このページは当院で移植を受けられた加藤望氏が、移植の前後の様子を闘病日記として綴られた物です。加藤望氏のサイト上で連載されていた物ですが、移植後1年を経てサイトが閉鎖されるとともに闘病日記も閉鎖されてしまいました。
貴重な闘病日記を閉鎖してしまうのは誠に惜しいので、加藤望氏の許可を得て、再掲した物です。日記をそのまま転載したため、時間が逆になっていますので、おしりから読んで頂けたらと思います。
加藤氏が手記としてまとめられるのをお待ちしましょう。
■2003/11/17 (月) ホームページ閉鎖のお知らせ 永らく皆様にご支援頂きました、「加藤望を支える会」のHPは、11月17日付けで閉鎖することになりました。術後1年検診も無事に終え、ちょっと風邪もひきましたが、今はすっかり良くなりました。闘病日記もこれで終了となりますが、今回の肝臓移植の体験を手記としてまとめてみようと思っています。何時になるか分かりませんが、なるべく速く皆様に提供できればと考えています。1年半の間、本当にありがとうございました。 加藤 望
■2003/11/14 (金) A Good New! 今日は良いニュースを聞きました(読みました)。先月、ダラスの帰りに北カリフォルニアに寄って、スタンフォード大学病院に入院している、聖子さんをお見舞いしてきました。そのことを日記に書きましたが、なんとその聖子さんが近日中に移植待機者リストに載れるとの事です。本当に良かったです。3ヶ月半の入院中、言葉のハンディに戸惑いいらいらしたこともあったでしょう。でもお母さんと一緒に苦しいリハビリに耐え、頑張って、本当に良く努力されたと思います。あとはリストに正式に載って、手術を待つだけです。それまで風邪などの感染症は禁物ですから、体調が守られ体力も回復し、ベストの状態で手術に臨むことが出来ますようにお祈りしています。彼女は未だ20台前半の若さです。これから将来のある聖子さんの前途に、たくさんの祝福がありますように。
僕の風邪も抗生物質のおかげで、ほとんど良くなりました。ご心配下さりありがとうございます。昨日、広大からこの間の検査結果が送られてきましたが、肝機能の数値は今までで一番良かったです。GOT/GPTは10/10、総ビリルビンが0.6、今までいつも高かったALPも295と正常値になっていました。相変わらず少し貧血気味の事を除けば本当に元気です。ただ血中プログラフ濃度が5.3ngと下限ぎりぎりなので、あるいは飲む量を増やされるかも知れませんが…。今回少し風邪をひいていたし、仕事の上でも結構ストレスがかかっていた時でしたから、数値は悪いかなぁと思っていたのですが、やれやれと胸をなでおろしています。新しいメキシカンの肝臓君は本当に元気なんですね。少々のことではへこたれない、タフな肝臓のようです。「アスタ・マニアーナ(明日があるさ)」は良くメキシカンの友達が使っていたスペイン語ですが、正にその通り。くよくよしたって始まらない、明日があるさ。小さい事にこだわらず明るく前向き(悪く言えばいいかげんですが)に生きていこうという、ラテン系特有の気質が、僕の肝臓君にもあるのでしょうか。ドナーもきっとそんな闊達な人だったのかなぁ、と考えたりします。ドナーと神様にただただ感謝するのみです。
■2003/11/12 (水) 寒い! ところで月曜日から毎日寒いこと。月曜の気温は14℃。曇りで小雨がぱらついて、そんな中病院に行ったものですから、風邪が良くなるはずありませんよね。でも抗生物質をもらえたわけですから、しかたありません。昨日は17℃で雨。広島空港まで父を迎えに行きました。父は2週間東京は三鷹で過ごしてきました(娘宅)。冷えたんでしょうか。何となく頭が痛くなりました。そして今日、水曜日は雨の予報が外れて、朝から晴れで気温も19℃と少し暖かく平年並みになりました。風邪の方は抗生物質が効いてきたのか、大分治まり、咳もほとんど出なくなりました。頭痛はありません。まだ時々痰が出ますが、色も薄くほとんど透明です。炎症が治まってきた証拠です。
ところで家の中は案外寒いので、フード付きスェットシャツを着込んでいます。下半身はしっかりパッチで固めており、その上にスエットパンツ。見るからにグレーの着ぐるみを着ているみたいです。久美子や子供たちからは、ポーラーベア(白熊さん)と呼ばれています。とあるCMにポーラーベアの母熊と小熊が登場し、別ワクで怠惰に雪の上で顎を出して寝そべっているお父さんベアのことを「あれでけっこう忙しいのよ」と母熊がかばうのです。そのお父さんベアに僕がそっくりというわけです。そんなにいつも怠惰にころがっているかな〜。そういえば最近、風邪をひいて具合が悪く、カウチでごろごろしていたかも。移植を受ける前は、もっと頻繁にカウチでごろごろしていましたけどね…。
今週末から、色々とお客さん続きで忙しくなります。しっかり体調を整えて体力をつけておかないといけません。
■2003/11/10 (月) 抗生物質のお世話になる 今日は広大の定期検診の日。まだ咳と濃い鼻水に痰といった症状が改善しないので、とうとう抗生物質を出してもらいました。免疫が抑制されているため、感染症に罹るとなかなか治りません。そこで抗生物質の助けを借りるわけです。この薬は症状が治まったからと言って、途中で止めてはいけません。処方された通り最後まで忠実に飲まないと、菌は死なないのです。途中で止めてしまうから、抗生物質に対する耐性を持った「耐性菌」が出てきてしまうのです。とにかく早くこの不快な症状が治りますように。
