Home

直線上に配置

What's Newー今日の呟きー

RSS 1.0

過去のWhat's Newはこちらから  

  Please request full translation via E-mail or BBS if you want to read contents.
 こちらで報告する患者さん、ご家族の情報また写真に関しては、患者さんご両親より掲載依頼、許可されたものを管理人が掲載しています。
日本における刑法134条、米国におけるHIPAAのガイドラインより、患者さんの状況に関して管理人はいっさいお答えできませんのでご了承下さい。


7月5日  学会へ行こう ブルッセル編 その7

 さて、今日はほぼ一年ぶりにダラスの病院へ、久しぶりの病院で懐かしいのですが、何一つ変わっていませんね。オフィスと病棟に挨拶をします。知っている患者さんが入院していたので、お見舞いに行きます。ちょうど入院していたのは奇遇なのですが、この仕事、病院で再会しないにこしたことは無いので複雑な気持ちです。早く良くなることを祈りましょう。
 後は時間までに空港に戻って、マイアミへの帰途につきます。


7月4日  学会へ行こう ブルッセル編 その6

 昨日の晩は久しぶりにマックに行きました。アメリカより一回り小さな日本サイズです。ピカチュウーを抱えた女の子が笑顔をくれました。日本のアニメはここヨーロッパでも人気があるようですね。
 さて、今日も雨です。アムステルダムのホテルの朝食は噂に聞いていたようにボリュームがあるもので、大陸といってもコンチネンタルブレックファストではないようです。
 ホテルをチェックアウトして、トラムで中央駅へ。ここからスキポール国際空港までは頻繁に列車がでています。20分ほどして空港へ。空港駅で買い物をしますが、ここのスーパーは日本食材まで充実しています。しかし、ここの空港の充実ぶりはこれからです。
 チェックインをして空港内へ。ここの免税店も非常に大きなものです。さらに出国した後にも非常に大きな免税店があり、日本人が握っている寿司屋まであります。これなら、町中でおみやげ物を買う必要が全くありません。これに比べると、成田でトランジットをする旅行者がとてもかわいそうになってきます。
 ロンドン行きの英国航空機は1時間送れて出発。厚い雲の中をガトーウィック空港へ向けて飛行します。また、こちらでダラス行きの便に乗り換え。この空港も構内は狭いですが、お店は充実していて、ヒースロー空港よりはかなりマシです。
 今日はアメリカが独立記念日だからか、セキュリティーチェックが非常に厳しいです。それでいて、ちょとぬけていたりするので...

 10時間あまりのフライトの後、アメリカン航空機はダラス・フォートワース空港に到着します。ここから、入国までの長い列。入国審査官は書類の裏書の期限が切れてると文句を言っていますが、問題なく入国(実際に問題はなかった)。今日はバジェットレンタカーで、レンタカーを借ります。前回ハーツで痛い目に遭ってからレンタカー会社をかえることにしました。こちらは、インターネットで会員登録をすると、チェックアウトをすることなく、勝手に車を選んで出発できるサービスがあります。無料な分、ハーツの会員よりいいかもしれません。
 空港近くのモーテルに宿を取って、現在見学に来ている日本人の先生と夕食を取るのですが、困ったことに、今日は独立記念日。どこも空いていません。仕方がないのでデニーズにて食事を取ります。デニーズで食事を取ったのは10年前に大学のホスピス実習に来たとき以来です。


7月3日  学会へ行こう ブルッセル編 その5

 今日はアムステルダムへ移動です。航空運賃がアムステルダムの方が安いので、アムステルダム経由の人は日本人でも多かったようです。
 長居したB&Bにお別れを告げて、ブルッセル南駅まで
こちらはユーロスターやTGVも発着する、ブルッセル最大の駅です。アムステルダムまで超特急のタリスに乗ってみたかったのですが、すでにかってしまったアムステルダム行きのチケットが変更できないとのことで、そのままインターシティーでアムステルダムへ向かいます。かかる時間は30分も違いません。

