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 こちらで報告する患者さん、ご家族の情報また写真に関しては、患者さんご両親より掲載依頼、許可されたものを管理人が掲載しています。
日本における刑法134条、米国におけるHIPAAのガイドラインより、患者さんの状況に関して管理人はいっさいお答えできませんのでご了承下さい。


7月31日  ディスカバリーは今どこに

 ディスカバリーの打ち上げを見学できたことを、5thStarの管理人さんにまでうらやましがられてしまいました。本当に幸運でした。
 さて、世の中にはすごい方もいるようで現在のシャトルと国際宇宙ステーション位置をゴーグルマップ上にプロットするソフトを公開しています。地図上にプロットしてあるだけなのですが、今ここで活動しているのかなと思うと見ているだけで飽きないですね。

Google SatTrack2
http://www.lizard-tail.com/isana/lab/googlesat/googlesat2.php


7月30日  フェデックスの糸結び

 日本に抄録の束を早急に送らないといけないので、郵便局で一番早いExpress Mail Guaranteedを出しに行きます。マイアミの24時間の郵便局 Airport Mail Centerに持って行くも、ここの郵便局員は出し方を知りません。International Mallの郵便局も日曜日も開いているので持って行きますが、こちらの局員も出し方がわかりません。
 先週Express Mailで出した郵便は1週間もかかっているので、これで出すには少々恐ろしいです。結局、さんざん郵便局をまわったあげく、近くのKinkoからFedexで出すことになります。結局、スピードの点からも信頼性の点からもFedexのほうが圧倒的に良いようですね。
 とは言っても、100ドル以上と、Express Mail の3倍くらいします。結構痛い出費でした。


7月26日  野口さんおめでとう Return to Flight


出発の瞬間
 再びシャトルの打ち上げです。カウントダウンは土曜日から始まっていました。幸い、病棟の患者さんがいなくなると言うことで、管理人再びシャトルの打ち上げ見学に行ってきます。前回の打ち上げでは、多くの日本人を見かけましたが、5thStarの管理人さんをはじめ、多くの方が涙をのんだことだと思います。シャトルの2年半ぶりのフライトで、日本人の宇宙飛行士の搭乗です。少しでも日本人の応援団を増やさなければいけません。さすがに今回は休みは取れないので、携帯で呼ばれたら戻ると言うことで、スペースセンターに向かいます。

入構証

 コロンビアの悲劇があったのは、管理人がダラスの子ども病院の夜中の移植があった、朝でした。子ども病院から本院に向かう途中に大きな爆発音が鳴り響きました。病院について、ICUの回診を始めると、テキサス上空でシャトルが消息不明になったとのこと、その後悲劇的な最期を遂げたことを知ります。(2003年2月6日の日記参照)

 さて、ホームページで確認するとケネディースペースセンターに6時半に入場とのことなので、マイアミを午前1時に出発します。さすがにこの時間だとI-95は非常にすいています。順調にドライブを続けて、午前5時にはスペースセンターの近くに到着します。

夜明け
 すでに、Gate 3の検問には長蛇の列。6時を待たずにこの列に並びます。すでに駐車場まで入ることが出来ます。でも、多分10台目くらいでの入場です。
 前回の反省から、持ち物には折りたたみ椅子、それから飲料水を加えます。後にも陳べますが、折りたたみ椅子はかならず必要です。やっぱりラジオも持ってきた方が良かったですね。日焼け止め、日よけの折りたたみ傘も必要になります。
 スペースセンターへの入場も、予定時間よりも早く6時から入場できました。前回と同じセキュリティーを通過します。今回はバックパックは持ってこないように気をつけました。
 バスの時間は7時半から8時半までと非常に短い時間しかありません。出来るだけ良い場所を確保するために、入場するとすぐにバスのり場に向かいます。

バス待ち

移動バス
みんな椅子を持つ

 入場口やバス乗り場でもこんな早くても写真撮影サービスをもうはじめています。でも背景が真っ暗で何もわかりません。そんなのでも良いのかな。
 バスの列もどんどんのびてきました。夜が明け始めましたが、雲のないすばらしい空です。今日の打ち上げは期待できそうです。ともかくシャトルの打ち上げ見学は不安のままひたすら待つと言うことが続きます。前の列にいる男性はフィラデルフィアから来ています。軍隊上がりを思わせる直立不動の姿勢のまま静かに待ちます。

静かに打ち上げを待つ
 7時になって、やっとバスの乗車が始まりました。(この時点でジェット機で上空を確認してOKがでています。)でも未だバスは出発しません。前回は、バスに乗ることなく中止になったので大きな一歩です。尖塔から10人目くらいなので、一番最初のバスです。
 結局7時半になってバスは出発、Banana Riverへ向かいます。本部の前などを通って、バスは進みます。バナナリバーにはいると遠くに巨大なアッセンブリービルディングと、打ち上げ台が見えてきます。
 バナナリバーについてもバスは止まりません。乗客が「俺たちはオレンジパスなのにどうして停まらないんだ、前回はここでおろされたんだ。」とさけぶと、運転手が答えます。
 「今日は、見学者が少ないから、招待客用の最高の場所に連れて行ってやる、見学のスタンドもあるから椅子を持っていなくても大丈夫だよ。」というと、車内に歓声が上がります。

もと来賓席


 bバスは、運転手が行ったとおり、バナナリバーの東側の招待客席に着けます。早速、打ち上げ台が最もよく見えるところを探します。こちらの方が、前回の場所よりもシャトルの背中側に面しているので確かに見学には最適です。
 この見学場所はバナナリバーを渡る橋の両側に広がる緑地で、バナナリバーの向こうに発射台が見渡せます。距離は8マイルぐらいあって、双眼鏡がなければよく見えません。シャトルを大きく捕らえるならば1000mm位の望遠レンズが必要になる距離です。

