなので、多くのアメリカ人は帰省しますが病院は関係ありません。 そんな中、移植外科病棟では、入院患者さんのために、ボランティアグループが、感謝祭料理のサービスをしてくれました。 休暇明けですが、レジデントが、帰ってしまったこともあって、聖先生と二人だけです。そのため、救急患者さん、ICU患者さんで盛りだくさんです。夜には、肝移植もあって、早速術者をさせてもらいました。 |
11月26日 7日目 キャディラックランチ編 |
今日はダラスに戻る日です。このHoliday Innは朝食が無料で付きます。普段だったら時間がもったいないのですが、今日は帰るだけなので朝食を食べてから7時半に出発です。 今日もいい天気です。I-40を東へ向かいます。途中Amarilloの手前で、読者の方が紹介してくださった、Cadilac Ranchを見つけました。高速沿いの畑の中に忽然と現れます。この場所は、地図にもちゃんとのっています。誰が難のために作ったのかは謎ですが、その中の落書きの中になぜか「日本国」の文字が... テキサスにはいると時差があるため時計が一時間進みます。Planoに出るために380号からI-35へ向かいます。Dentonからさきは、大渋滞です。感謝祭の前日のためか、車がかなり出ているようです。Plano到着は4時。今までの中では一番早い到着です。Sushi Placeで夕食をかって、犬をピックアップして家へと帰ります。 ICUに電話を掛けると、患者さんは1名。予定移植はなしです。休みのなんと短いことでしょう。 本日の走行距離 484マイル (774km) |
11月25日 6日目 チャコ文化国立歴史公園、タオスプエブロ編 |
全く、Spamメールには困りもので、Pop Filterはうまく作動して、99.5%の分別率を誇っていても、24Kの速度では、ダウンロードに10分近くかかっています。今回の旅行はEarthlinkのアクセスポイントのないところに、泊まっているので、800番でつなぐため速度はだいたい24K、毎分10セントずつ加算されています。全くSpamは許し難いです。そんなわけで、メール、掲示板のお返事明日以降になりますので、よろしくお願い致します。 さて、モーテルの値段の評価にMotel6指数。という物を導入したいと思います。モーテルの値段は地域によって変わるので一概には比較しにくいですが、Motel6は常に値段が表示されているので、その値段に対する比率で、モーテルのおとく度を評価します。今日のモーテルはHoliday Inn $54朝食付きです。朝食といってもちゃんとした朝食が出ます。それに対して、Motel6は$35+$5で$40。指数は1.35で、通常Holiday Innは2近いですから、ここはかなりお得です。Holiday Inn時々お得な場所があるので、要チェックです。 さて、通常の日記に戻りましょう。今日は、当初の予定だとサンタフェを回る予定だったのですが、調べてみると、New Mexicoには、3つの世界遺産があります。一つは、去年訪れたカールスバット、もう一つは、サンタフェ周辺にある上記の二つです。急遽予定を変更して、今日は世界遺産をまわる旅とします。 6:30のモーテルのドーナッツを仕入れた後、出発します。夜が開けかけのところで、出発時間としてはちょうどいい頃合いです。ほかにも出発の用意をしている人たちはたくさんいますが、みんなお年寄りばかり。 I-40を東に向かって、州境を越える前に夜が明けます。New MexicoのナンバーというのはUSAと書いてあるのですね。国内のナンバープレートなのになんか変です。 近回りをしようと、Trewittの町で降りて、未舗装道を北へ向かいます。しかしどこで間違えたのか、北に向かうはずが、広大な原野を西へと向かっています。結局、逆戻りしてCrownPointの町へ、インディアンにガソリンスタンドの場所を聞いて、再び北へ向かいます。 途中、2つの選択肢が、国立公園まで56マイルと20マイルの道、ただし20マイルの道は、「通行不可の可能性あり」と書いてあります。管理人は迷わず、20マイルの道を選びます。57号線のラリー道を走ると国立歴史公園の裏口につきます。この公園はゲートはありません。入場料8ドルは案内所で支払います。 チャコ文化国立歴史公園は、世界遺産にも指定されている紀元1000年前後の集落の後です。アパートのような作りが比較的よく保存されています。この国立歴史公園、世界遺産にも指定されている割には、ほとんど来園者を見かけません。確かにアルバカーキからも遠い上に、未舗装道を走ってくる必要があります。 ニューメキシコは、日本人にとってはグランドサークルなどに比べてマイナーかもしれませんが、様々な史跡や記念物がふんだんに存在しています。管理人ももっと早く気づけばよかったと思いました。 さて、この歴史公園を12時過ぎに出て、次はTaos Puebloに向かいます。こちらも、直接向かう大きな道がないので、96号線を使って、東へと向かいます。ニューメキシコ北部はスキーとしてもこのあたりでは有名なので雪が少々心配でしたが、快適なドライブを楽しめました。ただ、この区間ファーストフードが全くないので、食料を手に入れるのには少々手こずりました。 68号を北上してTaos Puebloには4時過ぎに到着しました。Taos Puebloは芸術の町Taosを過ぎてすぐのところにあります。ついさっき、遺跡でみたような生活が営まれているのには感動を覚えました。Natioanl Park Servicedのサイトでみても、世界遺産にもかかわらず国立公園に指定されていないのがおかしいなと思ったら、実際に人が住んでいるからなのですね。現在は入場時間は4:30まで、入場料は$10、写真には別に$5必要だと思います。 中は、イヌがうろついていて、竈からの日が昇り、普段着を着た女性が川から水をくんでいました。町の中にはドッジのピックアップがあって、すぐ近くにはカジノもあります。このギャップがまたいいのです。 さて、夕闇迫る道をサンタフェまで戻ります。管理人にとっては、サンタフェは、多くの日本人と同じように宮沢りえの写真集で知ったまちで、また、貨物鉄道会社の名前ですが。この町は、古い教会やしゃれたブティックの建ち並ぶ、観光都市です。もっとゆっくりみたかったのですが、時間の都合上、よるのHart of SantaFeをみて終わりです。 後は、一路I-40を東に向かい、テキサス州境に近いTucumcariで一泊、明日はダラスへと戻ります。、 本日の走行距離 663マイル(1060km) |
11月24日 5日目 フーバーダム、グランドキャニオン国立公園編 |
今日は少し遅れて、8時半にホテルを出発。カジノは勝てないですね。少々の負けでラスベガスを後にします。地球の歩き方に「来年から自家用車であがれなくなる。」と書いてあったので、突然、グランドキャニオンをみてみたくなりました。いつも、南側からはいるので、North Rimへ向かおうかと思いましたが、10月中旬には閉鎖のこと、South Rimへと向かいます。 93号線を南に向かう途中フーバーダムへよります。不況対策のため、ルーズベルトによって建設が計画されてこのダムは、随分と人気のあるようで観光客がひっきりなしに訪れます。駐車場は$5、ガイドツアーは$10です。実は、アリゾナの対岸に無料の駐車場と展望台もあるのでダム底の発電機に興味のない人は、そちらの方がいいかもしれません。管理人、小学生の頃目黒区民センター図書館の発電所の仕組みの本にはまっていたので、発電所見学なかなかおもしろかったです。縦軸型の発電機でしたね。 フーバーダムのすぐ下流には、93号線のバイパスを建設していて将来的には、ダムを通過しないでラスベガスグランドキャニオン間が結ばれるようです。 93号線65マイル制限なのでI-40までは、快走できます。I-40を経由して、64号線でグランドキャニオンへ。あいにく、このころまでにはすっかり曇ってしまって、夕日のグランドキャニオンは眺められそうにもありません。ちなみに、雪も残っていて非常に寒いです。それでもたくさんの観光客であふれていました。 バス輸送対策からか、案内所が整備されていて(前はなかった)随分と雰囲気が変わりました。それでも、谷の風景は変わらないでしょうね。 まだ5時前なのですが、すっかり薄暗くなってきました。夏ならば、これからモニュメントバレーを通って東へと向かうのですが、暗闇の中を走っても仕方がありません。I-40に戻って途中のHolbrrkの町で、宿を取ることにします。Confort Innで$45です。相場の基準値となるMortel 6が$29ですから、なかなかの値段です。市内通話は無料ですが、アクセスポイントがありません。 旅行中は通信状況劣悪のため、メール、掲示板へのお返事ができません。お返事遅れることお詫び致します。 本日の走行距離 456マイル(729km) |