昨日は幼児祝福式があり、大人80人以上、子供40人が集まり、にぎやかで楽しい礼拝となりました。赤ちゃんもお母さんと一緒に何人かいましたが、ごほごほ咳をして、可愛そうなくらいの子もいました。僕と同じ様な症状です。鼻とのどをやられる風邪が流行っているようですね。皆さんも気を付けて下さい。
■2003/11/06 (木) 風邪は大分良くなりました お蔭様で大分風邪も良くなりました。昨日の夜は頭が痛くてまいりましたが、今は大丈夫です。未だなんとなくのどがいがらっぽいですが、咳やタンが出る回数がかなり減りました。微熱もとれてすっきりしました。ご心配ありがとうございます。
今度の日曜日は幼児祝福式礼拝で、30人以上の子供たち(サムエル幼稚園の園児さん)がお父さん、お母さんと一緒に来ることになっています。にぎやかな礼拝になることでしょう。主イエス様も子供たちを連れてきたお母さんたちにやさしく語りかけ、手を頭において子供たちを祝福されました。それに倣っての礼拝です。無邪気な子供たちに、神の祝福がありますように。
■2003/11/03 (月) ベイラーへの電話 昨日から身体がだるくてのどがいがらっぽく、咳が時々出ていたのですが、今朝はもうだめっという状態になりました。夕べ寝ている間に寝巻きを2回取りかえるくらい汗をかいて、だいぶ体はすっきりしたのですが、はなから青っ洟が出るはたんが出るは、頭は痛いわで、朝8:30にとうとうベイラーの移植後コーディネーターに電話をしました。24時間オンコールなので、こういう時は大助かりです。移植外科オペレーターに名前を言って電話番号を告げ、どうやら風邪をひいたらしいこと、咳、たん、のどの痛み、頭痛、熱も37.5度くらい(実は測っていなかった。後で測ったら36.5度と平熱)あると伝えると、30分以内に担当者から電話があるからとのこと。待つこと3分、電話がかかってきました。市販の薬で飲んで良いものを確認し、もし2〜3日症状が続くなら病院に行くように言われました。タイラノールの風邪薬だったら大丈夫とか。あとスダフェドもOK。タイラノールは日本でも売り出しているので大丈夫です。咳止めやスダフェドはこの間ダラスに行った時に買っておきましたので。日本から、とオペレーターに言っておいたので、速めに対応してくれたのでしょうか。今日は祝日で広大はお休み。こういう時に電話しても対応は期待できません。移植患者への緊急時の対応はどうなっているのか、未だちゃんと確認していません(まあ、これくらいの風邪は緊急でもないか)。どうせ日本の病院に行ったところで、当直医が移植患者を扱うことを拒むケースもあるとか、患者仲間に聞かされていますので、ベイラーの24時間体制は本当にありがたいです。でも本当の緊急時には広大でちゃんと対応してもらわないと困るので、今度主治医に会ったらしっかり確認しておくに越したことはありませんね。咳と頭痛は今は大分治まりましたが(夜11:45)、未だのどが痛く、タンが出ます。明日の朝にはすっきり治っていることを期待して、寝ることにします。
■2003/10/31 (金) 薬の副作用 さて、新しい免疫抑制剤セルセプトは、嘔吐や胃腸傷害などの副作用がありますが、今のところ僕は大丈夫です。いずれにせよ、免疫を抑制するということは、身体に変調をきたしますから、それと向き合って付き合っていかなければなりません。自律神経失調気味なのはずっと続いています。特にめまいには困っています。普段は大丈夫なのですが、急に起き上がったり、急に振り向いたりと、急に頭を動かすとくらくらしてしまうのです。また、寝ていてちょっと目の位置を動かしただけで、天井がぐるぐる廻ってしまうこともあります。これもやはり更年期障害の症状として、よく指摘されているようですね。あとは、突然手のひらや足の裏に汗をかいて(別に手に汗握る熱戦を見ているわけでもないのに)人と握手する時など困ってしまいます。
■2003/10/28 (火) 新しい免疫抑制剤セルセプト 新しい免疫抑制剤セルセプトの飲み方が、どうも間違っているようなので、コーディネーターのシャロンのメールで問い合わせてみました。肝臓移植患者の先輩から指摘されましたので…。僕の記憶では、1年検診の時にプログラフと一緒に飲まないように、そして空腹時に、と言われたと思うのですが、とんでもございません。シャロンによると、プログラフと一緒に飲んでかまわないとのこと。しかも空腹時よりは食べ物がお腹に入っているほうが良いとか…(・・)。僕が思い違いをしていたのか、それとも教えてくれた医師が間違えたのか、今となっては記憶が定かでありません。まあ今のところ、胃がおかしくなる事もなく何事もないので、明日からプログラフと一緒に飲むことにします。それにしても、このセルセプト、カプセルから白い粉が出ていたら、絶対に飲まないようにという薬です。何でも胃に穴があいたり、食道に炎症を起こしたりすることがあるとか。非常に強い薬なんですね。ひょっとして僕は非常に危険極まりない飲み方をしていたのではないでしょうか。まったく冷や汗ものです。指摘してくれた先輩にも感謝です。