売店
郵便局
 手前の藪がじゃまにならない位置に椅子をおいて、三脚をたてます。今回カメラの三脚しか持ってきませんでしたが、ビデオカメラの三脚も持ってくるべきでした。
 見学場所には、移動トイレがふんだんにあって、また、売店もありお菓子や飲み物は手に入ります。スペースセンターで買うよりも水が随分安いのは脱水を防ぐためでしょうか。ただの草地で長時間待たないといけないので、少々重くてもしっかりした背もたれ手すりつきの折りたたみ椅子を持って行った方が良いです。これは、絶対におすすめです。

 さて、ここからはひたすら待ちます。放送も何にもないので情報が全く入りません。そのため、ラジオかテレビは持ってくるべきでした。時間が経つにつれて、だんだん人が増えてきます。川沿いの最前面に陣取っている人は、みんなカメラとビデオの列です。隣のおじさんもテキサスのカレッジステーションから来ています。みんな、2回目なのですごい気合いの入れようです。
カメラの列 結構な人の数 みんな一点を見つめます。



 8時になっても天気は相変わらず快晴。(7時57分に野口さんがシャトルに乗り込みます。)前回はここで燃料注入の問題があって打ち上げの中止になったのですが、今回は大丈夫なようです。(実は深夜1時にすでに試験は完了していた。)
 日本人も少しですが見られました。一家族はバルティモアーから来ているそうで、前回は飛行機で、今回は車での挑戦です。大変な距離です。



瞬間を待つ
監視船 ワニ
 9時、日差しが強くじりじりとしています。(シャトルのハッチが閉じられ、天候は90%OKと報告されています。)日傘をたて、日焼け止めを塗って待ちます。ともかく、何時中止になるかもしれないという不安のままひたすら待ちます。
 9時38分、いよいよ打ち上げ1時間前です。未だ、小さな雲が浮かんでいるだけです。天候はパーフェクト問題はありません。(この時点でNASAも天候で中止になる可能性は0%といっていたようですが、情報は入りません。)
 10時になります。(10時8分に天候はクリアーと報告されます。)ここでアクシデントが、フロリダ在住の我々にとってはワニはリスト同じくらい珍しくないのですが、誰から、手前の溝にワニがいると騒ぎます。みんな見に来て、挙げ句の果てにはセキュリティー来てしまいました。お陰で「3メートルさがって」と後ろに縄を張り直されてしまいます。全くはた迷惑な。
いよいよの時

 10時20分 打ち上げの20分前。(10時19分 エンジンセンサーのテストは異常なしです。)ここまで来れば中止になることはないでしょう。みな期待が高まります。
 10時28分 打ち上げ10分前、ビデオのスイッチを入れます。後ろのお兄さんが詳しいのか「最初に
 10時30分 (地上発射制御装置がオンになります。これ以降のカウントダウンは自動で行われます。)見学場所では何が起こっているのかわからずに、みな固唾をのんで見守ります。
 10時32分 コックピットへのブリッジが離れていきます。この時点で我々もカウントダウンが始まることを知ります。期待が高まります。
 10時37分 燃料タンクのストッパーが回転していきます。「あれがはずれると発射するんだ。」と後ろで声が聞こえます。ひたすら、発射の瞬間を待ちます。
Lift Off
 10時39分 発射台から白煙が上がります。シャトルは白煙に包まれて見えなくなります。個体ブースターロケットに点火しました。この位置からだと、ちょうど排気口に向かうため、全く見えなくなります。まわりから歓声が上がります。
 音の方が伝わる速度が遅いため、全く音は聞こえません。D70のシャッターを切りますが、オートフォーカスが効きません。急いでマニュアルに切り替えて、ひたすらシャッターを切ります。ちなみに、管理人のレンズは300mm(450mm相当。)1秒後くらいに、シャトルがまばゆい光を上げて、白煙の中から出ていきます。まわりの歓声がが大きくなりますが、管理人はシャッターを切るので精一杯です。上昇する速さは非常に早いです。あっという間に70mm(105mm相当)でも視野に入らなくなります。D70はマニュアルでピントが合わせにくいのがつらいところです。

ぐんぐん上昇

 レンズを広角(18-70mm)に切り替えます。このときに、モード切替がスポーツモードに入ってしまい、以下の写真はみんな絞り開放になってしまいます。このモードダイヤルにロックがないのもD70の欠点です。
 ともかく、512MBのCFカードがいっぱいになるまでひたすらシャッターを切ります。シャトルは、あっという間に青空へ向かって白煙を上げながら上がっていきます。10秒くらい経ってから、発射の爆音が聞こえてきますが、そんなに大きくは聞き取れません。
 ともかく、すごいスピードで上昇していきます。数分後には宇宙にたどり着くので当たり前なのですが、こんなに早いとは思いませんでした。カメラは2台用意しておかないと、間に合いません。このときほど、連射スピードに優れる高級機がほしいと思ったことはありません。D200がでたら真っ先に手に入れよう。
10時41分 だんだん航跡が横倒しになって、雲に隠れるところで、固形ブースターが切り離されたのか、白煙が停まります。シャトルのメインエンジンだけが光点になって進んでいきます。「ブースターが落ちていくのが見えるよ」と、後ろで言っている人がいますが、よくわかりません。

 シャトルはあっという間に見えなくなって、後に、白煙だけが残ります。残された打ち上げ台にはもうシャトルはありません。
 みな、打ち上げが終わると余韻に浸るのでもなく、すたこらとバスに戻っていきます。このあたりはアメリカ人の速さでしょうか。バスに戻ると、泣いている人もいるくらいで、みなが一様に感動を隠し切れませんでした。打ち上げそのものよりも、幾多の苦労を越えて打ち上げにたどり着いたという感動でしょうか。
 この感動は、9年もの歳月を待ってやっと宇宙にたどり着いた野口さんのものと共通するものなのでしょうか。