11月23日 4日目 ジョシュアツリー国立公園編 |
本日の走行距離 487マイル(779km) |
11月22日 3日目 サンディエゴ、カブリロ国定記念物編 |
今日はサンディエゴ滞在の日です。サンディエゴといえば世界的に有名な動物園、実はこの動物園はある外科医によってはじめられました。9時の開園に合わせてモーテルを出ます。 サンディエゴの道はテキサスと違って狭くてくねくねしています。テキサスなら、インターステートの隣には道路があり、その先に大きな駐車場付きのお店があるので、道路からお店というのが非常に遠いのですが、ここではすべて隣り合わせです。 モーテルから動物園までは10分ほど、値段の割には近いのです。駐車場は無料で、入場料は一人19ドルほど、バスツアー付きのパックだと32ドルです。この動物園は非常に広いです。さすがに、世界的に有名なだけはあります。山と谷を生かして、上手に作ってあります。エスカレーターも二本あって、常に下るように順路をとれば、そんなに疲れることはありません。また園内を横断するロープウエイもあります。しかし、動物はなれすぎで、朝ご飯に食べていたデニッシュを小鳥の横取りされました。食べ物恨みは恐ろしいよ。一日に数回、動物ショーもやっていますので、入園時に時間を確認した方がいいでしょう。 朝一にに動物園に入る利点は、動物たちがまだ活動的だということです。お昼過ぎたらほとんど寝ていますからね。活動的すぎて、オラウータンの展示の中では、あるアクティビティーが、人だかりができていました。でも、お父さんは娘に「あれ何しているの」と聞かれて、困り顔です。 この動物園の目玉は、いわずとしれたパンダです。ここではオープンに飼われているので、間近にみることができます。そのほかにも、オラウータン、ホッキョクグマ、コアラなども人気者です。 お昼は最初、Hotel del Coranadoでとろうと思っていたら、予想以上に動物園に時間がかかります。園内には何件もカフェテリアがあるので、そこで食事としました。ここの人気メニューはKid's Menuで、おまけについてくる動物園のバケツとドリンクホルダーが目当てのようです。子供だけでなくて、大人も結構手にしていました。 さて、動物園を出ると、次は、Cabrillo国定記念物に向かいます。ここは、サンディエゴの向かいに突き出た半島で、スペイン人の最初の上陸地ですが、サンディエゴの風景がすばらしいです。残念ながら歴史的な灯台は改築工事中でした。入場料は1台$5です。夜景もきれいだと思うのですが、日中しか開いていないのが残念です。 次に、町に降りてHotel del Coronadoへ向かいます。マリリンモンローの映画にも使われた歴史的リゾートホテルで、夕ぶれ時の海岸と合わせた風景は絶品です。ちょうど、太平洋に落ちる夕日を眺めることができました。皮膚科学会がちょうど開催されていたようですが、こんなホテルで開かれるなんてうらやましいですね。是非とも、泊まりたいところですが、一泊の宿泊費が、今回の旅行の宿泊費に匹敵するくらいなので、次の機会としましょう。いっそのこと、学会をここでやってくれればいいのに。Hotel Bar Harberと並んで、いつかは泊まりたいホテルです。 サンディエゴはそのほかにもみるところがいっぱいありますが、周り切れません。ここに留学している人がうらやましい限りです。ですが、ガソリン代が1.79ではちょっとやっていけないかもしれません。(ちなみにダラスは1.29です。) 明日は、ロスアンゼルスに行こうと思っていたのですが、予定を変更して、ラスベガスに行くことにしましょう。この融通の利くところが気ままなドライブ旅行の利点です。そばよりも、カジノですか。 本日の走行距離 70マイル(112km) |
11月21日 2日目 チリカフア、オルガンパイプサボテン国定記念物編 |
今日は目覚ましが鳴らずに少し寝坊、予定では6:30に出かける予定が、7:15になってしまいました。アメリカ人はみんな朝が早いので、すでに半分ほどの車は出かけてしまっています。すっかり夜が明けてしまったI-10をまた西へと向かいます。この区間は砂漠の中を道路と鉄道だけ、ほとんど家もありません。 アリゾナ州に入る手前の町、LordsburgでShakespeare ゴーストタウンによってみます。I-10より10分程度のところですが、まだ閉まっていて入りません。その先州境の少し手前にもStein'sゴーストタウンがあります。どちらもこじんまりとしていて、特段に見に行くというほどの規模はありません。その点、I-15にある、Calicoのゴーストタウンなどは、規模が大きくて結構楽しめます。 さて、通常州境を越えると案内所があるのですが、アリゾナには必ずしもないようです。その点ではテキサスの右に出る物はありませんね。 Bowieという小さい町でインターステートを降りFt. Bowie国定史跡へ向かいます。昔の軍事基地の後ですが、未舗装の峠越えの道から、片道2キロ強歩かなければなりません。今回は時間の都合上、割愛してChiricahua国定記念物へと向かいます。こういう田舎道ではすれ違う車がみんな手を挙げますね。 チリカフア国定記念物は火山岩性の奇石での集まった国定記念物です。規模としては国立公園にしてもいいくらいの規模です。入場料は一人$5で、公園内にはトレールが整備されています。案内所でピンをかって、スタンプを押した後(最近これにこっている)公園内に車で入ります。車道からも様々な奇石を眺めることもできますが、トレールを歩くともっと楽しめます。 いったんI-10に戻った後、Tucsonをぬけて西サガロ国立公園へ向かいます。この国立公園は漫画に出てくるようなサボテンサガロの国立公園で、東と西に分かれています。先月は東へ行ったので、今回は西へ。西の方は入場料は無料です。サガロが小振りのような気もしますが、より密生しています。ビジターセンターはこちらの方が立派ですね。 次は、86号を西に向かって、オルガンパイプサボテン国定記念物を目指します。こちらもサガロの密生する公園で、メキシコまで向かう85号線が公園内を貫通しています。この公園を出たのが午後5時ちょうど夕暮れ時で、黄昏時のサボテンが墓標のようで幻想的です。国境近くまで行ってガソリンだけ入れて戻ってきました。VISAの問題がなければメキシコまで行かれるのに残念です。臨時の検問所のようなところがあったので、パスポートチェックをしているのかもしれません。 ちなみにここでもピンを買ったのですが最近のピンは皆、同じようなかたちで愛想がありませんね。 再びインターステートI-8に戻って、西へと向かいます。途中Yumaを過ぎてカルフォルニアに入ったばかりのところ、それから、サンディエゴの手間でパスポートチェックがありました。いずれにせよメキシコ国境付近を旅行するときは、パスポートを持ち歩いた方がいいようです。 サンディエゴ到着は10時過ぎ、性懲りもなくeXpediaで予約したRamada Inn $44です。 本日の走行距離 807マイル(1291km)
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11月20日 1日目 テキサス横断編 Dallas, TX → Dieming, NM |