 アムステルダムはなんと言っても東京駅がお手本にした駅。とは言っても東京駅とは比較にならないくらい立派です。駅前のインフォメーションで、ホテルを探しますが、ここでは余りやすい宿は見つからないようですね。バックパッカー系の宿は、自分で歩いて探した方が良さそうです。そんなわけで、普通のホテルを紹介してもらって、チェックインをした後に街へ出かけます。

 アムステルダムの街は運河が張り巡らされてあって本当に美しい街です。今度はゆっくりと来てみたいものです。

 さて、今日はアンネの家に出かけていきます。この夏の旅行のテーマは「アンネの足跡をたどって」ということにしたので、アンネが日記を書いた隠れ家のこの家、そして8月には生まれ育った街のフランクフルト、そして、ポーランドのアウシュビッツ=ビナケナウを訪れる予定です。

 ドイツから逃げてきたアンネはこのアムステルダムで、捕らえら、アウシュビッツ=ビナケナウへ送られるまで潜伏生活を送っていました。その時の模様を綴った日記が、皆さんもよくご存じのアンネの日記です。ホロコーストでは600万人の”アンネ”がその人生をみじんにもふみにじみられたわけです。一人の命を助けるだけでも苦労している身としては、600万人という数が、想像も出来ません。

 「この忌まわしい戦争もいつか終わることでしょう。いつかはきっと私たちがただのユダヤ人でなく、一個の人間となれる日が来るはずです。」
 アンネの家では日記の引用からこの文章が最初に記されています。この事実は、遠い世界の話しでも、遠い昔の話しでもありません。


7月2日  学会へ行こう ブルッセル編 その4

 さて、今日は最終日。最後に時期学会の会場決めのプレゼンテーションと投票があったのですが、ロサンゼルスチームのプレゼンテーションがなかなかおもしろいのです。
「ロサンゼルスはブルッセルみたいに雨が降らないし。」
「年間降水量は、シカゴやミネアポリス(対抗馬)の一日の降水量と同じくらいだから。
今回の学会は雨ばっかりだったので、かなり受けていました。そのお陰か、次期学会はロサンゼルスになるようです。

 さて、日本の先生と約束して夜の見に行く前に、ブルッセル名物の小便小僧を見に行きます。これがまた中国人の人だかり。どこもかしこも中国人ばかりです。

 さて、夜は日本の小児外科の先生達とブルッセルビールを飲みに、管理人はムール貝を食べたかったのですが、季節では無いので残念ながら、食べることが出来ませんでした。そういえば、ブルッセル名物ワッフルも食べ忘れました。

 さて、飲んでいい気分になった後「小便少女を知っているか?」という話しになったのですが、このブルッセルには小便少女もいるのです。これが地球の歩き方にも載っているくらいなので有名なのでしょうね。さて、この日はさらにホテルで飲んだ後に終バスにてB&Bへ。「終バスがあるから」というのもなかなか乙なものです。

 ところが、かえったらブレーカーが上がって電気がつきません。家主も「明日の3時まではかえってこないので。」と書き置きを残して消え去っています。見知らぬベルギーの人の家でブレーカー探しです。


7月1日  学会へ行こう ブルッセル編 その3

 今日が2日目、というよりも実質上今日しかありません。さすがに今日遅刻するとまずいのですが、Palmの目覚まし機能だけでは不安になって、昨日町中を探し回った、目覚まし時計をセットします。目覚まし時計というのはいざ探すとなるとなかなか見つからないものです。

 学会が終わると今日は夕食会になります。時間があるので、中央駅のインターネットカフェによって、メールを読みに行くのですが、スパムメールを消すだけで精一杯になっています。ヨーロッパの場合ホテルでインターネットにつなぐとかなり値段が高い場合が多いのですが、駅前に気軽にインターネットカフェがあるのは便利です。ただ例によって、キーボードの配列が違うのには難渋します。

 さて、今日の夕食会はオートワールドというところ。その前に、馬のパレードを見に行くといいと、学会の受付嬢に勧められたので、行ってみた写真がこれ。これを、どうしろというのかな。