残された煙
空の打ち上げ台

 バスは、少し時間をおいてからNASAのビジターセンターに戻ります。この時間になると一般にも開放するようになるので、日本人のツアー客なども中で見慣れるようになります。
 売店のホットドックを買うときに、並んでいる人たちと話が弾みます。前の人は、地元の人手、古いミノルタの銀塩一眼レフを持っています。息子がフォートワースに住んでいると言うことで、話が弾みます。後ろの女の子もプレノーの小学校に通っているとのことです。本当にみんな遠くからこの一瞬も見るために通っています。


終わってしまった
そそくさと帰ります
 管理人はおきまりのピンバッチは前回買ってあるので、何も買い物をせずに帰ります。今回は、見学者もゆっくりとして帰るようです。前回は、打ち上げが中止になった後は失意になってみなそそくさと帰ったものですが、今回は比較的ゆっくりしているようです。

 シャトルの打ち上げは、よほど情熱がないと見学することが出来ません。きっと、最後のフロンティアと呼ばれる宇宙開発に似ているのでしょう。それでも、それに見合うだけの感動があります。野口飛行士も9年にわたる忍耐のすえ、宇宙にたどり着いてどれだけの感動を味わっていることか。宇宙に行きたい管理人には敬服と共に、うらやましいものがあります。STー114ミッションのクルーがミッションを終えて、無事に帰還することを祈っています。
売店


 最後に、元気に退院してくれた患者さん、シャトルの打ち上げに2度も行かせてくれたボス、バックアップしてくれたインターン、そして貴重な打ち上げ見学のチケットをくれた研究でこられている記者さん。本当に感謝しています。
 シャトルの打ち上げ見学のホームページも少ないので、これが少しでも役に立つと良いですが、重ね重ね「折りたたみ椅子」を持って行くことが重要なポイントです。


7月25日  新交換留学生

 この大学では日本の大学との交換留学を行っています。今年も、鹿児島大学から、交換留学生が来ています。彼らの最初の研修は移植外科で4週間行うことになっています。残念ながら、単位が認められないので1年間の休学になりますが、その分多くのことを学べると良いですね。


7月23日  海を渡ってきた男

 管理人と一緒に働いているインターン。9年ほど前に海を渡って、キューバからやってきました。キューバでは医師をしていたわけですが、アメリカでは、ただの流れ者です。
 最初はもちろん無一文です。知り合いの紹介で、時給$4クリニックの心電図とりの仕事を始めました。その後すぐに、病院の掃除夫の$7の仕事を見付けて、そちらに移りました。そこで仕事をしながら、検査技師の資格を取って、4ヶ月後には、時給$25のかなり良い検査技師の仕事を見付けることが出来ました。

 そこで、彼はキューバに残された家族の噂を聞いて、愕然とします。亡命した彼のせいで、家族、親戚が仕事を失ったとのこと、キューバでは医師でも月給$20。仕事が無くなったら生きていけません。
 何とか、キューバに電話をしても、両親は本当のことを言いません。やっと、妹が真実を話しました。

 それからの彼は、3つの仕事を掛け持ちして必死で働きました。故郷に送金をして、3年前にはやっと、家族を呼び寄せたのです。

 今は、BMWとベンツを運転する彼も、そんな苦労をした10年間があったのです。日本から来ている管理人には全く想像も出来ない世界です。


陽佑ちゃん移植報告(手術後210日目)(クリックすると拡大します)

 今日はリハビリテーションの後に、オフィスによってくれました。。経過も以上に良好です。そろそろ帰国の声も聞こえそうです。


7月21日  ジースト

 相変わらず、写経抄録書きの続く管理人です。今日は徹夜をしてでも書き上げないと間に合わないですね。
 オーランドに行った、ケニア先生は元気にしているようです。そういえば彼女がいつも「ジースト、ジースト」といっていたイースト。今でも、新しいインターンが同じように発音しています。みんなスペイン語読みのままです。

 管理人が机の上に置いたコーヒーを、例によって看護婦さんがひっくり返しました。そこでのせりふは「移植外科の医者はいつもコーヒーをこぼすんだから。」
 だいたい、アメリカ人の看護婦は謝ると言うことがありません。下手に起こると、100倍になって帰ってきます。最初来た頃は、すごくストレスになったのですが、今日はこういう気が強い看護婦達とつきあうのも後もう少しかと思うと寂しくもなります。
 もうしばらくしたら日本の病院ですが、お手柔らかにお願いしたいものです。


7月20日  キューバンコネクション

 今晩は、毎日写経が続く管理人です。なかなか終わりません。
 新しく来たインターン未だ一ヶ月しか経っていませんが、かなりがんばっています。熱心に仕事をこなそうと言うところがなによりも良いですね。
 さて、彼はキューバ人なのですが、ここ、マイアミではキューバ人のコネクションというのが非常に力を持っています。キューバ人というのは人なつっこいところがあって、キューバコーヒーの小さなカップをみんなに振る舞うところもあるようです。最近は、よく他のキューバ人の医師と一緒に、食後のコーヒーをたしなむことも多くなりました。
 今日も、MALTAというキューバの飲み物を持ってきて、「これも味わってみろと」言うところです。皆さんは飲んだことがありますか?そんなわけで、すっかりキューバついています。
 このあたりは、また後ほどご紹介しましょう。


7月19日  カウントダウン

 いよいよ帰国準備の開始です。ここのアパートは2ヶ月の事前通告が必要になります。帰国の航空券の手配もはじめました。犬の予約を取るのが一番肝腎なところです。それから、引っ越し屋にも見積もりにきてもらわなければいけません。一年というのは本当に短いものです。


7月18日  長い間ありがとうございました

 「先生、長い間ありがとうございました。」

どういう気持ちでそういうことが言えるのでしょうか。


7月17日  学会へ行こう 中央ヨーロッパ編 その2

 フランクフルトのレンタカー会社に電話をすると、レンタカーでポーランドやチェコに乗り入れるのは問題の無いとのこと。一安心です。ヨーロッパは、アメリカに比べるとホテルを探すのが大変なので、今回は主要な経路のホテルも取ってしまうことにします。
 ウイーンに行ったら、ウイーン大学の病理解剖学博物館も訪れたいですね。非常に短い時間しか空いていないこの博物館、噂によると8月は休みだという話しもあるので、こちらも電話をして確認しておかなければならないようです。