またまた今日から一週間の休暇です。冬の間はドライブ旅行といっても北側には行かれませんから、メキシコとの国境付近をうろつくということになります。そんなわけで、今回は南西端のサンディエゴを目指して、メキシコ国境付近をうろつくことにしましょう。 あさ、6時15分に自宅を出発、タイヤの空気圧を調節したり、朝の渋滞を抜けるのに時間がかかり、ダラスを抜けてI-20を西に向かうようになったのは7時頃でした。冬の間は日の時間が短いので早立ちが基本ですね。冬山の時なんかは5時くらいには出発しますからね。 さて、今回は慣れた道I-20をひたすら西へ向かいます。空には雲一つなくすばらしい天気です。最初はAbileneで給油、AbileneをすぎてSweetwaterをすぎたりは、遠くの山並みに風力発電機が見えて、綿花畑の中を油田のポンプがゆっくりと動いていて、実にテキサスらしい風景です。次はBig Spring, Midlandと給油です。 給油はだいたいLove'sかPilot, Flying Jなどのトラックステーションを使います。トイレも整備されていて、レストエリアよりは安全です。さらに、Pecos, Van Hornと給油です。途中、Sierra Blancaを西へ少し行ったところ102マイルポスト付近の東行きのI-10上では相変わらず、国境警備隊のパスポートチェックがあります。ここを通過するにはパスポートが必携ですのでお気をつけ下さい。 テキサスで最も西の国境の町El Pasoには4時頃到着です。少し通勤ラッシュで渋滞した町を抜けると、ニューメキシコです。4時半に観光案内所について開いているかどうか心配だったのですが、テキサスの案内所に比べると慎ましい、この案内所はまだ開いていて無事に地図とガイドブックを手に入れることができました。夏だったら9時頃まで明るいのですが、今の時期は5時には暗くなってしまいます。それでも、まだ泊まるのには早いので、I-10を西に走っていきます。Las Crucesをすぎて120マイルポストの付近で、今度は西行きの検問所が。パスポートはトランクです。 「これはまためんどくさいな。」と思っていたら、人相がよかったからか無事に通過です。 6時くらいにDemingという小さな町を通りかかると「Holiday Inn $49.95」の看板が。このあたりのHoliday Innはモーテルのそのものですが、それにしてもやすいです。今晩はここに泊まることにしましょう。 さて、今まではローカルアクセスポイントをいちいち州ごとに落としていたのですが、Earthlinkでは、Palm用のアクセスナンバー検索ソフトを提供しています。今回はT3にそれを落として使用してみました。CAはアクセスポイントが1000個もあるのでこういうソフトでも使わないと不便です。残念ながら、この町はアクセスポイントがないので、800番にアクセスして、インターネットへつなぎます。ちなみに、ここはデスクとモジュラージャックがあって、便利にできていますが、アクセス速度は24Kとそれほど出ませんでした。 さていつも旅行の計画は出発してからたてるのですが、今回はサンディエゴ、ロスアンゼルス、サンタフェと廻って、途中の国立公園、国定記念物を廻る予定です。明日は、アリゾナ南部の国定記念物を廻って、サンディエゴを目指します。 本日の走行距離 756マイル(1210km) |
11月19日 西へ Go West! |
日本からの学生さん、昨日プレゼンテーションをするようにといわれて、夜も寝ないでがんばっていたようです。10枚くらい束になった、プレゼン用の原稿を用意していました。朝の回診の時にも、がんばって、一人の患者さんのプレゼンをします。 かわいそうだったのは、今日のお昼の移植前評価委員会で患者さんの症例を発表しないといけないと思っていたこと。レジデントが「お昼も額に汗が出るほど緊張していた。」といっていました。発表しなくてもいいのですよ。 でも、一晩かかってまとめたプレゼンテーションをアテンディングの前でして、いろいろと教えてもらったようです。ちょんと、患者さんの評価やプレゼンテーションの仕方を教えてくれたことに、彼はいたく感激していました。 ともかく、今回せっかく日本から来て管理人と一緒にしてもしょうがないので、ほとんど、レジデントに面倒を見てもらっていました。なかなかいいレジデントです。 さて、管理人は抄録の仕上げて、ため込んだディクテーションやカルテのサインもすませて、後は、西海岸です。 そういえばASTS(米国移植外科学会)の専修医の会員になったのですが、ここの学会太っ腹なことに専修医は会費が無料です。米国移植学会も専修医は$75/年と格安になっています。こうやって若い人を育てるというところがあるのはすばらしいところですね。日本の学会で若手割引のところがあったかしら。 明日から、一週間の休暇です。去年はフロリダだったので、今年は西へ向かって走っていきましょう。予定としては、ニューメキシコ、アリゾナを通って、サンディエゴ、ロサンゼルスに行く予定です。 ロサンゼルス、サンディエゴといったら初めてアメリカに来たときに来たところです。そのときはまだ大学の2年生かそこらでしたが、最初はアムトラックでロスからサンディエゴへそして、バッハカルフォルニア半島の突端に皆既日食を見に行った物でした。その後は、レンタカーで一路北上、バンクーバーを往復しました。 サンディエゴでは変な日本語をしゃべるアメリカ人に、自宅に連れて行かれ、相棒はお金を巻き上げられたりしてさんざんでしたが、懐かしいですね。いずれにせよ、西海岸はダラスと違って日本食もおいしいので楽しみです。 それでは明日から、アメリカドライブ「太平洋を見に行く編です。」(もしくはそばを食べに行く編?) |
11月18日 ウエルコネ Welcone |
日本から訪れている学生さん、幸運なことに待望の移植がありました。夜中に、すぐ隣に住んでいるレジデントに乗せてもらって、市内の空港へ飛行機で近くの待ちへのハーベストです。心臓と肺の摘出もあって堪能してもらえたようです。戻ってきたら肝移植の見学。夕方には入院患者の病歴取り、アテンディングから「明日プレゼンテーションができるか?」と聞かれて、夜遅くまでがんばっていました。でもさすがに疲れたことでしょう。 さて、アメリカ何でも問い合わせなければ進みません。ちょっと病院にかかっても、アメリカの病院の請求は医師や、病院から別々に来ます。医療保険もちゃんと支払われていないことも多く、いちいち、病院や医師に問い合わせて保険会社に請求してもらわなければなりません。そういえば、ASTSから、全く音信がないので、問い合わせたら、「今手続きが終わったところだから今日発送する。」との返事。どう考えても忘れていたとしか思えません。 管理人の仕事の一つに、当直表というのを作成することが必要なのですが、年末になるとそれぞれ勝手なことをみんな行ってきます。休暇明けでちょっとブルーな聖先生、当直予定表にコメントをつけてメールを送ってきました。「レジデントは休みもあるのに当直が少ないんじゃない。もっと当直をつけてもいいと思う。」きびしいね... 里見先生、これがいい先生とされるのでしょう? さて、今日は、埼玉のある病院のHPの紹介。刺激が強いので、ポケモン光線に弱い方はごらんにならないで下さい。また、スピーカーはオンにしてご覧下さい。 埼玉のある病院のHP http://www.aiseikai.or.jp/ そのHPをもじったサイトです。 http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/9052//welcone_aiseikai.swf |
11月17日 院内放送 Floor anouncement |
学生さんは、レジデントについて見学をしています。朝の回診前に見あたらなくなってしまいました。彼はポケベルを持っていません。 「どうやって呼び出そうか?」 「院内放送で呼んだら、でも英語だとわからないかもしれないね。」 「じゃ、日本語でやったらいいんじゃない。」「ソーダね。」 「吉田先生、吉田先生至急ナースステーションまでいらしてください。(これはほんとの日本語)」 とやりました。やってみてからなかなか懐かしい響きですね。 ところが、これが予想以上に看護婦に受けて、喜んでくれました。このあたりのセンスはわかってくれるようです。もしこれを日本でやったら婦長にこっぴどくしかられるだろうね。 さて、プログラムディレクターの怖いレジデント君。聖先生が、ぱっぱとアテンディングの問いに対してデータを出してくれないので、いらいらしています。 「聖先生はだめだ、首だ。」などと生意気なことを行っています。 あさってから彼ら二人組です。がんばってくださいね。 |