 さて、夕食会はオートワールドのなかで、まずはレセプションから。ひたすらシャンパンをあおります。7時から始まって、やっと9時から着席。オードブルはフォアグラのカルパッチョ。脂肪肝はおいしいねと笑いながら、ひたすらメインを待ちます。ところが待てど暮らせど来ません。結局、とある先生が「こんなところにはいられない。日本食を食べに行こう。」とのことで、メインを前にして、ダウンタウンに戻ります。
 お目当ての日本食屋は閉まっていて、斜め向かいの中華料理屋で青島ビールでいっぱいです。ベルギーの敵を中国ではらすと言うところでしょうか。
 それにしても、ヨーロッパの観光客の中国人の多いこと。日本人よりも圧倒的に中国人が多いのです。
 
 さて、この後さらに2時過ぎまで飲んで、タクシーでB&Bへ戻ります。タクシーの運転手も場所がわからないのによく戻れたものです。


6月30日  学会へ行こう ブルッセル編 その2

 今日は学会の初日です。ここの住人のお母さんは朝から仕事で出て行ってしまって、娘さんと二人で残されています。B&Bと言っても、朝食は本当に「勝手に冷蔵庫からとってって。」という感じで、勝手にやっています。
 さて、そろそろ出かけるために顔でも洗おうかと思ったら、お嬢さんが起きてきて洗面所を使い始めました。中学生くらいの娘さんです、朝の洗面が永遠に終わりません。管理人は部屋(洗面所の向かいでお嬢さんの隣)からでられません。
 少し静かになったと思って、中に入ったら未だアイロンがけをしています。さすがにこれ以上送れるわけにも行かないので、洗面所を代わってもらいます。これはかなり計算違いでした。

 さて、駅まではバスで30分くらい。今ひとつ場所がよくわからないので、隣のお兄さんに「中央駅はどちらですか。」と聞いたら、「もう過ぎているよ。」 焦ってバスを降りると、まだではないですか。全く、旅行先で道を聞くといい加減なことを言う人が多いのには困ります。

 なんだかんだ言って、中央駅のバス停に到着。さて、学会場のホテルを探さなければいけません。今回の旅行で一番失敗したのは、場所を事前に調べておかなかったことで、ここでも延々と歩き回ります。(ポスター8枚を抱えていることを忘れないで下さい。)

 やっと学会場にたどり着き、学会費300ユーロという以上に高い学会費を払って入ります。夜はウエルカムパーティーと言うことですが、ひたすらビールを飲みオードプルを食べて、何があるわけでも無く。初日は終わりました。
 


6月28日  学会へ行こう ブルッセル編 その1

 さて、今日から学会です。飛行機は夕方の飛行機だったのですが、早朝からプレゼンテーションの練習、その後回診をした後は、早々に帰宅してぎりぎりまでスライド作成。ベルギーには一度も行ったことがないので、一応、トラベラーズチェックの作成と、電源の変換アダプターの購入とあっと言う間に時間が過ぎます。空港に行く前に、残りのポスターも病院で拾って、急いで向かいます。今回はポスターを8枚も持って行かないといけないので、筒も2本。すっかり運び屋です。
 マイアミ空港からはアメリカン航空でロンドンへ。マイアミはアメリカン空港のハブなので、便利なのですが、アルコールが有料なのが玉に瑕です。でも、今日の機体は777で、足元も広く、ロンドンまでは原稿の準備をする間もなくて爆睡です。隣の紳士は地学の研究者で、こちらが地球の歩き方しか見せていないのに「おまえはScientistか?」と聞いてきました。彼もロンドンで学会発表があるのですが、今日飛行機の到着と共に、午後には発表があるそうです。同じくVAIOで一生懸命準備をしていました。こちらも彼より小型のVAIOでスライドを作りたかったのですが、VAIOのバッテリーが3分しか持たないので、やっぱり爆睡です。