 アパートは2ヶ月間の事前通告が必要なので、手紙を書いておきます。いよいよ、帰国もカウントダウンです。


7月16日  学ぼうという気持ちがあればどこでも学べる  その1  

 こんにちは管理人です。ここの病院や医学部で学ぶ医師や学生達は、様々なバックグラウンドを持った人たちがいます。管理人としては、そういった一人一人を紹介するというのが一つの課題なのですが、今日は、ここの医学部に通う笠間由紀さんをご紹介しましょう。
 笠間さんは現在マイアミの医学部の2年生。多くのアメリカの医学部生徒同様に、勉強と試験に明け暮れる毎日です。日本の高校を卒業した後に、フィラデルフィアで心理学を学び、その後、臨床心理士としてアメリカで働いていました。
 働く中で、より深く勉強してみたいと言うことから、昨年、ここの医学部へと入学しました。卒業後の進路は未だ決まっていませんが、「日本とアメリカの間をうめるような仕事が出来たら。」と語っていました。
 卒業までは、未だしばらく時間があります。夏休みなどには、日本の医学部へ実習へ行くことがあれば、また日本とアメリカの医学部の違いがわかってお互いの刺激になることでしょう。


 ミシガン大学の浅野先生より「小児神経留学ネットワーク」のご紹介を受けました。

留学は自分の専門分野を固めステップアップする大きな機会です。しかしながら,これまでは,せっかく留学して成果を上げながらも,日本国内では広く知られず,帰国後に留学中の経験と知識が十分に活用されることが少なかったように思います。

 また,ある程度の留学情報は,書籍やインターネットで得られますが,実際に留学を計画し,他国で生活すると,情報不足によって直接不利益を被ることも多いのが現状であり,留学中もしくは最近留学した知人の存在は,心強く頼りになります。

 JPNNの具体的な活動として,登録者情報(「氏名」、「所属先およびsupervisorの氏名」、「具体的な専門・仕事紹介」)を共有し,自己紹介,仕事上の相談,専門分野の最新情報,留学先の情報交換(ラボの様子・観光案内等)など自由にメールのやりとりをしています


小児神経留学ネットワーク
http://home.wideopenwest.com/~eishi/jpnn.htm


陽佑ちゃん移植報告(手術後203日目)(クリックすると拡大します)

 内視鏡の検査の後に、外来に立ち寄って、耳の状態を調べます。未だ発赤はあるようですが大丈夫でしょう。内視鏡の結果も問題はありません。外来でも、捕まりながら歩くことが出来ます。
 理学療法士と、作業療法士の方に、いったん中断していたリハビリを再開してもらいます。まだ、ピディオライトしか飲んでくれないので、言語療法士の人にも飲み込みの訓練をはじめてもらうことにします。


7月15日  学会へ行こう 中央ヨーロッパ編

 さて、来月はドイツのフランクフルトを起点として、オーストリアのインスブルック、ポーランドのクラコフ、それから、ドイツのライプチッヒをまわる予定です。まず、フランクフルトから、レンタカーを借りなければいけないのですが、どうもドイツ車などは中央ヨーロッパの国には入れないようです。直接、フランクフルトへ電話をして確認することにします。
 6年ほど前にローマからロンドンにドライブしたときはミシェランのガイドブックを頼りに宿を探したものですが、今はオンラインで予約できるので簡単になったものです。
 さて、旅行の前には是非とも「サウンドオブミュージック」と「夜と霧」を見てみたいのですが、BlockBuster などでは新作しか見あたりません。
 そこで試してみたのがオンラインでDVDを借りるサービス。NETFLIXというところに申し込んでみたのですが、郵送で配達と貸し出しと返却をするシステムになっています。うまく働くのでしょうか。


7月13日  打ち上げ延期  Scrubbed!


打上台の夜明け
 翌日は5時に出発。インターネット上では雷雨の確率60%。未だカウントダウンは続いています。 6時過ぎには渋滞もなくスペースセンターに着いたのですが、未だ入れてもらいません。橋を戻って、Kennedy Parkから対岸のスペースセンターの夜明けを望みます。すでに、ここでも打ち上げを待つ人たちが場所を取りに来ています。
 入構出来るようになったのは7時半。ゲートに並びます。ここからひたすら待つことが始まります。
 みんな、折りたたみ式の大きな手すり椅子を持ってきています。うちももって来れば良かったのに失敗しました。セキュリティーチェックは非常に厳しくて、バックパックは小さなものでもはねられていました。そうすると列を並び直さなければならないので、かなり時間がかかります。
 今回持ってくれば良かったものは、折りたたみ椅子と、ラジオそれから水でした。水は外から持ち込んでも良いようです。

朝食会

 8時半からは朝食会。もと宇宙飛行士が質問に応じます。朝食は普通のアメリカンブレックファスト。量はかなりあります。メキシコ人の赤ん坊が騒いでいてかなりひんしゅくを買っていました。
 朝食会は10時までには終わって、いよいよ見学場所へのバスを待ちます。何一つ買うのにも長蛇の列です。先ほどの朝食会の時には日本人を見かけなかったのですが、このころになるとちらほらと見るようになってきました。

怪しい空

応援団
 昼前には天気予報の通り雷雲が発達してきてかなり気分が落ち込みます。さらには、雨まで降ってきました。それでも、お昼過ぎに飛行士がシャトルに乗り込むところを映しているのを見て、未だ希望は捨てないですむことを祈ります。
 12時45分から移動のバスの搭乗が始まります。天気は回復してきましたが、未だ予断が許さないので、少し送れて乗り込むことにしました。バスに乗り込むまでなら、打ち上げがキャンセルになると次の打ち上げの時にチケットを使うことが出来ます。
 1時半頃からやっとバスの列に並びます。このころでも未だ長蛇の列で、バスの乗り場までは30分ほどかかります。2時頃でしたが、後もう少しでバスに乗り込むと言うときに、全くバスが動かなくなってしまいました。そのうち、前のおばさんが携帯をかけ出します。