11月16日 タイレストランにて Have a Thai lunch |
今日もつつがなく一日が終わります。昼の回診の後に、レジデントと医学生と一緒に病院の近くのタイレストランへ。レジデントは相変わらずプログラムディレクターの愚痴を話しています。昨日の手術の時も、僕が彼の英語が聞き取れなかったら「上野先生は酒でも飲んでいるのかい?」といっていたらしくて、受けていたようです。(何のことだ?)ただ、それが英語が聞き取れないだけだというのがなかなか理解してもらえないようです。困った物です。 そんな愚痴を聞いているところに、アテンディングの首里先生が入ってきます。彼も、一人でこのお店に入ってきたようです。なんたる偶然(というか彼はこのお店がお気に入りなのです。)結果的にはお昼をごちそうしていただきました。 旅行前に抄録を仕上げなければいけないのですが、相変わらず、投稿用のサイトが開いていません。本当は9月には開いているはずなのですがどうなっているのでしょうか。最近ほとんどの投稿がサイトベースになってぎりぎりでもよくなったのはありがたいのですが、調子が悪いというのは困りものです。 さて、いつも抄録、論文の度に数学な苦手な管理人を苦しめる統計。しかも、商用の統計ソフトは個人で手に入れるには高すぎます。みんな苦手な人が多いのか、統計の解説サイトというのは充実していています。管理人のお気に入りは群馬大学の青木先生のサイトです。 おしゃべりな部屋 (http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/) 青木先生の総合サイトです。Excel用の統計マクロなどもおいてあります。 統計学自習ノート (http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/lecture/) 青木先生のかかれた、統計学の解説ページ。わかりやすくておすすめです。 Yoshiro Yamamoto's Home Page (http://datamining.tama.ac.jp/~yama/) フリーの統計パッケージである"R"の解説が充実しています。 |
11月15日 医学生がきた Japanese Medical student |
今日から日本の医学生が見学に来ています。朝は、患者さんと同じアパートのTwice Blessed Placeから病院へ出かけます。まず、回診について、回診見学。回診の前にはレジデント君について診察の仕方の見学です。 昼間には、緊急の手術が入ったので、手洗いをして、手術を見学します。靴のままではいることが驚きだったようです。 手術が終わると、時間ができました。常のことですが見学者が来るとサービスが静かになります。そんなわけで、ダラス郊外のモール見学に出かけます。アメリカのモールは大きいでしょう。かれは、その中でも携帯電話に興味があったようです。 モールの次は、テキサスステーキです。おきまりですが、Trail Dustへステーキを食べに。このとき、レジデントも一緒に行くことになっていたのですが、たどり着く前に呼ばれて病院にもどらなければいけなくなってしまいました。後でわかったことですが、コーディネーターが間違えて腎臓内科の患者を移植外科に回してきたようです。怒って電話を掛けてきました。 彼は、アテンディングたちの評価を非常に気にしているようで、管理人と夕食をとても一緒に食べたかったようです。旅行の前に出かけましょうね。 ちなみに、Trail Dustで彼が頼んだのは"Cowboy"大きなステーキに満足してくれたでしょうか。 実はこの彼、右脳先生のところの研修医とお友達らしいです。その研修医のお友達が買い込んで処分に困ったPalm本を彼にあげたとか。世の中狭いですね。 今日の紙芝居(クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
11月14日 ただの日記3 |
今日は医学生の最終日。学生とはいえよく働いてくれました。こちらでは学生といえども戦力の一員です。代わって、日本からの学生さんが見学に来ました。Palmつながりでの見学です。詳細はまた後日に。 今日は、肝移植と、腎移植が2件入っていたのですが、直前に感染症であることが判明してキャンセル。同時に3人の入院をとったのにふいになって泣かされます。最も、入院してきた患者さんはもっと泣かされますが。 ともかく、旅行に行く前に抄録を仕上げないといけないのですが、いつもながら統計には泣かされます。統計ソフトパッケージは高くて手が出ないし、数式を勉強してEXCELで手計算では疲れます。 |
11月13日 ただの日記2 |
今日は、腎移植それから、夜もレジデントと学生の手術指導で呼ばれます。フェロー一人だと、自分が当直出なくても呼ばれるので休まるときがありません。そうとはいえ、レジデントや医学生に手術を教える方が、病棟管理を教えるよりは英語をそんなに使わなくてすむので楽しいですね。 さて、明日からは日本の医学生が見学に来ます。ここ数日間は毎日のように移植があるのですが、彼が来たとたんにぱたっとなくなるということがないといいのですが。 そんなわけで、掲示板のお返事、メールのお返事が滞っていますが、少し本業がおとなしくなるまでお待ち下さい。 |
11月12日 ただの日記 |
今日は当直でもないのでに、研修医の尻ぬぐいで午前3時に呼ばれて、そのまま朝から肝移植。午後も、腎移植が続きます。抄録の締め切りもあるし、論文の書き直しや、原稿の校正もありますが、今日は眠いのでお休みです。 |
11月10日 面接 Interview |
昨日から、聖先生がいないのですが、こういうときに限って忙しくなります。当直も2日おきです。朝から、肝移植でしたが今日は無輸血、時間も3時間半でした。午後も別の手術があって、一日中手術室です。明日は、フォートワースで肝移植なので、またお出かけです。 そんな中でも、昼には面接に来たフェローの応募者を連れて、昼食です。面接については明日また書きましょう。原稿の締め切りもすぎてますし、さすがに眠いので、今日はここまで。 今は、カルフォルニア蕎麦旅行が楽しみです。 |
11月9日 平凡な生活 Uneventful life |
移植外科に来る患者さんは、言ってみれば非常に日常生活と離れたところにいます。それは患者さん本人だけではなく家族全員を巻き込んでいます。 ある患者さんが移植後うまく移植肝臓が働きませんでした。Primaly Non Functionといって、まれではありますが、術後の合併症の一つとして起こることがあります。働かない肝臓は、壊死して有害物質を出していきますので、患者さんはどんどん危篤な状態になっていきます。 こちらは付きっきりで、昇圧剤を加えたり、連続透析を行うなど、少しでも状態を改善しようとしますが、どんどん容態悪くなります。翌日の朝には、再手術、夜には移植した肝臓の摘出手術を行います。 管理人の親と同じくらいの患者さんなので、娘さんも同い年くらいです。実際の手術はアテンディングが術者をしますが、ICUで見ているのはフェローなので、家族から見たら、管理人がFront Lineにいるように見えます。 患者さんの家族は、 「また上野先生が手術に入ってくださいますよね。」 「ちゃんと寝ていますか?」といってくれますが、 肝摘出手術のしたときの腸の色を見れば予後がきわめて悪いのはわかります。医師の場合はある程度予後を知ることができます。それは家族と接するに当たってとても悲しいことです。ICUの肝移植を受けた看護婦さんは「上野先生はあまりにも悲観的」だといいますが、うまくいくときは非常にうまくいきますが、そうでなければ免疫抑制化にある患者さんは坂道を転げ落ちるように容態は悪化してい来ます。。 近所のお医者さんに行くことが日常の生活の一部だとしたならば、入院している患者さんは戦場に来たようなものです。ここの医師の仕事は患者さんに平凡な生活を取り戻すお手伝いをすることですが、残念なことに、いつもうまくいくとは限りません。移植外科にとっては、退院後、家庭医のフォローだけですんで、移植外科に戻ってこないのがある意味では何よりもうれしいことです。 プロジェクトXで放送された、瀬戸大橋建設のリーダーであった34歳の妻を胃がんでなくした天才技術者、杉田秀夫の言葉が心に染みます。 橋を造る経験が人より余計にあったからといって 人生の価値とは全く別のこと 偉大なる人生とはどんな人生を言うのか これは非常に難い問題 瀬戸大橋を造るよりはるかにかに難しい問題です。 杉田秀夫 まあ、そんなわけで、昨日の晩に引き続いて今日も病院に泊まりです。今日は、レジデントが当直ですが、カバーするフェローは管理人だけなのです。聖先生は一週間の休暇でルイジアナです。昨日はICUのナース控え室で居眠りしていたら、看護婦さんが入り口に札を掛けてくれました。今日は新人の看護婦さんのパーティーです。オイルレスクッカーがいいですね。 今日の紙芝居(クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