 ヒースロー空港へは定刻通りに到着。この空港のわかりにくいこと、わかりにくいこと。狭くて案内が悪くて、また、ターミナルを映るのにもバスで、結構不便な空港です。ロンドンからアムステルダム行きの英国航空のゲートの表示が出発時刻になってもでなくて、マイアミからの家族連れと共に不安になっていまいした。

 アムステルダム行きは30分程度送れて出発。この便には結構日本人が乗っていました。1時間程度のフライトなのに一応軽食がでます。アメリカの航空会社では考えられないですね。

 さて、飛行機は2時半頃にアムステルダムに到着。このスキポール空港は評判通り非常にきれいな空港で、空港全体がモールのようです。何かヨーロッパの香りがしてきます。空港の構内に国鉄の駅があって、そちらでブルッセル行きの列車に乗ります。ブルッセルまでは30ユーロほど、自動販売機でも購入することが出来ます。
 3時40分の列車でブルッセルへ向かいます。飛行機と違って、せまっこくない上に車窓からオランダの町並みも見渡せてなかなか快適で。KIOSKEの車内販売もまわってきます。

 列車は6時20分にブルッセル北駅に到着。ところが困ったことはB&Bの場所を調べてこなかったことです。駅の構内にインターネットカフェがあったので、こちらで調べても出てきません。ちなみにこちらでメールのチェックもします。ここのカフェでは電話も使うことが出来ます。ちなみにインターネットは0.05ユーロ/分です。
 雨も降ってきて結局場所がわからないので、タクシーで向かいます。タクシーが止まったところは住宅地の中です。何にも標識がでていません。雨も降っていてもし間違っていたら泣きそうです。タクシーもその場合に備えて未だ外で待っていました。しかし、ベルを鳴らすと大家さんが出てきました。8時前にやっと、宿にたどり着き毎した。
 さて、ここのB&Bはほんとに民家の一部屋を借ります。大家さんと娘が住んでいて、娘と大家の部屋の並びの2回の3畳程度の部屋を貸してくれました。鍵を借りて、キッチンやトイレの使い方を教わります。かなり驚きましたが、「今晩お部屋を貸して下さい。」なみに、全く普通の民家に部屋を借りるのです。このあたりはイギリスのB&Bよりもより普通の家に近いようです。
 「ブルッセルの普通の生活を知りたい。」という方にはいいかもしれませんが、プライバシーがほしい方には全く向きません。ホームステイと何にも変わりません。(管理人はしたことがないけれど。)


6月26日  日本人の看護学生

 管理人が小児ICUで患者さんを見ていると。「日本人の方ですか?」との声が。この病院の隣に看護学校があって、そこの学生さんがよく実習に来ているのですが、その中に日本人の学生さんがいたのでした。
 彼は、元々バイオリニストだったそうですが、今は、看護士になるべくこちらで勉強しているそうです。管理人も日本人の看護学生さんには、初めてで会いましたね。

 さて、相変わらず、学会前になると風邪を引いてしまいます。日本に帰る前に見学に来ていた方の葛根湯を相変わらず飲んでしのいでいますが、もうすぐ飛行機に乗って休めるので、もうしばらくの辛抱です。

 さすがに、初日の泊まる場所は決めないといけないだろうとのことで、ブルッセルのB&Bに予約を入れます。最近は便利なサイトもあるようです。今回はアムステルダム空港から、陸路でブルッセル行きなのですが、ヨーロッパに行くのも久しぶりなので少々不安なところです。電源のコネクターも手に入れないといけないし、通信状況などもいまいちよくわかりません。