■2003/10/23 (木) 久々のメキシカン 昨日は久しぶりにいつもお世話になっている、H牧師先生の所に家内と二人でお邪魔しました。お茶を飲みながら1年検診の結果報告をして、先生は心から喜んで下さいました。夕方遅くなったので、そのまま途中の駅で子供たちをひろって、先生の知り合いのガテマラ人、ロペスさんがやっているお好み焼屋に連れて行ってもらいました。お好み焼はもちろん、チキンファヒタなどのメキシカン(あるいはガテマラン)料理も楽しめるので、知る人ぞ知るというお店です。ロペスさん、器用にお好み焼を作るのです。またこれがおいしくて、結構流行っています。久美子や子供たちはお好み焼を、僕はもちろんチキンファヒタとガテマラスタイルのビーフシチュウ。そしてチリビーンズ(ちょっと辛い)も食べました。日本に帰って来てから、メキシカン料理を食べていなかったので、本当においしかった。肝臓君も大喜びでした(身体でそう感じるのです)。「デリシオッソ」とか「サブリオッソ」(いずれも「おいしい」という意味のスペイン語)を連発して、ロペスさんも結構喜んでいました(子供たちによると、呆れていたそうですが…)。
またメキシカンが食べたくなったら、ここに来ようと心に堅〜く誓いました。まさか広島にこんなお店があるなんて、奇跡です(ごめんなさい。広島のことを悪く言うつもりはありません。あしからず)。
■2003/10/20 (月) 広大での検査結果 15日の血液検査の結果が、今日Faxで送られてきました。結果は良好で、GOT/GPTは12/13と今までで一番低い数字です。総ビリルビンも0.7と正常値。新しい免疫抑制剤セルセプトの副作用で白血球の減少と言うのがあるのですが、それも6,510と正常値でした。プログラフの血中濃度も7.1ngと安定しており(望ましい数値は5〜10)、早速ベイラーの方にFaxで送りました。ただこのところ体温調節がうまくいかなくて、上半身だけ火照って足元が寒かったり、軽い頭痛があったりと、いわゆる更年期障害のような症状が出ています。急に冷えたこともありますが、自律神経が失調ぎみのようです。これも免疫抑制剤の副作用ですので、気長に付き合っていかなければなりません。ご婦人方と妙に話が合ったりして、何だか変な気持ちがしないでもありません。
昨日は同じ教団に属する教会(車で30分の所にある)の献堂19周年記念集会に招かれて行って来ました。移植前後の体験談、心の葛藤と、そんな私を支えてくれた聖書の御言葉についてお話しました。午後には中国地方の教会の青年たち対象の音楽集会があり、ロサンジェルス時代から良く知っている宣教師のLさんがギター片手に歌い、聖書のお話をしてくれました。うちの教会の若者たち(10台と20台)4人が歌ったりして、結構盛り上がり楽しく過ごしました。ただ朝から夜まで出ずっぱりでしたので、少々つかれましたが…。これで広島にあるお世話になった教会にはすべて、移植手術成功の感謝報告が出来たのではないかと思います。栄光が神にありますように。
■2003/10/18 (土) 親子の日常 日本に帰ってきてからしばらく軽い時差ボケが続いていましたが、やっと正常になりつつあります。妻の久美子はまだ朝5時頃に起きて、夜は8時前から「ねむ〜い」と言って、目が点になっています。「マミー、年のせいかもよ」と子供たちに言われて「ちがうよ!」と口を尖らせています。私はといえば、免疫抑制剤の副作用で血糖値が高くなっているのですが、今のところ運動によって下げるしかありません。そこで朝子供たちが学校に行く時、一緒にバス停まで早歩きすることにしました。子供たちは7時5分には家を出ます。バス停までは歩いて5〜6分です。僕がぐずぐずしていると「カモーン、ダディー」と娘のレベッカにどやされる始末。「何だかペットの犬みたいね」とは久美子の弁。お互い子供たちにからかわれたりする年になったのか、とちょっと嬉しい反面、老いを感じたりします。こうして親も子供も、年相応にその関係が成長していくのでしょう。ところで、初日の昨日、帰りの坂道を軽くジョギングして帰ってきたら、2分も走らないで息が上がりへろへろ。家に着いてしばらくしたら、左足の親指が付け根が痛くなったりして、「ったく〜。最初から無理するからよ」と久美子に呆れ顔でにらまれる始末。相変わらず、肝臓を取り替えても、猪突猛進の性格は直っていないようです。
ところでこちらの中国新聞10月7日号の朝刊に僕の記事が載り、新聞社から当日の新聞が送られてきました。また知り合いの人からも切りぬきが送られてきたりして「読みましたよ〜」「元気になって本当によかった」などと結構反響がありました。先月15日、森の結婚式場のオープニングの司式をおおせつかった時、新聞社の取材を受けており、その記事が載ったのです。肝臓移植手術後1年で、仕事に復帰している様子を伝えたいとの記者の熱心な取材に、1時間以上久美子と話したのを覚えています。暗いニュースが多い中で、少しでも明るいニュースを提供できたでしょうか。そうだと嬉しいのですが。
15日に広大で血液検査とHBIG(抗体注射)の治療を受けてきました。新しい免疫抑制剤を飲むようになって、抑制剤の血中濃度がどうなっているか、早く知る必要があります。またFaxで送られてくるはずです。これからの1年、体力の回復と体調維持に地道に努めていきます。ちょっと柄にも無く殊勝な言葉ですかね。