長蛇の列

携帯で確認

 「キャンセルになった、予定は未定らしい。」放送もなく、会場がざわめくこともなく彼女はつぶやきます。そのうち何人も携帯に電話をかけ、キャンセルの決定は確かなことがわかります。起こる気力もなくみな放心状態です。暑い中、打ち上げの2時間前まで迫ったのに。空模様もすっかり回復しているのに。
 この時点でバスに乗ってしまった人はおろしてもらえません。バス待ちの列は、ゆっくりと出口へ戻ります。事前に説明書にあったように、チケットは返してくれました。また、入場券もまた使えるようです。
 とぼとぼと駐車場まで戻ります。他のアトラクションも見ることが出来るのですが、そのような気にはなりません。駐車場で隣に居合わせた人は「カルフォルニアから来たのに、もう帰らなければいけないから。」と寂しそうでした。シャトルの打ち上げに居合わせることが出来る人は本当に幸運ですね。

回復したのに

 高速まで戻る大渋滞の列が出来ていますが、通り沿いには未だ打ち上げを待っている人たちがたくさんいます。打ち上げが中止になったことを知らないのでしょう。
 結局管理人が打ち上げ中止の理由を知ったのは帰宅してホームページを見てからでした。

 取り消しになることもScrubというのですね。今日はじめて知りました。


7月12日  打ち上げに行こう

 7月13日、2年半ぶりのシャトルの打ち上げとなるST-114ミッションは日本人宇宙飛行士の野口さんも搭乗することから是非とも行きたいものでした。

 シャトルの打ち上げはスペースセンター外からも見ることが出来ますが、今回、管理人はリサーチに来ている記者の方からたまたまチケットをいただいたので、ケネディースペースセンターから見学することにしました。チケットは事前に郵送で、入構証とチケットがUPSで送られてきます。購入はジョンソンスペースセンターのサイトから出来ます。
 スペースセンターには8時までに入らなければいけないので、事前にモーテルを取りますが、Cocoa Beachなどの、近いところはだいぶ前からいっぱいです。そのため、何とかPalm BayにMotel 6を取りましたが、Motel 6 が予約でいっぱいになるのははじめてみました。
 前夜が徹夜の移植だったのですが、夕方6時過ぎに病院を出ることが出来て、Palm Bayには10時過ぎに到着。ここで、宿を取ります。


NASA
 http://www.nasa.gov/returntoflight/main/

シャトル打ち上げ見学チケット
 http://www.ksctickets.com/kennedyspacecenter/ltt.html

理系白書
 http://spaces.msn.com/members/rikei/

5th Star
 http://5thstar.air-nifty.com/blog/



7月8日  今からかえります

 さて、以前お話ししたようにここでは、鹿児島大学からの交換留学生が滞在し、こちらの医学部生と混ざって、実習をしています。2004年度の学生さんももう帰国となるに当たって、新しい学生さんをつれて、小児移植外科のオフィスまで遊びに来てくれました。
 せっかくなので、夜は、見学に来ている麻酔科の先生も交えて送別会と歓迎会をかねて飲み会へ。相変わらず管理人は毎日オンコールなので、飲めません。早く居酒屋でいっぱいやりたいものです。
 さて、今度帰る学生さんが、移植外科実習の感想文を書いてくれたので、こちらに掲載します。





小児移植外科実習報告

5月16日〜28日までの2週間、小児移植外科にて学生実習をする機会を持ちましたので、報告します。
今回の実習の目的は、もちろん移植手術やアメリカの移植医療システムを学ぶというということもあったのですが、一番の目的は移植後の患者さんの経過とフォローを見学するということでした。
初日に担当の患者さんが決まり、そしてその日の深夜に移植手術が行われました。

まずはこちらの病院での実習内容(学生の支店から)を紹介したいと思います。
0600  病院到着。自分の担当になった患者さんのバイタル、検査結果や身体所見をとります。
0700  インターンが全体の回診の前に病棟の患者さん(5〜8人)を診ていくのでそれについていきます。
0830  朝のカンファレンス。アテンディングの前で自分の患者さんのプレゼンをします。自分の見落としたところはインターンやフェローが補ってくれます。インターンやフェローはポイントを押さえてプレゼンしているのに対し、学生(僕)は一人の患者さんのプレゼンに時間がかかります。
0930  回診。病棟に入院している患者さん(ほとんどが移植後)やPICUの患者さんをアテンディングやフェローと診ていきます。
1030  朝食。やっと一息つける瞬間です。ここはマイアミなのですが、小児移植外科にはアメリカ人のドクターはいません。話題も多岐にわたります。
1100  朝のカンファで話し合った患者さんのプランを実行していきます。超音波、内視鏡、CTなどの検査や免疫抑制剤の血中レベル、他の検査結果(肝臓だったら肝逸脱酵素やPT、PTTなど)、病理の結果、細菌学での培養結果の評価をしていきます。きりのいいところで昼御飯。
1600  午後の回診。午前中の検査結果、免疫抑制剤のレベルや患者の状態をフェローやインターンと診ていきます。
1700  自分の患者さんをもう一度診て帰宅。

これが学生の一日です。これに週一回の病理カンファや肝臓移植カンファが加わります。もちろんオペが入れば見学しに行ったりします。僕は朝食の後はフェローの日本人の先生やインターンにくっついて検査結果の評価やフォローのしかたを教わっていました。これだけでも盛りだくさんです。
この2週間で学んだことをまとめると、手術では自分の担当患者さんの手術、多臓器移植の患者さんの手術、そして、ドナーの手術を見学しました。移植後のフォローでは、X線、超音波といった術後の検査、免疫抑制剤の血中レベルと培養検査、他に術中とICUでおきた不整脈の治療と評価、痛みや精神症状に対するケアを学びました。
また、ここで働いている日本人の先生からは、朝食中も質問攻めにあい、患者さんのそれぞれの症状や検査結果、所見を論理的に考えることを教わりました。2週間という短い期間でいろいろと経験させていただき本当にありがとうございました。