6月25日  去るも・・ 残るも・・

 病棟で一年目のフェローとすれ違ったら、30日には国に帰るとのこと。さすがに、少し寂しそうでした。彼女のビザが更新されないので、フェローの途中にもかかわらず、国外脱出をはからなければなりません。去年の管理人と、同じ状態です。
 昨日も、今日もパーティーがあるのですが、当科の見習いインターンは、昨日の彼の主催したパーティーにどうしてぼくが来ないんだ。としきりに言っています。誰のおかげで、24時間7日間当直だと思っているんだい?まあ、彼は見習いだから彼のせいではないのですが...
 学会ももう間近に迫っているのですが、準備がまだまだです。特に、前のインターンの先生、抄録だけ送って、「さ・よ・お・な・ら」です。まだまだ、必死にデータ解析をしている状態ですから、かなりしんどいです。
 そんなときに限って、牛乳を、デスクトップと、バイオの上にばらまきます。管理人はよくコーヒーをこぼして、VAIOのキーボードは洗っているのですが、今日は調子に乗って、デスクトップのキーボードをドライヤーで乾かしていました。ちょっと、目を離したら、すっかりキーボードはふにゃふにゃになっていまいました。結局、マイクロソフトキーボードはお釈迦です。
 まだ、航空券が取ってあるだけで、とまるところも決めていません。さて、どうしたものでしょうか。


6月23日  おいしいワインの作り方

 The Capital Grilleにて送別会。婦長いわく「ヤッピー」なワインセーラーの中で、小児移植から、腎移植までのサービス合わせての夕食会です。
 赤ワインをくぐらしながら、腎移植の先生のワインの作り方のスピーチです。

フェローはブドウ作りに似ています。
おいしいワインを作るにはまずブドウ作りからです。
いいブドウは接ぎ木(Transplant)をするところから始まります。良い土壌が大事です。
毎日、日光と、水、風が良いことを確認して、それからお祈りをすることも。でも一番大事なことはDdicdation です。
縦網に広がって、それから横網に枝を伸ばしていきます。たわわな実は、時にはしぼんだり、カビがついてしまったりすることもあるでしょう。

とユーモアを交えながら、フェローシップについて語ります。

 途中までアティンディングやフェローのことをギャグも交えてちゃかしながら勧めていきますが、最後には

「一番大事なのは毎日欠かさず、日当たりと、水と、風と、土のディテールに気を配ること、一日でも欠いたらおいしいワインは出来ないのです。」


 とやはり、赤ワインを傾けながら語ります。

 そういえば、管理人病棟から、感謝状の表彰をいただきました。こういうことはとても心に残るものです。ちなみに、もちろん一番はインターンのケニア先生です。
 ちなみに左は投票風景。秘書が管理人に投票するように張り紙を出してくれています。


6月22日  日本へ行ってきた

 薬剤師のマリアが、日本旅行から今日帰ってきて久しぶりに病棟で会いました。彼女が日本で感心したことは、
・ レストランのサンプルがすごい精巧で、注文したらほとんど同じものが出てきたこと。
・ どこの街角にも甘いもの屋(喫茶店のことか?)があるのに、みんなやせていること
・ 新幹線の速さ
・ 街のきれいさ
・ 大阪の人混み
・ 原宿の若者(お嬢さんだん)
・ 箱根の箱庭のような景色

 ただ日本はあまりにも遠かったようです。今は、管理人が、言葉の違うだけではなくて、いかに文化習慣の違う世界から来ているかを認識してくれました。

 全然話が違うのですが、リンクスタッフという医師の就職斡旋会社では、臨床留学者の帰国用の就職の世話までしているのですね。こういう会社というのはどん欲というか、まあすごいものです。 


6月20日  学会へ行こう 西欧編2

 4年目になる管理人のVAIO。今まで2年ごとに買い換えてきたのに非常に長く持たせています。ここでは、「さすが日本人いいコンピューターを持っているね。」で通っています。
 ところが、今日は全く起動しなくなって冷や汗をかきました。やはりそろそろ寿命が近いのですが、日本に帰るまでは持たせたいところ。来週の学会に行くまでに、発表の準備があるので、こんなところで、VAIOが壊れたらもう放心状態です。
 しかも病棟医は管理人しかいないので、24時間7日間のオンコールです。病院で、ポケベルフリーになったケニア先生とすれ違うと、すっかりつやつやとした元気そうな顔です。見習いのインターンもそんな管理人を哀れんでか、「英語の手直しなら手伝ってあげるから。」といってくれます。