■2003/10/16 (木) 一年検診の旅・余話 ところで今回の旅で、どうしても会いたかった人との再会、そして思わぬ出会いがありました。どうしても会いたかった人とは、ダラス日本人教会のK姉です。去年僕がベイラーで手術を受けた頃、彼女のご主人もC型肝硬変で自宅静養していました。他の病院で治療を受けていたのですが、僕が帰国する頃ベイラーに移り、確か今年の2月に移植候補者のための検査を受けたのでした。が、心臓が悪いことが判明し移植待機者リストにのれず、4月に残念ながら天に召されていきました。どんなにK姉がつらい思いをされ、さびしい思いをされていることか、と思うと久美子と二人でどのように声をかけたものかと思案していました。礼拝後の会食の時、彼女の元気な声が聞こえました。久美子と僕と思わず振り向き、K姉と抱き合って再会を喜びました。しばらく久美子と話していましたが、愛するご主人を天に送って、別離の寂しさはあるものの「天国で待っててね、と送り出したのよ」と語っておられました。天と地と別れていても、必ず天において愛するご主人と再会できるとの希望が彼女を支えているようでした。キリスト信仰の素晴らしい点ですね。ダラスを発つ前の晩、彼女の家に教会の皆が集まり、メキシカン・パーティーをしてくれました。K姉初め教会の皆さんの温かい愛のおもてなしを頂いて、久美子も僕もダラスを後にしたのです。
もう一つは北カリフォルニアのウォールナッツクリーク教会での出会いです。その方のご主人は93年に同じベイラーで肝臓移植を受けられましたが、99年にC型肝硬変が再発して天に召されたそうです。ハワイの英語部の教会で牧師をしておられたそうで、身につまされます。移植手術後、お子さんが与えられたそうで、お子さんが心の支えになったそうです。彼女は僕の日本語の説教を英語で同時通訳してくれました。久美子と主に話していましたが、移植患者の主人を抱えた妻の苦労話をしていたようです。彼女も天国でのご主人との再会の希望を持って、毎日の生活を送っておられます。
移植待機者リストに載れずに亡くなった方、移植後6年でなくなった方、でもお二人ともキリストを信じる信仰を持って天がけって行かれました。地上に生かされている第二の人生を与えられた僕としては、生きる使命と責任を痛感します。同時に、毎日命が与えられていることが奇跡なんだなーと思います。日々大切に生きて行きたいですね。
■2003/10/15 (水) 一年検診無事終わる(その3) 10月3日からはカリフォルニアに8日間滞在しました。ロスに5日、サンノゼに3日です。かつて留学生時代にお世話になった日系人教会の牧師先生方や信徒の方々にお会いし感無量でした。去年手術のために皆さんが祈り、また募金に協力して下さったのです。全部で6ヶ所の教会で集会を開いていただき、皆さんに感謝の報告をすることが出来ました。特にロスの教会での礼拝は英語、スペイン語、日本語の3ヶ国語の礼拝で、僕が英語で話し、横でガテマラ人教会の先生がスペイン語で通訳し、2階のブースでは日本語の同時通訳をイヤホーンで流すというものでした。キリストを信じる信仰は、国を越え文化を超え言葉を越えるのです。日本の教会の人たちにもぜひ味わってもらいたかったですね。おまけに僕の肝臓はヒスパニックの男性から頂きました。メキシカン、あるいはガテマランだったかもしれません。僕の身体自体がインターナショナルになってしまったのです。これはまさに神様からの祝福ですね。
ところで今回スタンフォード大学病院に入院している高山聖子さんを訪ねました。7月30日から入院していて心臓移植を待っているのです。体力が極端に落ちていてリストに載れず2ヶ月が過ぎてしまったそうですが、大分体重も増えあと一息のところまで来ているとのことです。お母さんともお会いしてお話することが出来ました。日本では、アメリカに行けばすぐにリストにのれて手術も受けられるように言われて来たとおっしゃっていましたが、アメリカでは移植手術にはまず体力がいるということが大前提ですから、全く治療方針が違ってきます。日本の内科優先の治療では絶対安静でほとんど寝たきりだったそうですが、アメリカでは毎日2回のリハビリ、そして「食べろ、食べろ」の毎日。「あなたは24時間食べててもいいのよ」とナースに言われた、と聖子さんが笑って話してくれました。正にカルチャーショックだったそうです。去年僕がベイラーで移植前検査を受けた時、やっぱり「とにかく何でも食べて体力をつけて」と言われて、正直面食らったのを思い出しました。僕も日本では内科治療を受けていて、低カロリー食だったのです。「あなたの身体はたんぱく質不足で、筋肉のたんぱく質を消耗しているのよ。だからどんどん食べてたんぱく質を補わないと」と言われて本当にびっくりしました。聖子さんの体力が回復し一日も早く手術を受けられますように。
■2003/10/13 (月) 1年検診無事終わる(その2) 9月26日から10月3日までダラスに居たわけですが、時差ぼけを直すのに結構苦労しました。朝は3時頃に目が醒めてしまって、お腹が空いているので超早めの朝食です。午後は4時ごろに猛烈な睡魔に襲われ、昼寝をしようものなら8時くらいまで寝てしまう始末。若い時のように速く時差に適応できないようです。
28日の日曜日はダラスの日本人教会で礼拝説教をしました。懐かしい方々と再会して感激でした。お世話になった新垣先生ご一家のお子さんたちも、ちょっと見ぬ間に大きくなっていました。今回空港に迎えに来てくれたり、あちらこちらに連れて行ってくれたのは、克っちゃんこと、河野克也先生ご夫妻です。検査が終わって翌々日、フォートワースにあるストックヤードに連れて行ってくれました。立派の角がある牛追いが見れたり、ロデオが見れたりするので、是非にとお願いしていた所です。11:30の牛追いにぎりぎりで間に合いましたが、牛は5〜6頭だけで、もっと勇壮なものを期待していた僕としては、ちょっと期待はずれでした。おまけにロデオは週末にしかやらないとかで、中は閑散としていました。でも、かつてカウボーイたちが闊歩していた町並みは健在で、古き良き西部の名残があちらこちらにありました。子供たちのお土産に、テキサスレンジャーズや保安官のバッジを買ったり、お昼には安くて旨いテキサスビーフを堪能しました。付け合せのポテトフライのでかいこと!ナイフとフォークで食べなければならないくらいでした。