11月8日 インフルエンザ flu shot |
今日は当直です。午前中は手術、午後は検査待ちだけで比較的暇です。夜勤のナースもエキスパートがそろっているので安心です。 今月は職員のインフルエンザの予防接種の月。職員は無料。家族は$15で予防接種が受けられます。いざ注射となると結構怖いものです。 今日は、雨模様ですが、11月2日のWhat's Newにある、アジリティーの大会をのぞいてみました。あいにく、今日は当直なので、のぞき見程度でしたが、天気がよくなれば楽しそうです。明日まであるので、手術がなければまた訪れてみましょう。 会場はこちらです。 Las Colinas Equestrian Center (http://www.lascolinasequestrian.com/) さて、皆さんもご存じだと思いますが、Tungsten T3にはSDカード周りでの不具合が報告されています。PalmOneのページよりアップデートプログラムが配布されています。アップデートを実行すると、メモリーが全部消去されますのでお気をつけを。 Palm One Tungsten T3 update (http://www.palmone.com/us/support/downloads/tungstent3/t3_update.html) 今日の紙芝居(クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
11月7日 語学留学とホームステイ |
今日は肝移植が直列で二件、おかげで、検査待ちの間(午前2時)に書いています。さすがに今日は疲れたのでこれくらいで寝ます。明日も当直だし。 ダラス情報板より(メールアドレスの登録もできます.) 03/11/07(金)23:57:09 投稿者[Bevo] <http://www.members.aol.com/Bevoear>
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11月6日 医師とリーダーシップ Doctor and Leadership |
今日はつつがなくM&Mが終わりました。毎度のこととはいえ、スライド作りも大変です。 話は変わりますが、日本では、カルテを開示することを前提として書くということが最近は進んでいるようですが、アメリカでは、さらに進んで、訴えられることを前提にして書くということが大事です。フェローやレジデントの場合は、意志決定を自分たちがしたわけではない。ということで、d/w ( Discuss with) Dr. 誰々というようなことを、カルテに書き記しておきます。また、処置にしても IndicationでDr.誰々のオーダーだということを書き記しておいた方が無難です。 昨日の続きですか、養老氏がリーダーシップと医師について書いていました。 【インタビュー】医者と患者の壁 養老孟司氏 (2003-11-04 14:46:33) JPN より 頻発する医療事故。この問題に医師と患者はどのように向き合っていけばいいのだろうか−。ベストセラー「バカの壁」の著者で解剖学者でもある養老孟司氏に話を聞いた。 −インターン時代の体験 医療過誤の問題は非常に難しい。このことは、インターンの時(当時昭和37年)に気がついていた。 ◇体験談その1・血液型の書き間違い◇ 実は輸血の問題でひっかかったことがある。具体的に言うと、若い女性の患者さんが本態性高血圧ということで、東大病院の内科に手術のために入院してきた時のこと。最終的には血管造影をやって腎動脈狭窄という診断がついた。腎臓の動脈の一部が細くなって血流が下がると、当然のことながら血圧を上げようとする。当時はその血管を取るという手術でした。 今でも覚えているのは、上の先生に「あんたが担当だから、血液型だけは自分で調べろよ」と言われたことです。早速病室に戻って患者のカルテを見た。すると、厚いカルテの1頁目に血液型の判定結果がでている。A型、と。しかも血液型の判定に使った液を吸い取った濾紙が貼ってあるんですよ。血液の判定は黄色い液が固まればA型、青い液が固まればB型、両方が固まればAB型、どちらも固まらなければO型、となります。血液が固まりになっているから、濾紙に吸い取られた状態で見えるんですよ。それまで貼ってあるから、もう僕はこの患者さんはA型でいいんだと思った。しかもこれを書いているのは、内科の医師、つまり僕の先輩ですよ。こっちはペーペーのインターンだし。信用するに決まっている。 それが翌日大目玉をくらった。手術室で輸血する前に、看護師がクロスマッチするでしょ。輸血用の血液と患者の血液を混ぜる。そうしたら固まっちゃった。 病室へ帰ってもう一度カルテを見た。当然のことながら、濾紙の判定結果は正しいんですよ。が、何と内科の医師が書き間違えていたのです。B型と出た濾紙を貼って「A型」と書いていたのですよ。濾紙の片方が固まっている場合、A型かB型のどちらかしかないんだから、間違える確率は二分の一です。目の前で起こっていることだってそういう風に間違えるのものなんですよ、人間なんて。 それがわかった瞬間に真っ青になった。一体俺は誰を信用したらいいのかと。だって、先輩の医者をそういうところで疑うなんて失礼な話でしょ。患者さんの命に別状がなかったことが幸いでしたが。 ◇体験談その2・血管の取り違い◇ もう1つ体験談。上顎癌患者の手術を手伝った時のこと。当時は顔半分をとるというひどい手術をやったんですよ。上顎洞を取ると眼球を支える床がなくなるから眼球が落ちる。だから眼球を摘出するしかない。そして外側は頬がなくなる。つまり顔半分が穴になってしまう。そういう大手術のためにお年寄りの方が東大病院耳鼻科の外来に来た。 朝の8時から3時半までにわたる大手術の手伝いをし、その間飲まず食わず、トイレにも行かず。その日はくたくたになって帰りました。 翌日病院へ行くと、患者さんのベッドの横に教授以下が全員立っている。何と患者さんの意識がなくなっていた。何故だ、手術はちゃんとやったのに。すると、病理の奴がピンセットで「あ、これだこれだ」とつまんで終わり。これとは血管だった。 骨の手術というのは大量に出血するから、出血を少なくするためにいちいち血管を縛るんですよ。この手術でも2本に分かれている頚動脈のうち、首の方から1つの頚動脈を取り出して縛ってあったのです。頚動脈には顔の方に行く外頚動脈と、脳に行く内頚動脈の2つがあるのですが、この手術では顔の方には血液が行かなくても困らないとして、外頚動脈を縛った。すると出血が少なくてすむから。 病理の奴がこれだ、と言ってつまんだのは頚動脈。縛ってあったのは内頚動脈の方だったのです。これは単純な間違いです。最初の手技が既に間違っていたのですから。実は頚動脈を外に出すときは、首のところでねじるので内と外の位置が変わりやすいのです。だからよくよく確認しなきゃいけなかったのに、とにかく手術が大変でしょう。手術のことを一生懸命考えていると、手術前のこういうことまで気が回らない。後から思えば、手術が終わってから縛ったものを外しておけばよかったのですが、その時は出血をおさえる為に良かれと思って縛ったままにしておいた。しかし、最初から縛るべき血管が間違っていた。しかも、悪いことに患者さんがお年寄りで動脈硬化を起こしていたから融通がきかなかった。今だったら典型的な医療過誤。 こういう体験をすると、一体臨床で患者さんを診た時に、僕が主治医だったらどこまで責任をとったらいいのか。