7月6日  移植とダイビング

 今晩は管理人です。実は管理人もPADIのCカードを持っているのですね。もうしばらく潜っていないのでペーパーですが。
 さて、そんなわけで管理人もダイビングのすばらしさはよくわかっています。管理人は質問者の病歴も何もわからないので、この質問にお答えすることが出来ません。もし、セカンドオピニオンが必要ならば、まず主治医の先生に質問をして頂いて、その上でご連絡を下さい。適切な方をご紹介します。

 さて、ここからは一般論となります。移植後の生活に関しては純粋に医学上の問題ではなく人生観とも関わります。さて、一般的に肝移植後3年を経過していれば、もちろん現在の免役抑制剤の量や合併症(高血圧や糖尿)などの関係もあるので一概には言えませんが、全く移植を受けていない方と同じ生活をしていいと考えられています。移植者の中でのスポーツ大会なども開かれています。もちろんアルコールは困りますし、グレープフルーツも困ります。
 ただ、たとえば建前上は生のお寿司は食べてはいけないことになっていますが、日本人の場合、移植を受けてもお寿司が食べられないと言ってしまったら、夢も希望もなくなってしまいます。多少は感染のリスクを上げるかもしれない(データーはありません。)けれど、やはり食べてもかまわないとおもます。
 そのうち、生のお寿司は感染症を増やさないという、研究をしたいと思いますので、研究に参加した胃管移植後の患者さんは管理人にご連絡を下さい。(ただし、寿司代は患者さんもちとなります。)

 ダイビング時には正常な肝臓でも肝酵素が上昇することがあって、局所的な気泡形成が原因だと考えられています。移植後の肝臓がこのような気泡に弱い可能性がありますが、証拠はありません。もちろんシュノーケリングや、低深度のスキューバーなら問題はないでしょうが、何メートルまでは大丈夫だということはわかりませんが、20mくらいまでにとどめておいた方が良いでしょう。このあたりは、本人のスキューバーにかける熱意と、肝機能とのかねあいと言うことになるのではないでしょうか。肝機能を変化させない範囲で、低い深度から楽しむというのが現実的なところでしょう。もちろん、脱水は良くないので、十分水分を取るようにして下さい。

参考: Divers Alert Network (デューク大学医療センター系のダイビングにおける医学研究の非営利団体。) 
はじめまして。

私は4年ほど前に生体肝移植を受けました。
術後にダイビングのライセンスをとったのですが、その1〜2ヵ月後に肝機能が悪化して入院してしまいました。胆管が細くなっている部分もあってカテーテルで広げましたが、半年以上ビリルビン15くらいの状態が続きました。しかしこれがダイビングのせいなのか拒絶だったのかわかりません。セルセプトを増やすことでビリルビンが下がってきたので、主治医は拒絶だったのでは、と言っていますが。

今はまた体調が回復してきたのでダイビングをしたいのですが、そもそも移植者はダイビングしても大丈夫なのでしょうか?

また、血管が水圧の影響を受けるため高血圧の人のダイビングは禁止されているそうですが、胆管も水圧の影響をうけるのでしょうか?私はそのせいで胆管がつまった可能性もあるんでしょうか?

移植とダイビングの関係について詳しい情報がないので、誰か知っている方がいたら教えて下さい。


陽佑ちゃん移植報告(手術後193日目)(クリックすると拡大します)

 少々発熱が見られますが、今のところ、ストマの量も調子よく、経口の抗生物質だけで治療しています。最近ではすっかりタッチもするし、ピディオライトもごくごく飲みます。


7月5日  学会へ行こう ブルッセル編 その7

 さて、今日はほぼ一年ぶりにダラスの病院へ、久しぶりの病院で懐かしいのですが、何一つ変わっていませんね。オフィスと病棟に挨拶をします。知っている患者さんが入院していたので、お見舞いに行きます。ちょうど入院していたのは奇遇なのですが、この仕事、病院で再会しないにこしたことは無いので複雑な気持ちです。早く良くなることを祈りましょう。
 後は時間までに空港に戻って、マイアミへの帰途につきます。


7月4日  学会へ行こう ブルッセル編 その6

 昨日の晩は久しぶりにマックに行きました。アメリカより一回り小さな日本サイズです。ピカチュウーを抱えた女の子が笑顔をくれました。日本のアニメはここヨーロッパでも人気があるようですね。
 さて、今日も雨です。アムステルダムのホテルの朝食は噂に聞いていたようにボリュームがあるもので、大陸といってもコンチネンタルブレックファストではないようです。
 ホテルをチェックアウトして、トラムで中央駅へ。ここからスキポール国際空港までは頻繁に列車がでています。20分ほどして空港へ。空港駅で買い物をしますが、ここのスーパーは日本食材まで充実しています。しかし、ここの空港の充実ぶりはこれからです。
 チェックインをして空港内へ。ここの免税店も非常に大きなものです。さらに出国した後にも非常に大きな免税店があり、日本人が握っている寿司屋まであります。これなら、町中でおみやげ物を買う必要が全くありません。これに比べると、成田でトランジットをする旅行者がとてもかわいそうになってきます。
 ロンドン行きの英国航空機は1時間送れて出発。厚い雲の中をガトーウィック空港へ向けて飛行します。また、こちらでダラス行きの便に乗り換え。この空港も構内は狭いですが、お店は充実していて、ヒースロー空港よりはかなりマシです。
 今日はアメリカが独立記念日だからか、セキュリティーチェックが非常に厳しいです。それでいて、ちょとぬけていたりするので...