時間が前後しますが、検査の翌日にはインターナショナルオフィスのレイディース達と、おいしいメキシカンを食べに行きました。エル・ランチートというほとんどメキシカンしか行かないお店です。チキンスープやビーフスープにシラントロ(メキシカン香菜)とライムを入れて食べたり、カブリト・ア・ラ・パリヤ(やぎ肉を蒸し焼きにした物をサルサやガッカモレを入れてトルティヤで巻く)を食べたり、おいしかったですね。タダ量の多さに圧倒されました。1人前で3〜4人分はきたかな、という感じです。イメルダ、ナンシー、マーガレットとワイワイにぎやかにはしゃぎながら食べました。彼女達は僕が元気に帰ってきたことを我がことのように心から喜んでくれました。去年、彼女達の明るさがどれだけ慰めとなったでしょうか。よくメールでも励ましてくれました。来年の再会を約束して別れました。
■2003/10/12 (日) 1年検診無事終わる すっかりご無沙汰してしまいました。9月26日にダラスに行き、29日に1年検診を受け、西海岸の日系人教会で7回の集会で経験談を語りお礼を申し上げて、11日(土)夜10:30に広島に帰ってきました。アメリカには都合16日間行っていたことになります。ところで今回渡米前2日間東京に滞在し、日本移植支援協会を訪れ、代表の高橋さんにお会いし有意義な一時を過ごしました。また14年前ベイラーで肝臓移植を受けたN氏ご夫妻と、今年2月にマイアミで肝臓移植を受けたH氏ご夫妻と食事会を持ちました。3人の移植患者が一同に会して、パクパクと中華料理を食べて話に花を咲かせている図、想像できますか。廻りの人は誰も移植患者とは思わないでしょう。中身の濃い18日間でした。
さて検診の結果ですが、肝臓は全く異常なし!との診断が下りました。血液検査では肝機能の数値が、なんと広大で調べている時より良くなっていました。ダラスに行って肝臓君もホッとしたのでしょうか。心臓も腎臓も大丈夫でした。僕の血液中にはB型肝炎ウイルスがまだいるのですが、ラミブジンという飲み薬と、HBIGという抗体の大量投与(3ヶ月に1度)の治療のおかげです。けれどもこの検診、朝の6時15分に入院手続きをして、終わったのは夜10時!約16時間病院に缶詰でした。血液検査に始まり、腹部エコー、肝生検、グロフィル(腎機能検査)、MUGA(心臓の検査)、MRI、CT、ガン専門医の検診と盛りだくさんの内容です。肝生検はマジックハンドの異名を持つ上野先生でしたので痛みもなく、本当に願ったりかなったりでした。腎機能検査は時間を決められて大量の水分を飲まなければならなかったので、結構苦しかったです。ゲフゲフいいながら、Dr.Pepperや紅茶を何とか流し込んでおしっこを出しました。検査の待ち時間が結構あったので、上野先生と話したり、懐かしい看護婦さんが会いに来てくれたりと有意義な時でもありました。今後は免疫抑制剤を2種類飲むことになりました。プログラフの量を6mgを1日2回から4mgに減らし(腎毒性があるため)、セルセプトという腎毒性のない免疫抑制剤を合わせて飲むのです。1000mgを1日2回ですが、プログラフを飲んでから2時間後、しかも空腹時に飲むようにします。副作用に吐き気とかがあるためです。主な副作用は白血球の数が減ることだそうです。身体も大分新しい薬になじんできました(続く)。
■2003/09/20 (土) 1時間の歯の治療 昨日は広大歯学部に行って、歯の治療の仕上げをしてきました。とは言っても、のせてもらった歯は仮歯で、2〜3ヶ月したら金属を入れて、本格的な歯を入れてくれるそうです。ところでこの仮歯、今まで歯がなかった空間を占領しているのですから、何となく違和感があります。ぎゅっと噛むと歯茎が少し痛いし、慣れるまで少し時間がかかりそうです。今回は土台を作るためにガーガー削られたり、小さなねじみたいなものを土台に埋め込んで、その上に仮歯を乗せるので、結構手間がかかりました。おまけにセメダインで接着するので、口の中にシンナーのような味が広がって、たまりませんでした。もちろん、口の中で使うセメダインですから、飲みこんでも大丈夫なように加工されていると思いますが…。治療には1時間くらいかかりました。その間、口はほとんど開けっ放しですから、結構顎が疲れましたね。
夜は、教会の若者たちとボーリング大会。大学生は夏休み最後の週なので、忙しくなる前に「先生、ボーリングに行こう」というわけで、久美子とジョーイを連れて行って来ました。3ゲームずつ投げましたが、気持ちの良い運動になりました。久美子は生まれて初めて3ゲームを投げたとか。大学生たちのパワーあふれるボーリングに圧倒されながらも、楽しんできました。彼らは身長180cm以上の長身で腕も長いので、ボールのスピードが違います。スカ−ンと、ピンが折れそうな音がしていました。夜ということもあり、油が薄くなっていてレーンは遅め。結構コントロールに苦しみましたが、僕はハイゲーム187でまあまあでした。終わってから皆でラーメン屋に行って、ラーメンや餃子、チャーハンをたらふく食べて家路に着きました。アメリカから帰ってきたら、安い卓球台を購入して、今度は卓球大会でもやろうかと考えています。集会の事より、遊ぶことに熱心な牧師として名を馳せつつあるようです。