そういうことが突然目の前に浮かんできたのです。 −真のリーダーの必要性 ◇リーダーとは全責任を負うことができる人◇ そこで、戦後の社会問題、つまり敗戦によるリーダー不在の問題にぶつかる。最近サラリーマンの雑誌がよく「指導者」「リーダー」と書いている。では指導者とは何か。その人が決定したことは取り返しがつかない、というのが指導者なのですよ。小泉首相がイラクに兵隊を出すと言ったら、その兵隊が死ぬのは小泉の責任、判断ですよ。兵隊が死ぬからやめようというのも1つの考え。ここはやむを得ないから送るというのも1つの考え。誰かが決めざるを得ない。リーダーというのはそれを背負う人なんですよ。つまり、自分がいかに医療過誤を犯そうが、ともかく患者の面倒をみて責任を取るのは俺しかいない、という気持ちがないと出来ない。それをリーダーと言うんですよ。 患者の命を奪うことは十分ありうる。うちの母は開業医をやっていたけれど「100人殺さなきゃまともな医者になれない」と言っていた。それは聞きようによってはものすごく無責任だけど、ある意味では正しいんですよ。なぜなら、誰かが決めなきゃいけなくて、その決めなきゃいけない立場にたたされることは人間には十分にありうるから。 だけど、戦後の社会を見て下さい。ジャーナリズムが報道してきたことはほとんどが被害者の気持ちですよ。じゃあリーダーの気持ちはどうか。日本で一番典型的に言われる人は乃木大将でしょう。彼は一体、二百三高地で何人の兵隊を殺したのか。自分の息子2人も含めて。その人の気持ちはどうかということは一切触れずにきたでしょう。また、東条英機はけしからんということは言ってきたけど、東条に「自分の命令で死んだ人にどういう気持ちでいたんですか」と聞いた人は1人もいない。 ◇リーダー教育の欠如◇ 患者1人ひとりか集団かの違いはあるけれど、あることのために犠牲者が出ると言う点では、医者も実はそれと同じでしょう。だから医学の進歩がある。だけど、そんな気持ち今の人にはわからないでしょう。 僕は、インターンをやっていた27歳の時、その歳になって病院に行って患者さんを直に扱った瞬間にそのことに気が付いた。逆に言うと、それまで一切教わっていなかったということ。東大医学部のエリート教育なんて全くウソですよ。逆でしょう。エリートっていうのは、お前さんがやったら患者さんが死ぬんだということを叩き込むことなのですから。そこで学生は悩まなければいけないのですよ。 戦後の日本というのはそれを一切教えないできた。外してきたんですよ。何故かというと、大事なことは全部アメリカが言う通りにやってきたからですよ。そこでリーダー、つまりエリートが育つはずがないでしょう。エリートというのは何もいい待遇を受けるとか、金が儲かるとか、そういうことではないですよ。他の人の運命を引き受ける。その結果何が起ころうと自分の気持ちは治めなきゃならないという人。しかも大きな害と小さな害を比べたら、小さな害の方を選ばなきゃいけないという人。場合によっては黙って人殺しをしなきゃならないかもしれない。そういう人なんですよ。 新聞や雑誌の記事を書いてる人が、そういうことをわかって書いていると思いますか。 −医者と患者の壁 ◇医者はリーダーとしてもっと発言するべきだ◇ 医者の側だって言ってみれば安易に医者になっている。東大医学部だったら、これだけ成績が良ければ医者になれると思っている。両親が授業料払うだけの経済的余裕があるから医者になる人もいる。それで医者になられたらたまりませんよ。利口だとかバカだとか極端に言えば関係ない。正しい判断をできるかどうかです。自分が判断して犠牲者が出るのはある意味で当然なんですよ、この世界は。あの先生が言った事は間違いないですと言っても、結果が間違いだったらそれじゃすまない。血液型の問題と同じですよ。じゃあ間違うことがあるか、といったら、人間だからありますよ、それは。それを全部背負っていくのがエリートでしょ。 僕の医学部の同級生で病院の院長クラスの人は、もうそろそろ、あと数か月、半年位で定年を迎える。その人たちが、昨年のクラス会で何て言ったと思いますか。ほとんどの人が「定年まで事故が起こらなければいいなと毎日祈ってます」と言うんですよ。今頃そんなことを言うなら医者にならなければよかったのに、と思いますよ。だって逆でしょう。事故があって当たり前と思わなきゃいけないんですよ、本当のエリートは。そういうことが起こった時こそ院長の出番だと思ってなきゃいけない。だからリーダーがリーダーじゃないんですよ。 それから医者はリーダーとしてもっと発言すべきです。医師会は経団連に加入しろと言いたくなる。だって診療報酬のことしか言わないでしょう。脳死とか安楽死とか、職能団体として当然言うべきことをあまり言ってないでしょう。医師自身がどう思っているか、もっときちんと発言すればよいのです。 ◇患者にも医者の立場でものを考えて欲しい◇ 僕が医者をやったら医療事故続発だよ、と思う。同じように患者さんが考えてくれればいいんですよ。それが人の立場でものを考えるということでしょう。医療過誤とかうるさいことを言わずに、「医者をやれ」と言うんだよ。やったらすぐにわかるでしょ。一体何を信用したらいいのかという所から始まって、間違ったらどうするかと心配したら夜も眠れなくなってしまう。 エリートっていうのはその立場に立ってくれる人が少ないんですよ。大抵の人は庶民なんだから。庶民の立場に立つのは易しいんです。だれが東条の気持ちになれるか。ほとんどの人はその気持ちがわからない。みんな私は被害者だと主張する。 僕は、これは臨床なんかできない、何人殺すかわからない、と思ったから解剖の世界へ進んだ。他の同級生が臨床に行くとき「あいつらよく平気でなれるよ」とも思った。だけど、そういう風に誰かに医者になってもらわなきゃ。僕みたいな連中だけだったら誰も医者にならないもの。 患者は経験年数が長い医者にかかりたがる。誰も初めての患者になりたがらない。でもどんな医者だってはじめての手術というのがある。大学病院の医者の平均寿命をみたら、他の職業より短いというデータがありますよ。自分の面倒をみてるヒマがない、可哀想ですよ。 ◇大切なのは患者と医者の信頼関係◇ 事故を少なくするために一番いいのはニアミスをオープンにすることですよ。これだけニアミスがあるのだから。だから僕も体験した血液型の問題を話したんですよ。 でも実際はニアミスすらオープンにしてないでしょ。何故かと言うと、医療には難しい問題があって、信頼感に関わってくるから。そんな危ないことをやっているのか、という話になるから。信頼感に欠けるということは患者の精神状態にとって良くない。この先生にやってもらって本当に大丈夫かな、と思っていること自体が病気に良くないでしょ。“いわしの頭も信心から”ですよ。いつ間違えるかわからないと思っていたら、患者の方もおちおち眠れないという話になる。医者が患者を信頼して、患者が医者を信頼する関係があれば、スムーズに行くんですよ、そこから先は。 結局は信用するしかない。それは大学紛争を体験しているからよく知っています。学生と教授がお互いに信用しないとどんなひどいことになるか。その結果誰が得をしたか。不信感からは何も生まれませんよ。社会のコストが増えるだけです。 古い考え方かもしれないが、世の中は後になればなるほど悪くなる。近代化は決していいことだと思っていません。医療訴訟なんてやたらコストがかかってしょうがない。今、法科大学院を増やしていますが、それだってコストがかかるだけです。非常に保守的にみえるかもしれないけれど、やはり「医者にお任せします」というのがいいと思ってます。信頼関係が一番大事なんですよ。(了) |
11月5日 さよならクリエ Good bye Clie |