 10時間あまりのフライトの後、アメリカン航空機はダラス・フォートワース空港に到着します。ここから、入国までの長い列。入国審査官は書類の裏書の期限が切れてると文句を言っていますが、問題なく入国(実際に問題はなかった)。今日はバジェットレンタカーで、レンタカーを借ります。前回ハーツで痛い目に遭ってからレンタカー会社をかえることにしました。こちらは、インターネットで会員登録をすると、チェックアウトをすることなく、勝手に車を選んで出発できるサービスがあります。無料な分、ハーツの会員よりいいかもしれません。
 空港近くのモーテルに宿を取って、現在見学に来ている日本人の先生と夕食を取るのですが、困ったことに、今日は独立記念日。どこも空いていません。仕方がないのでデニーズにて食事を取ります。デニーズで食事を取ったのは10年前に大学のホスピス実習に来たとき以来です。


7月3日  学会へ行こう ブルッセル編 その5

 今日はアムステルダムへ移動です。航空運賃がアムステルダムの方が安いので、アムステルダム経由の人は日本人でも多かったようです。
 長居したB&Bにお別れを告げて、ブルッセル南駅まで
こちらはユーロスターやTGVも発着する、ブルッセル最大の駅です。アムステルダムまで超特急のタリスに乗ってみたかったのですが、すでにかってしまったアムステルダム行きのチケットが変更できないとのことで、そのままインターシティーでアムステルダムへ向かいます。かかる時間は30分も違いません。

 アムステルダムはなんと言っても東京駅がお手本にした駅。とは言っても東京駅とは比較にならないくらい立派です。駅前のインフォメーションで、ホテルを探しますが、ここでは余りやすい宿は見つからないようですね。バックパッカー系の宿は、自分で歩いて探した方が良さそうです。そんなわけで、普通のホテルを紹介してもらって、チェックインをした後に街へ出かけます。

 アムステルダムの街は運河が張り巡らされてあって本当に美しい街です。今度はゆっくりと来てみたいものです。

 さて、今日はアンネの家に出かけていきます。この夏の旅行のテーマは「アンネの足跡をたどって」ということにしたので、アンネが日記を書いた隠れ家のこの家、そして8月には生まれ育った街のフランクフルト、そして、ポーランドのアウシュビッツ=ビナケナウを訪れる予定です。

 ドイツから逃げてきたアンネはこのアムステルダムで、捕らえら、アウシュビッツ=ビナケナウへ送られるまで潜伏生活を送っていました。その時の模様を綴った日記が、皆さんもよくご存じのアンネの日記です。ホロコーストでは600万人の”アンネ”がその人生をみじんにもふみにじみられたわけです。一人の命を助けるだけでも苦労している身としては、600万人という数が、想像も出来ません。

 「この忌まわしい戦争もいつか終わることでしょう。いつかはきっと私たちがただのユダヤ人でなく、一個の人間となれる日が来るはずです。」
 アンネの家では日記の引用からこの文章が最初に記されています。この事実は、遠い世界の話しでも、遠い昔の話しでもありません。


7月2日  学会へ行こう ブルッセル編 その4

 さて、今日は最終日。最後に時期学会の会場決めのプレゼンテーションと投票があったのですが、ロサンゼルスチームのプレゼンテーションがなかなかおもしろいのです。
「ロサンゼルスはブルッセルみたいに雨が降らないし。」
「年間降水量は、シカゴやミネアポリス(対抗馬)の一日の降水量と同じくらいだから。
今回の学会は雨ばっかりだったので、かなり受けていました。そのお陰か、次期学会はロサンゼルスになるようです。

 さて、日本の先生と約束して夜の見に行く前に、ブルッセル名物の小便小僧を見に行きます。これがまた中国人の人だかり。どこもかしこも中国人ばかりです。

 さて、夜は日本の小児外科の先生達とブルッセルビールを飲みに、管理人はムール貝を食べたかったのですが、季節では無いので残念ながら、食べることが出来ませんでした。そういえば、ブルッセル名物ワッフルも食べ忘れました。

 さて、飲んでいい気分になった後「小便少女を知っているか?」という話しになったのですが、このブルッセルには小便少女もいるのです。これが地球の歩き方にも載っているくらいなので有名なのでしょうね。さて、この日はさらにホテルで飲んだ後に終バスにてB&Bへ。「終バスがあるから」というのもなかなか乙なものです。

 ところが、かえったらブレーカーが上がって電気がつきません。家主も「明日の3時まではかえってこないので。」と書き置きを残して消え去っています。見知らぬベルギーの人の家でブレーカー探しです。


7月1日  学会へ行こう ブルッセル編 その3

 今日が2日目、というよりも実質上今日しかありません。さすがに今日遅刻するとまずいのですが、Palmの目覚まし機能だけでは不安になって、昨日町中を探し回った、目覚まし時計をセットします。目覚まし時計というのはいざ探すとなるとなかなか見つからないものです。

 学会が終わると今日は夕食会になります。時間があるので、中央駅のインターネットカフェによって、メールを読みに行くのですが、スパムメールを消すだけで精一杯になっています。ヨーロッパの場合ホテルでインターネットにつなぐとかなり値段が高い場合が多いのですが、駅前に気軽にインターネットカフェがあるのは便利です。ただ例によって、キーボードの配列が違うのには難渋します。

 さて、今日の夕食会はオートワールドというところ。その前に、馬のパレードを見に行くといいと、学会の受付嬢に勧められたので、行ってみた写真がこれ。これを、どうしろというのかな。

 さて、夕食会はオートワールドのなかで、まずはレセプションから。ひたすらシャンパンをあおります。7時から始まって、やっと9時から着席。オードブルはフォアグラのカルパッチョ。脂肪肝はおいしいねと笑いながら、ひたすらメインを待ちます。ところが待てど暮らせど来ません。結局、とある先生が「こんなところにはいられない。日本食を食べに行こう。」とのことで、メインを前にして、ダウンタウンに戻ります。
 お目当ての日本食屋は閉まっていて、斜め向かいの中華料理屋で青島ビールでいっぱいです。ベルギーの敵を中国ではらすと言うところでしょうか。
 それにしても、ヨーロッパの観光客の中国人の多いこと。日本人よりも圧倒的に中国人が多いのです。
 