■2003/09/16 (火) 初めての結婚式 15日のお休みの日。この日は春から頼まれていた、知り合いの結婚式場開きで、最初の結婚式の司式をしてきました。ここ美鈴が丘から車で2時間弱の所、八幡原にある「ファーム・ノラ」です。広島に来た最初の夏、家族で泊まった山小屋で、それ以来何度も足を運びました。奥さんが料理研究家で、おいしい料理を堪能できる、知る人ぞ知る秘密の場所です。ご主人は以前はヨットのデザイナーだったとか。山の上にヨットが置いてあって、さながらノラならぬ「ノアおじさん」といった感じです。この夏、建築科の大学生たちが交代で山に来て、全て自分たちで、ご主人の指揮の下、可愛い式場と披露宴が出来るパーティー会場を建て上げたのです。式の始まる2時間ほど前に着いたのですが、まだとってんかってん工事の仕上げに追われ、本当に間に合うのかちょっと不安でしたが、何とか1時間遅れで式を執り行うことが出来ました。全てが手作りなので、本当にアットホームな雰囲気で、素敵な結婚式となりました。式は15分ほどで終わり、後はパーティー。新郎新婦の友人たちが30人ほど集まり、楽しくワイワイやっていました。若い人たちの中で一緒にパエリヤや鹿肉の燻製、ウサギの肉、ホロホロ鳥の丸焼き、石釜ピザなどなどおいしい食事を食べながら、久美子も僕も元気をもらった感じです。久美子とハワイアンウエディングソングをハワイ語と英語でデュエットしたりして、結構楽しみました。
ところで女性新聞記者の方が式場に来られ、僕が移植手術後仕事に復帰している様子を取材して行かれました。帰国直後の2月にも同じ新聞社の取材を受けていましたが、こうして追跡取材をして下さることに敬意を表します。「見た目では1年前に大きな手術を受けた人には見えませんね」と言われ、肝臓移植後にこんなに元気になるということに驚いておられました。生活分化部のページにのるとかで、暗いニュースが多い中、少しでも明るいニュースを社会に提供できれば、と願っています。
「今後結婚式が入ったらまた司式をお願いします」とご主人に頼まれましたので、喜んで引き受けました。もちろん教会の務めの妨げにならない程度ですが。ご主人とはお互いに何となく気が合うので(二人ともひげを生やした山男タイプ)、これからも長ーい付き合いになると思います。術後1年、節目の時に僕にとって日本では初めての結婚式。おまけに式場開き。良い記念となりました。
■2003/09/12 (金) 結果良好・台風の話 昨日、8日の血液検査の結果がFaxで送られてきました。腎機能の数値が少し高めでしたが、免疫抑制剤の副作用ですので心配ありません。肝機能数値は正常値です。Got/Gptは18/15と、今までで一番低い数字です。総ビリルビン値(黄疸の値)も0.8ときわめて良好です。ただプログラフの血中濃度が6.8ngと先月の6.2ngより少し上がっていましたが、まだやや低めです。6を切るとまた薬の量を増やされてしまうので、何とか7〜8で落ち着いてくれ、と願うばかりです。今は6mgを1日2回ですが、7mgに増やされたりしたら金額も高いですし、副作用(腎臓への負担や免疫力低下等)も少しは強く出てきます。でも血中濃度と薬の量の関係ばかりは個人差があり、その人の新陳代謝のスピードにもよるそうで、仕方ないですね。
ところで最近こちらでは目が廻ったり、耳鳴りがしたり、のどが痛かったりと、ヘンな風邪が流行っているようです。娘のレベッカがおととい、のどが痒くて咳が出るし頭が痛い、と言って学校を休みました。僕も右側ののどの奥(扁桃腺と耳管がつながっている辺り)が、つばを飲むたびに痛んで何だか不快感がありました。今日は大分良くなりましたが…。きっとこの残暑のせいでしょう。熱帯夜が続いて寝苦しくて、睡眠が十分に取れていないのかもしれませんね。
今日も広島は蒸し暑いです。曇り時々小雨といった天気ですが、外に出るとムッとします。台風14号のせいで南から湿った空気が入ってきて、秋雨前線が活発になっているとか。おとといの朝の雷雨はすごかったです。時間雨量30mm級の土砂降りの雨と、光ってすぐガラガラッとなる雷が1時間くらい続きました。「猛烈」という一番強いランクに入る台風14号はすさまじい風と雨で、甚大な被害を宮古島にもたらしましたね。中心気圧912ヘクトパスカル、最大瞬間風速74.1mと、想像を絶する規模です。今後巨大台風が増える可能性が大と言われていますが、10年前アメリカのマイアミを直撃したハリケーン・アンドリュウは、最大瞬間風速85m以上を記録しました。気象観測所の風力計が風で吹き飛ばされてしまったので、そう言うしかなかったそうです。地球温暖化の影響で台風の巣・南シナ海やカリブ海(ハリケーン)の海水温度が上昇しているせいだそうです。何だか私たち人類は自分で自分の首を締めているようですね。
■2003/09/08 (月) 定期検診と歯の治療 今日は定期検診の日。朝9時までに病院に駆け込んで、診察と採血です。結果はまた2〜3日後にFaxされてきます。体調はまあまあなので、今度も大丈夫でしょう。ところでここ1週間ほど、急に頭を動かしたりすると目が廻ってくらくらする症状が続いています。耳から来てるのかも知れませんが(右耳が慢性中耳炎です)生活に支障はないし、痛みもないので気にすることもないと思っています。9月に入ってからの酷暑で疲れが出たのかもしれませんね。広島は今日も33度。今朝の最低気温も25度はあったような感じです。今まさに夏本番といった感じで、たまりません。ポカリスエットなどで水分、塩分、糖分(ブドウ糖)を補給しないと、日中出歩くのは危険なくらいです。