 そんなわけで、メールのお返事が著しく遅くなっていますので、ご了承下さい。
 


6月19日  出張学会へ行こう 西欧編1 

 皆さんこんにちは。こういう仕事をやっていると、「出張」という響きにあこがれます。学会は、出張とはいわないし、もちろん、ドナーの手術に行ってきても、出張したとは言わないですね。やっぱり、学会というと半ば遊び勉強と言うことなのでしょうかね。
 さて、いよいよブルッセルの学会が今月前に迫ってきました。普通は?、学会といえば旅行がてらなのですが、さすがに今回は大ボスと管理人しか行かない、あんまり遊んでいられないかもしれません。忙しい中を行かさせてもらうのはとてもありがたいのですが、発表がたくさんあるのがちょっと困ったものです。今回はアメリカン航空なのでダラス経由となります。ダラスを訪れるのも久しぶりなので、こちらも楽しみなところです。ただ、今回に限っては管理人もさすがに準備が大変です。今回はアムステルダム行きの航空券を買っただけで、その後の宿泊も何も未だ決めていません。
 まあ、8月にもオーストリアで学会があるので、こちらのほうが旅行つきなので楽しみかもしれません。AAAのヨーロッパ地図を広げて、今から楽しみにしています。

陽佑ちゃん移植報告(手術後170日目6/14)(クリックすると拡大します)

  今日は内視鏡検査のために来院です。今日は、ルナちゃんと一緒にお出かけです。検査が終わる頃には、すっかり2人ともお休みです。
 経過は良好で、内視鏡の結果も問題はありません。


6月17日  さよならアンソニー

 ジュニアフェローのアンソニーが、プログラムを変わってニューヨークに行くことになりました。今日は、彼の家で送別会です。6月中は管理人しかオンコールをとれないのでちょっと顔を出すだけ。パーティーといっても楽しみが半減です。藤枝の駅前の居酒屋で飲んだくれていたのが懐かしいですね。


6月15日  USB ドライブ

 管理人も遅ればせながらUSBドライブを手に入れることにしました。今や、研究者の間では必需品とも言えるものですね。いままで、CFカードを使っていたのですが、リーダーがマックで認識されないという大きな問題があるので購入することにしました。しかし、こんな小さいと無くしそうですね。
 


6月14日  新しいインターンとケニア先生からの手紙

 ケニア先生のあとの、新しいインターンが来ています。しばらくは、見習いなので管理人が病棟業務を教えることになります。まあ、今まではケニア先生に頼りっきりだったので、前の病院で字の汚さベスト10に入った管理人としては、オーダーを書くのがきついところです。(看護婦さんにとってね。)
 ケニア先生は病棟へ、感謝の盾を残していきました。こういうところはなかなか粋なところです。


6月13日  さよならケニア先生

 ケニア先生は、今日で仕事納めです。彼女のおかげで、本当に助かりました。非常に残念です。外国人が正規のレジデントコースにはいるのは大変なことですが、それを成し遂げました。優秀な彼女なら、これからオーランドでも、一生懸命がんばることでしょう。
 


6月11日  いま、会いにゆきます

 マイアミは、ここ一ヶ月近く雨が降る日が続いています。スコールのような雨が降るのではなくて、日本の梅雨のようなじめっとした日が毎日続きます。エバーグレーズを控える土地ですから当然といえば当然なのですが。
 やっとマイアミが冬の間の避寒地であって、夏の間に人が来ないというのがわかりました。これでハリケーンでも来た日には最悪ですね。
 さて、今クールの連続ドラマは当たりものが多いですね。続編となって安定した「離婚弁護士2」と「あねご」最近はこの二つにはまっています。
 さて、最近は天気も悪いので出かけることも出来ないですし、今月末の学会までに発表の準備をしないといけないので、今日は引きこもりです。

 そんなときは、日本に持って帰れないお気に入りのドラマの総集編を鑑賞です。今日は「世界の中心で愛をさけぶ」を流しているのですが、何回見てもいいドラマです。話しの構成も良くできていてロケ地もいいですね。同世代だということも共感できることなのでしょうか。