 さて、この後さらに2時過ぎまで飲んで、タクシーでB&Bへ戻ります。タクシーの運転手も場所がわからないのによく戻れたものです。


6月30日  学会へ行こう ブルッセル編 その2

 今日は学会の初日です。ここの住人のお母さんは朝から仕事で出て行ってしまって、娘さんと二人で残されています。B&Bと言っても、朝食は本当に「勝手に冷蔵庫からとってって。」という感じで、勝手にやっています。
 さて、そろそろ出かけるために顔でも洗おうかと思ったら、お嬢さんが起きてきて洗面所を使い始めました。中学生くらいの娘さんです、朝の洗面が永遠に終わりません。管理人は部屋(洗面所の向かいでお嬢さんの隣)からでられません。
 少し静かになったと思って、中に入ったら未だアイロンがけをしています。さすがにこれ以上送れるわけにも行かないので、洗面所を代わってもらいます。これはかなり計算違いでした。

 さて、駅まではバスで30分くらい。今ひとつ場所がよくわからないので、隣のお兄さんに「中央駅はどちらですか。」と聞いたら、「もう過ぎているよ。」 焦ってバスを降りると、まだではないですか。全く、旅行先で道を聞くといい加減なことを言う人が多いのには困ります。

 なんだかんだ言って、中央駅のバス停に到着。さて、学会場のホテルを探さなければいけません。今回の旅行で一番失敗したのは、場所を事前に調べておかなかったことで、ここでも延々と歩き回ります。(ポスター8枚を抱えていることを忘れないで下さい。)

 やっと学会場にたどり着き、学会費300ユーロという以上に高い学会費を払って入ります。夜はウエルカムパーティーと言うことですが、ひたすらビールを飲みオードプルを食べて、何があるわけでも無く。初日は終わりました。
 


6月28日  学会へ行こう ブルッセル編 その1

 さて、今日から学会です。飛行機は夕方の飛行機だったのですが、早朝からプレゼンテーションの練習、その後回診をした後は、早々に帰宅してぎりぎりまでスライド作成。ベルギーには一度も行ったことがないので、一応、トラベラーズチェックの作成と、電源の変換アダプターの購入とあっと言う間に時間が過ぎます。空港に行く前に、残りのポスターも病院で拾って、急いで向かいます。今回はポスターを8枚も持って行かないといけないので、筒も2本。すっかり運び屋です。
 マイアミ空港からはアメリカン航空でロンドンへ。マイアミはアメリカン空港のハブなので、便利なのですが、アルコールが有料なのが玉に瑕です。でも、今日の機体は777で、足元も広く、ロンドンまでは原稿の準備をする間もなくて爆睡です。隣の紳士は地学の研究者で、こちらが地球の歩き方しか見せていないのに「おまえはScientistか?」と聞いてきました。彼もロンドンで学会発表があるのですが、今日飛行機の到着と共に、午後には発表があるそうです。同じくVAIOで一生懸命準備をしていました。こちらも彼より小型のVAIOでスライドを作りたかったのですが、VAIOのバッテリーが3分しか持たないので、やっぱり爆睡です。

 ヒースロー空港へは定刻通りに到着。この空港のわかりにくいこと、わかりにくいこと。狭くて案内が悪くて、また、ターミナルを映るのにもバスで、結構不便な空港です。ロンドンからアムステルダム行きの英国航空のゲートの表示が出発時刻になってもでなくて、マイアミからの家族連れと共に不安になっていまいした。

 アムステルダム行きは30分程度送れて出発。この便には結構日本人が乗っていました。1時間程度のフライトなのに一応軽食がでます。アメリカの航空会社では考えられないですね。

 さて、飛行機は2時半頃にアムステルダムに到着。このスキポール空港は評判通り非常にきれいな空港で、空港全体がモールのようです。何かヨーロッパの香りがしてきます。空港の構内に国鉄の駅があって、そちらでブルッセル行きの列車に乗ります。ブルッセルまでは30ユーロほど、自動販売機でも購入することが出来ます。
 3時40分の列車でブルッセルへ向かいます。飛行機と違って、せまっこくない上に車窓からオランダの町並みも見渡せてなかなか快適で。KIOSKEの車内販売もまわってきます。

 列車は6時20分にブルッセル北駅に到着。ところが困ったことはB&Bの場所を調べてこなかったことです。駅の構内にインターネットカフェがあったので、こちらで調べても出てきません。ちなみにこちらでメールのチェックもします。ここのカフェでは電話も使うことが出来ます。ちなみにインターネットは0.05ユーロ/分です。
 雨も降ってきて結局場所がわからないので、タクシーで向かいます。タクシーが止まったところは住宅地の中です。何にも標識がでていません。雨も降っていてもし間違っていたら泣きそうです。タクシーもその場合に備えて未だ外で待っていました。しかし、ベルを鳴らすと大家さんが出てきました。8時前にやっと、宿にたどり着き毎した。
 さて、ここのB&Bはほんとに民家の一部屋を借ります。大家さんと娘が住んでいて、娘と大家の部屋の並びの2回の3畳程度の部屋を貸してくれました。鍵を借りて、キッチンやトイレの使い方を教わります。かなり驚きましたが、「今晩お部屋を貸して下さい。」なみに、全く普通の民家に部屋を借りるのです。このあたりはイギリスのB&Bよりもより普通の家に近いようです。
 「ブルッセルの普通の生活を知りたい。」という方にはいいかもしれませんが、プライバシーがほしい方には全く向きません。ホームステイと何にも変わりません。(管理人はしたことがないけれど。)

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