今日はまた歯の治療も午後からあったので、ほとんど1日を広大病院内で過ごした感があります。最終的な治療の段階に入り、左下顎の奥歯の大きく開いた穴にしっかり薬を詰め込んでもらいました。来週様子を見て、もし炎症が起きていなければ、上に義歯をのせる処置をしてもらいます。これで思いっきり堅いものを左奥歯で噛めるようになるのです(ちなみに僕は左で噛みます)。移植患者は免疫抑制剤の副作用で、カルシウムが不足がちになり、歯も気を付けていないと虫歯になりやすくなります。半年に1回は、歯垢の除去などのお手入れをするように推奨されているくらいです。
■2003/09/06 (土) 高知にて 9月2日から4日まで高知に行って来ました。西日本教職者セミナーに出席するためです。自分の説教をどのように改善するか学びました。自分の説教をテープで聞き返し、分析し改善していくように勧められましたが、今まで最後まで自分の説教テープを聞いたためしがありません。自分の声が耳障りで、なんか気持ち悪くなってしまうのです。「自分の説教なんか聞きたくないですよ〜」と言うと、「私の指導教授が、自分で聞けないような説教をよく人様に聞かせられるね〜、と言ってました」と言われ、皆思わず苦笑。プロである以上厳しく己の説教をチェックし磨きをかける事は、当たり前のことのはずです。自分に厳しくしないと…。
高知と言えば「鰹のたたき」と「皿鉢(さわち)料理」。ホテルに12時に着いたので、ちょっと足を伸ばして漁師がやっている店でまず刺身を食べました。同行の牧師先生ご夫妻にご馳走になったのですが、鰹の刺身2皿、かじか、かに、新子(何かの子供)、よこやり(近海マグロ)の刺身1皿ずつと、豪快に食べました。新鮮で本当に旨かった〜。ホテルでは最初の晩に皿鉢料理が出てまたまた感激。大皿に刺身、寿司、揚げ物、鯛のあんかけ、豆腐、焼き貝などが盛ってあり、豪快な料理です。食べすぎてセミナーそっちのけだったりして…。いーえ、ちゃんとセミナーにも参加しました!入り江に面した海辺のホテルでゆったりくつろいだ3日間でした。
ところで、今月末に迫ってきたアメリカ行きですが、家内の久美子も同行することになりました。当初、僕一人で大丈夫ということで久美子も納得していたのですが、どうも心配になってきたらしく「私も行く〜」ということになりました。最近僕がボーっとしていることが多いので仕方ないですね。廻りの人たちからも、ぜひそうして下さい、と言われました。なんだか皆さんもホッとされたようです。まだまだ人の目には危なっかしく映るのでしょうか。それとも大きな手術を受けて1年もしないで元気に飛び回っている僕の姿を喜んでいらっしゃると同時に、前例がないので戸惑っていらっしゃるのでしょうか。いづれにせよ2週間教会を留守にして、ダラスとロサンジェレスとサンフランシスコを訪問してきます。レベッカとジョーイはそれぞれの友達の家にホームステイさせてもらって学校に通います。良き友人や知り合いの方々にめぐまれているなーと思います。本当に感謝です。
■2003/08/30 (土) アメリカ訪問の日程 早いものでもう8月も終わりですね。光陰矢の如し、との感を深めています。9月末の1年検診と挨拶回りの日程が決まりました。26日から10月3日まではダラスに滞在します。ベイラー大学医療センターの移植者専用アパートTwice Blessed Houseに1週間部屋を予約しています。1日$30と思っていたら、$40に値上がりしていました。仕方ないですね。28日(日)の礼拝はダラスの日本人チャペルで説教します。移植手術の前後は余裕がなく、また体力もなく、観光に行かずに帰って来てしまったので、今回は2、3箇所行ってみようと思います。ロデオで有名なストックヤードはぜひ行ってみたいですね。ダラスの隣町フォートワースにあるので、車で45分くらいです。10月3日から8日まではロスアンジェレスに滞在し、留学生時代からお世話になった方々とお会いします。礼拝や特別集会が3回ほど組まれています。8日から10日はサンフランシスコに滞在し2箇所の祈祷会でお話します。カリフォルニア(西海岸)は時間がないので観光はほとんどなしでしょう。以前16年もいた所ですから、別にこれといって行きたい所はないのですが、まあ欲を言えば、サンフランシスコから車で3時間で行けるヨセミテ国立公園には行ってみたいですね。氷河に削られたU字谷や、荒荒しい岩山は本当に圧倒されます。留学生時代に10回くらい行きました。レベッカが生まれて5ヶ月でテントを張って3泊したくらい好きな場所なのです(年配の人たちから呆れられました)。でもおかげで、レベッカもジョーイも山が大好きです。近い将来、教会の若者たちを連れてキャンプできたらいいなぁと、今から夢を描いています。
2週間の日程ですが、旅の安全と健康のためにお祈り下されば幸いです。今回は一人で行きます。皆さん、大丈夫ですか、と心配して下さるのですが、本人はいたって元気ですのでドジを踏まない限り、飛行機が連れて行ってくれますし、空港には必ず友人や知人が迎えに来てくれていますので大丈夫です。ご安心下さい。