最後のテロップも
1987年 ぼくはたった一人の大好きな人の命を
救うことが出来ませんでした−−
2001年 日本骨髄バンク設立


から
1987年 僕らに出来ることは、
あまりにも少なすぎました。
2001年 日本骨髄バンク設立


そして最終回の
2004年 今なら、血液難病の人を
救えるかもしれない。
2001年 日本骨髄バンク設立



 それと共に、昨年同様にはやった「いま、会いにゆきます。」を未だ手に入れていません。 ヤフーで梅雨の季節の映画として紹介されていたので、是非見てみたくなりました。7月からはドラマにもなるようですね。ちょうど帰国時期と重なるので、こちらもしばらく見ることが出来ませんね。

 英語のテレビを見るのが一番の英語上達に秘訣だとわかっていても、日本語のテレビしか見ないので、いつまで経っても上達しない管理人でした。


6月10日  再会

 管理人はここのところすっかり体調を悪くして、病院のオフィスで寝ている状態でした。入院といえば入院でしょうか。
 さて、齋藤陽子さんも無事に日本に到着されたようですね。長旅大変だったことと思います。

陽佑ちゃん移植報告(手術後163日目6/7)(クリックすると拡大します)


 陽佑君のお父様が日本に帰国するに当たって、病棟まで挨拶に来てくれました。小児移植外科のオフィスの後に、病棟まで上がって、看護婦さん達と久しぶりの再開です。今日の陽佑君はずっと眠り続けていましたが、みんな元気になった陽佑君をみて喜んでいました。
 未だしばらくは、こちらでの療養が必要になりますが、帰国の日はそう遠くないでしょう。


6月7日  諦めていた方に
陽子さん移植報告(手術後135日目)(クリックすると拡大します)

 齋藤陽子さんはいよいよ6月9日に帰国ということになりました。ご両親と一緒にわざわざ小児移植外科のオフィスまで、いらしてくれました。帰国後は、母校での講演など、いろいろな活動が待っていることだと思います。

 最後に、彼女の日記の中から一節。

「これからも全く心配はいらないとは言えないが、臆せず肩の力を抜いて今まで出来 なかったことを取り戻せるよう自分のために生きること」も私のこれからの目標であ ることを教えて下さいました。
今まで病気のために諦めていたものに挑戦することができる可能性を私は移植医療と ドナーによって与えられました。
可能性だけで終わらせないためにも感謝することを忘れず、努力し怯まず行動するこ とがこれからの私の人生の目標です。



陽佑ちゃん移植報告(手術後156日目5/31)(クリックすると拡大します)


 陽佑君も久しぶりの内視鏡です。今日は、ルナちゃんも一緒に来ています。もう残り少ない、ケニア先生も来てくれました。お父さんとお母さんは内視鏡にかかりつきなので、ルナちゃんはちょっと退屈かな。


6月6日  バハマへいこう

 買い物からの帰りの途中、同僚から「ドナーの手術に行ってくるからオンコールを変わってくれる。」という電話が入った3分後、ドナーデスクからまた電話が。「上野先生今から空港に行ってもらえます、それからパスポート番号を教えて。彼は、ビザが切れたから行かれないの。」
 というわけで、はじめてバハマに行くことになりました。海外では初めての手術です。
 パスポートとDS2019を手にして空港へ。プライベートの飛行機では、パイロットが必要書類を調べるようです。一応、バハマもフロリダ州と同じリージョン3に属していて、同じようにドナーの提供を受けることになっているようです。
 今日は、あいにく悪天なので、眺めは今ひとつ。数時間の滞在でも、ちゃんと入国の書類を書かないといけないのですが、バハマの入国の書類はまるでホテルの評価表のよう。さすが観光立国のようです。
 バハマの空港に着くと、通常と同じように入国と、通関をすませます。入国のスタンプには滞在期間1日と記されました。 