明日は、M&Mの日なので、また今晩もスライド作成です。当直業務も忙しいので、結局夜中になってからスライドに取りかかります。学会の締め切りも来月頭なので、抄録をボスのところへ手直しに持って行ったら。どうも一番乗りだったようで、尾中先生などが「今年は上野先生が一番乗りじゃないか!」と騒いでいます。自分ではまとめきらないから早く持って行っているだけなのですが... さて、当医局?でも管理人の旅行好きは有名になりつつあって、「次はどこに行くんだいと?」とか「アメリカ人よりもよっぽど多く旅行している。」といわれています。そんな期待に応えるべく、次はカルフォルニアだというと「おー。」という声が上がるので、やっぱりカルフォルニアは飛行機で行くところのようです。 昼間、日本の話が出て、「自殺者が多いのだろ?」という話が出ていました。日本の自殺者数は3万人あまりで、OECDの中では人口あたりの比率では第2位、アメリカの2.5倍です。ちなみに殺人事件は最下位で、アメリカの9分の一です。殺人事件率のトップのメキシコが、自殺率では最下位になります。人のせいにする国民性か、内証的な国民性かの違いなのでしょうか。 アメリカから見た日本の記事 http://www.realcities.com/mld/krwashington/4768129.htm 養老孟司氏と黒川清氏の対談より http://www.doctrina-md.com/kiyoshi_kurokawa/articles/pdf/theses/20030401.pdf 養老氏、医者とリーダ論についても興味深い記事を書いています。明日ご紹介しましょう。 先日壊れたSJ33ソニーに修理に出したところ見積もりは33710円なり、「本体に損傷が加えられた形跡があるので、保証では修理できない。」とのこと。通常の使用?で壊れるような製品を作っておいてどういうつもりなんだ!といいたいところだが、T-600の時は、明らかに本体にひびが入っているのにもかかわらず、保証修理でした。最も修理したところで、すぐに壊れるので実用になりませんが。 最近のクリエは、壊れやすいのは元々ですが、性能的にもごてごてとついているだけで、基本性能が実用的ではありません。それに比べると、Tungsten T3の魅力的なこと。この、ソリッドな感覚が仕事(遊び?)に使うおもちゃとしては何よりです。 時差の都合で、サービスセンターには電話が掛けられないので、また、何を持って、本体の損傷かは後日はっきりさせますが、当分はクリエは買わないでしょうね。Tungstenの日本語版がないのが実に惜しいです。すごく売れると思うのですが。 |
11月4日 The Best Doctors in Dallas. |
今日は、フォートワースとダラスとで肝移植です。管理人はフォートワースまでドライブ、11月から新しく来た研修医と手術です。最近フォートワースは近くの病院の外科系レジデントが、廻ってくるのですが、このレジデントたちは、D.O.のタイトルで、経歴も一風変わった人たちが多いです。 さて、ダラスにはD Magazineという、ローカルな月刊誌があるのですが、今月号の特集は、「The Best Doctors in Dallas」です。なんと、管理人その中に載りました。 とはいっても、Best Doctorsではなくて、うちのボスの背景の写真の一部ですが。どちらかといったら Worst Doctorですからね。 さて、今月も性懲りもなくドライブ旅行です。11月中旬、感謝祭の直前に一週間の休暇を取って、今回はニューメキシコ、アリゾナ、カルフォルニアと西の方を目指してみましょう。この時期は、やっぱり、フロリダかカルフォルニアですね。 今日の紙芝居(クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
11月3日 60%の意味 60% means? |
自分でこういう仕事をしていて、ほんとに、患者さんや患者さんの家族は強いと思いますね。ほとんどの病気は、ほとんど理不尽にかかりますし。「どうして自分だけが。」と思って、幸せそうな、家族を見るとうらやましくなるでしょう。お金で、病気が治ればやすいものですが、なかなかそうはいきません。 以前の病院でも、乳ガンの患者さんを多く診察していたのですが、こちらからすれば、治療は確率の話し、直るも八卦直らぬも八卦。患者さんにとっては、1かゼロ。再診の度に再発していないかおびえ、直ると信じて、化学療法にすがるしかないのです。勝つかどうかわからない中で戦わなければならないのは、非常につらいことです。 それでも、戦わなければ死があるだけなので、戦うしかありません。不安になってくらくなるのが当然で。患者さんが明るくしているのを見ると、ほんとにすごいなと思います。 また、来年の健康保険の加入の時期が始まりました。ひどい話しなのは、Web上には、保険の適応範囲が記載されていないので、加入してメンバーにならないと、どの程度まで保険が下りるのかがわかりません。結局電話して直接聞く必要があるのです。すべてにおいてめんどくさいアメリカ生活でした。 Day 14 |
11月2日 のんきすぎ Take it easy |
今日でで、プログラムディレクターの回診は終わりです。昨日は一晩中、おびえた当直の研修医から電話がかかってきました。それだけやっても、まあ結局「どうしてもっとよく指導しなかったんだ。」と怒られるわけです。 回診中にもばしばしと質問が飛びます。医学生に 「肝移植後に急性拒絶反応が起きるのは何日目だね。」 情けなさ総なめでこちらを見るので、こちらが指を7本たててシグナルを送ると、 「2日目です!」 どうも、片手の指だけを数えたようです。 傷から再出血した患者さんの報告をレジデントがすると、 「この腎不全の患者さんはどうして、出血傾向になったんだね?PT/PTT Pltは正常だろ」 おびえたレジデントが答えられないので、手のひらに「BUN↑、Plt func」と書いてサインを送っても、あがったなんかとんちんかんな答えをしています。なかなかサインは通りません。 明日からは、回診担当が変わるのですが、ジュニアフェローの聖先生「楽にはなるけど、あんまり勉強にならなくなるね。」と研修医に語っています。おいおい、君は他人事だけど、一晩中研修医から呼ばれて、挙げ句の果てには管理責任を問われるこっちの身にもなってくれ。 聖先生、回診の後にもう一発。「今度の休暇でニューオリンズに行こうと思っているんだけど、どうかな?」 管理人、「誰のせいで、5分しかニューオリンズにいられなかったと思っているんだい?┐( -"-)┌ 」(先月彼が手に負えなくなったため、急いでニューオリンズからダラスに戻ってきたのでした。) とってもファニーな聖先生でした。 突然ですがPalmに入れる辞書についてしましょう。Palm用の辞書としてとしては、Pocket Lingoシリーズや、KDIC以外にもPDICの辞書や、電子ブックの辞書などが利用できます。今日はそのうちPDICについて紹介しましょう。 WDIC (http://www5b.biglobe.ne.jp/~ekuta/) PDIC対応の辞書をPalmで読み込むためのソフト。 英辞朗 (http://member.nifty.ne.jp/eijiro/) PDIC対応の80万字の巨大辞書。WDICを利用すればPalmでも使用できます。 医学辞書データ (http://www.nnc.or.jp/~otaderma/) 太田皮膚科さんにて編纂のPDIC医学用語辞典です。 Day 13 (メールアドレスの登録もできます.) 03/10/30(木)16:08:42 投稿者[あおき]
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11月1日 ヤンキー Yankee |
研修医君今日戻ってきたのですが、面接はうまくいったようです。ところが今日の彼の当直、プログラムディレクターが怖くて連絡ができません。いちいち、彼が病棟から連絡を受けるたびに、管理人のところに問い合わせをして、「こうやればいいのか」と問い合わせてきます。ディレクターも熱心にやるのはいいのですが、そんなに研修医を震え上がらせてもかえって困ってしまいます。 さて、今日はPlanoのSushi Placeへお弁当を買いに行きます。今日は牛丼とお弁当を買って帰ってきたのですが、なかなか、これがいけます。以前、10年くらい前にロスアンジェルスの吉野家に行ったことがあるのですが、ここの牛丼がまずくてまずくて、それ以来アメリカで牛丼ということを食べたことはありませんでした。 牛丼といえば、京都で学生をしていたときに、よく夜中にドライブに行って明け方になってから「なか卯」の牛丼を食べて帰ると言うことがよくありました。 ドライブといえば、関西にも、静岡にもよく夜中に走り屋がいたものでした。走り屋は、ヤンキーと呼ばれていたのですが、実際アメリカにはヤンキーは少ないのです。ごくまれに、日本のヤンキーのような車が走っているのですが、日本のものに比べると貧しいものです。しかも、意外と日本語のステッカーが貼ってあったりします。 そういえば今日初めて気づいたのですが、Tungsten T3はグラフティーエリアでなくても、入力ができるのですね。すごく驚きました。(この説明だといまいちわかっていただけないと思いますが。) さて、「白い巨塔」ますますおもしろくなってきましたね。予想に反してかなりはまりそうです。助教授ぐらいになるとこんなに大変なのかなと思わせるくらい真実味がありますね。また、もうひとつ、「あなたの隣に誰かいる」、日常生活の少し変?と殺人とが絡んで、どうやって進んでいくのか楽しみですね。 Day 12 162830 (クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
10月31日 インターネット Internet |
今日はハローウィーン。病棟助手から、「何か買ってきて。」といわれていたのですが、病棟に行く前に、「患者さんの血圧が下がっています。」とのコールで病院に直行です。後で責められましたが。 さて、病棟は、今日は仮装でいっぱいです。去年は、かなり気合いを入れてやっていたのですが、ことしはまあまあです。 「患者さんの血圧が70です。」と、ショックな患者さんの前で猫の仮装の顔で言われても、「Bolus 1l NS」の声が思わずうわずってしまい真剣味が出ない。ハローウィンの病棟でした。 さて、以前、管理人がここで紹介した研修医関係のサイトの管理者から、「中傷メールが増えてしまったのでリンクを削除していただけないか。」との連絡を受けました。管理人としては、今回のことを重要に受け止めています。幸いこのサイトは今まで苦情のメールを受けたことはありませんが、今後どうなるかはわかりません。 まず、くだんのサイトの作成者は、あくまでも逆説的に書いているのにもかかわらず、それをそのままとってなぜ中傷メールが送られるのか、管理人には疑問が残ります。それぐらいの粋な心があってもいいのではないでしょうか。 そもそも、インターネットの利点および、危険性は匿名性にあります。このサイトは、実名で行っていますが、多くのサイトは匿名のままで行っています。たとえば、このサイトがリンクしている多くの医学系のサイトは匿名のサイトです。匿名にすることによって、自由に意見が書けると言うこともありますし、自分のプライバシーが守られると言うこともあります。私のサイトも、極力プライベート(たとえば家族のこととか)は書いていません。また、このサイト自身も一番最後の端書きにあるように と、内容は、必ずしも、事実と一致しているとは限りません。これは実在の団体の宣伝の一部であるサイトや、出版物とは異なるわけです。 さて、サイトの利用者側からは、この点をふまえて、内容を割り引いて読まなければなりません。インターネットの歴史上、その匿名性が発達に寄与していたのですし、また、サイト作成者は自分のみを守るためには匿名にすることはしかたが無いことです。サイト作成者には、問い合わせに答える義務も、身元を明らかにする義務も全くありません。中傷のメールを送ったりするのはもってのほかですし、返事がないので憤慨するのはやめていただきたいと思います。 いくつかのサイトは非常に壊れやすくて、中傷メールなどで閉鎖してしまったものがたくさんあります。いくら実名でしたとしても、普通の生活を送るサイト管理者にとっては、中傷メールが送られることはテロ行為と同じです。インターネットは多様な考え方、サブカルチャーの土壌です。それをでつぶさないようにしてください。 Day 11 (クリックすると拡大します。Click a picture to enlarge it.) |
10月30日 患者さんの思うこと |
今日は当直だけれども、そんなに忙しくもなし。朝の回診からディレクターが例によってとばしています。彼はいつも外科のベーシックなところをついてきますが、よく勉強しています。 まあ、移植外科は大変だけれども、患者さんからは大変感謝されますよ。そうでないこともたまにはありますが、日本にいたときも主には癌の患者さん。前の病院では乳ガンの患者さんが多かったですが、こちらは研修医なのにもかかわらず、よく感謝されたものでした。 FMJのメーリングリストより、許可を得て転載いたします。 患者さんの思うこと またまた患者の立場から横道に入ってしまうのですが、私の夫はほぼ10年間の間に、声帯肉芽腫で3回手術しておりまして(声帯肉芽腫、という病名を聞いたのは3回目で、1回2回めまでは良性の腫瘍だといわれておりました)、1回目と2回目は同じ病院でした。 1回目はなかなか厳しかったものの、その2回目のときの医師がなかなかよいと思われたので、3回目の再発と思われたときには、迷わずその医師がそのまま以前の病院に残られているかを確かめたところ、もういらっしゃらない、ということでした。 そこで、インターネットなどで検索し、その医師が今、どこに勤務しておられるのかを調べたところ、ほぼ1年間、あるいはそれよりも短い期間で4、5年の間に、毎年のように病院を変わられているのがわかり、私たちはその医師を追いかけることを断念しました。 正直な話、その医師に対する私たちの評価は不変でしたが、その医師のコミュニケーション能力に対する疑問が先に立ったからです。 これはまったくの誤解であるかもしれません。本当に優秀で、素晴らしい医師だったのかもしれない。でも、私達は選ばなかった。 最終的に勤務していらした病院が、つい最近重大な医療ミスで評判になった大学病院の耳鼻咽喉科であった。自宅から通院するにはかなり苦しい場所であった。等の理由もあったのですが、なによりも夫が自分で、「彼はいい医師だ」と信じた患者としての意志を、しっかり自身で信じて貫きたい、との思いはあったのですが。 3回目の手術で、初めて声帯肉芽腫という病名を聞き、これからも再発し続けるであろうこと、手術後のステロイド吸飲が有効と思われること、など、それまで知らなかった情報もいただき、今回の主治医にも私たちは満足しています。 しかし、その満足している主治医が「手術以外の選択肢」について訪ねたとき、「べつに声が出なくても、社会生活は可能でしょう」といった一言は、「ああ、やっぱりこいつも・・・」という思いを胸の奥底にぽつんと残しましたし、医師に対する不信は、いつだってそんな一言にあるのだということを、この人達は分かってるのかな、と改めて感じてしまうのです。 実際、家族を持った40代の営業職のサラリーマンが、どうやって声が出ないで生活していけるというのでしょう。ただ生きていける、というのだったらそれもありかもしれませんが。 私は自分の初めての出産体験があまりにも私にとって過酷なものであったため、その後、二度と出産する気にはなれませんでした。 入院してから2日後「あなたね、実は入院してから全然お産が進んでないのよ」「(涙ぐむ私に)あんた、いくつ?」「あらあら、暴れたのね」「よかったわね、先生が手伝ってくださるって」 苦しむだけ苦しんで、挙げ句に自力で子どもを生むことすら出来なかった私は、出産以前にだめな母親だったのでしょう。 手助け下さった偉大な医師、そして助産婦、看護師の方々に心から感謝しております。 実際、私が仕事をしている雑誌では、医師の何げない一言に深く傷ついた、というケースが限りなく登場します。そしてその傷つけられた一言からどうやって立ち直り、医師とのコミュニケーションを立て直したか、という患者側の涙ぐましい努力にも。 私たちは一部の心ない医師の言動を取り上げて、あれこれ騒ぎ立てているのでしょうか。私には、かえって一部の度を超えた依存心の高い患者を、患者の代表のように取りざたされているようにも思えます。 私の関わっている雑誌では、ある若い乳がん患者の体験記「拝啓、主治医どの」が連載されていますが、切ないほどの患者からの医師に対するラブ・コールです。 いつかお互いのラブ・コールが、相手の心に届く日が来るように。そんなことが当たり前の時が来るように、この場で言葉を積み重ねているのだろう。そう信じて。 (志治) Day 10 |