 なかなかこない救急車を待って病院へ。久しぶりに左側通行の道をとばすのですが、サイレンに車が止まらないので結構スリルがあります。
 さて、バハマの病院はほとんどアメリカの病院と変わりませんでした。英語が公用語なのでマイアミよりはアメリカらしいかもしれません。
 手術を終えた後は、すぐに帰国。General Aviationの小さなプレハブ小屋にも、一応入国審査があって、新しいI-94と指紋、顔写真が必要になります。どうもここの審査官は慣れていなくて、こちらがいちいち説明しなければなりません。危うく前のI-94をそのままにされるところでした。


6月3日  Shall reach you from the stars - 星空からあなたにとどくでしょう

 移植後になくなられた患者さんの、病棟での送別会が先日開かれました。未だ2歳でした。最後はお母さんに抱かれながら、短い生涯を閉じました。

 病棟での送別会はいつもカンファレンスに使われている部屋に、医師や看護師を集めて行われました。患者さんの元気なころの写真と、寄せ書きを釣り下げた風船、子供の好きだった音楽をかけて病院での最後のお別れを告げます。このような準備は子供の病棟での生活を手助けしている保母さんの役目をしているChild Livingの部署の方が行ってくれます。

 患者さんのご両親に、看護師などから、最後のお別れの詩が送られます。こちらで、その詩を紹介致します。
 
THEIR JOURNEY HAS JUST BEGUN

Don't think of them as gone away,
their journey has just begun.
Life hold so many facets,
this earth is only one.

Just think of them as resting
from the sorrows and the tears,
in a place of warmth and comfort,
where there are no days and years.

Think of how they must be wishing
that we could know today,
how nothing but our sadness
can really pass away.

And think of them as living
in the hearts of those they touched
for nothing loved is erer lost
and they were loved so much.


MISS ME, BUT LET ME GO

When I get to the end of the road
And the sun has set for me
I want no lights in a gloom filled room
Why Cry for a soul set free.

Miss me a little
And not with your head bowed down low
Remember the love we share
Miss me, but let me go.

For this a jouney that we all must take
And each must go alone
It's all a part of the Master's plan
A step on the road to home

When you are lonely and sick of heart
Go to the friends we know
And bury your sorrow in doing good deeds
Miss me, but let me go.


IF I SHOULD GO TOMORROW

If I should go tomorrow
It would never be
goodbye,
For I have left my heart
with you,
So don't you ever cry.
The love that's deep
within me,
Shall reach you from the
Stars,
You'll feel it from the
heavens,
And it will heal the scars.
旅は今はじまったばかり

彼らは亡くなったと思わないで下さい
新しい旅が今始まったところなのです
人生は様々な側面があって
この世はそのうち一つにしか過ぎないのです

今彼らはただ悲しみと涙から離れて
暖かく快適な場所で
休んでいるのです
時間のない場所で

私たちが今日
この悲しみが過ぎ去ることが
いかに難しいかを知すことを
彼らは望んでいたに違いありません

彼らは今でも
消して失われることのない愛で
心の中に生きていることを
いかに彼らが愛されていたか


私を想っていて、だけどもう行かないと

旅路の終わりにたどり着いたとき
そして日が沈むときに
薄暗い部屋の中で明かりが無くても
どうして泣くの?自由になったのに

少しだけ私を想って
だけど、上を向いていて
私たちの愛を覚えていて
私を想っていて、だけどもう行かないと

この旅は誰もが行く路
そして皆一人で行かなければ
これは神様が決めたことなの
生まれた場所へ戻る最初の一歩なの

もし心がつらくて悲しいときは
私たちの友達のところへ行って
良い行いの中で悲しみを埋めましょう
私を想っていて、だけどもう行かないと


明日行かなければならなくても

もし明日行かなければならなくても
決してさよならではないわ

心はいつもそばにあるから

だから決して泣かないで

私の深い愛は

星空からあなたにとどくでしょう。

それは天国からの贈り物のように
傷ついた心を癒すでしょう。


作者:不明 訳:管理人なので、素人訳です

Read Me!


Copyright (C) 2002-2005 ダラス通信 All rights reserved.
プライバシー保護のため許可無く転載、引用を行わないでください

Home