来週2日から4日まで西日本教職セミナーが高知であるので行ってきます。近くの教会の先生ご夫妻の車に便乗して行きます。セミナーや牧師先生方との交流も楽しみですが、何と言っても「土佐のかつおのたたき」が食べられるなんて、こんなにうれしいことはありません。おっと、また食べ物の話になってしまいましたね。お許しを…。
■2003/08/26 (火) 出雲に行く 24日(日)と25日(月)、2日にわたって中国地区の教会の聖会(カンファレンス)が出雲で開かれました。我が家から出雲の会場となる教会まで車で約3時間。今回は父(79歳)も同行しましたので、途中2度ほど休憩を入れて行きました。講師は僕の肝臓移植のために、支える会の発起人代表になって下さった小林和夫先生です。先生の聖書からのメッセージは心に染み渡ります。心身ともにリフレッシュしました。
レベッカとジョーイも一緒に連れて行ったのですが、実は25日は学校初日でした。でもどうせ半日だから、ということでさぼらせてしまいました。何たる親か!とお叱りを受けるかも知れませんが、そこはインターナショナル校の良さ(悪さかも?)。親の仕事の都合で学期途中に1週間休んだりということはざらなので、全然問題ありません。彼らは同じような牧師の子供たちと仲良くなって、冬に一緒にスキーに行こうだの、色々と遊ぶ約束をしたようです。親同士も年令が近く、留学経験者もいるので何となく気が合い、一緒に行こうと意気投合してしまいました。同じ様な環境で育っている仲間が近くにいるということは、子供たちにとって大きな励ましになります。
さてさて、そんな訳で先週から三瓶山、別府温泉、出雲と小旅行が続いたので外食が多かったのですが、ほとんどが和食の割にあまりお腹に持たれることもなく元気に過ごす事ができました。新しい肝臓君もやっと日本の食事に慣れてきたのでしょう。出雲の割り子蕎麦は堅めでだしはしょっぱくなく、おいしかったですね。別府で食べた関あじ・関さばの活き造りもおいしかったです。刺身も解禁になってこんなにうれしいことはありません(移植後半年を過ぎれば大丈夫です)。ベイラーに行ったら栄養士に寿司や刺身を食べてるよ、と自慢げに報告してあげるつもりです。ところで問題は、体重が77kgのまま減らないことです。旅館での食事の量は多かったですし、ついついもったいないと思って、食べすぎてしまいました。お腹も傷口の所がぽっこり出っ張っていたのですが、そこがこんもりと丸くなってきました。つまり中年太りの体型に近づいてきたのです。あと1ヶ月で5kg減量できるのでしょうか。はなはだ疑問です。書斎の片隅に置き忘れられている自転車を、コキコキこがないと…。
■2003/08/23 (土) 20年振りの再会 20日から22日まで別府温泉に家族で行って来ました。休暇がてら家内の聖書学院時代の同級生(僕の2年後輩)に会うためです。広島の我が家から新幹線と日豊線を使って、別府まで3時間半で着いてしまいます。思ったより近いので驚きました。泊まったホテルはネットで調べて一番最初に出てきたホテル。夜のサファリツアーがあって、子供にとってはうれしい企画付き。もちろん大人も楽しめました。最上階に露天風呂があって、39度と比較的ぬるめなので湯当たりしません。到着するとすぐに抹茶のサービスで迎えてくれました。丁寧な接客に感激。別府八湯巡りの一つに選ばれているだけあります。
2日目の朝にケーブルカーで鶴見岳(1375メートル)に登りました。頂上駅から山頂まで約15分で行けます。ガスがかかっていて頂上からのパノラマは残念ながら見れませんでしたが、標高差792メートルのケーブルカーに子供たちも大満足。夜はナイトサファリ。動物たちにサファリバスの中から餌をやるのですが、ライオンや熊など結構迫力がありました。面白かったのは麒麟の長い舌です。器用に餌を巻き取っていきます。
サファリに行く前3時間ほど時間が出来たので、家内の同級生のU牧師に電話。近くのビーチに連れて行ってもらいました。約20年ぶりの再会です。今回の移植のことでも心配して祈って下さいました。今年の4月から奄美大島から別府に転任になり大変と思いますが、元気そうで何よりです。でもお互いしっかり中年になっていました。次の日帰る間際に、U牧師の教会を訪れ、お忙しい中奥さんが昼食をご馳走して下さいました。短い時間でしたが、楽しい時を過ごしました。
ところで3日目の午後、地元の善良なタクシーの運転手に「地獄巡り」に連れて行ってもらいました。実は2日目にお世話になった時「ぼったくりが多いから気を付けて」と教えてくれて、その時にこのツアーの予約をしておいたのです。この地獄巡り、1200年前の鶴見岳の噴火で出来た9つの熱湯たぎる泉を廻ります。間欠泉や、酸化鉄で真っ赤に見える「血の池地獄」、真っ青な「海地獄」などどれも圧倒されました。足湯に浸かったり、温泉プリンを食べたりとにかく堪能しました。
帰りは高速艇ソレイユで広島港まで2時間55分。快適な船旅でした。港からは路面電車。色々な乗り物に乗って、息子のジョーイは大満足。良い夏の思い出になりました。健康を与えて下さった神様に感謝です。
■2003/08/19 (火) 三瓶山への小旅行 日曜日の夕方から島根県東部の三瓶山の温泉へ行ってきました。突然の思い付き旅行で(いつもの事です)ばたばたと旅館に予約して車を飛ばしました。運転は久美子です。ところがあせっていたのか、高速道路を間違えてしまい1時間以上も余計に走る羽目に…。中国道と山陽道に分かれる所で、中国道に乗るはずが、どう言うわけか山陽道を走り続け、気付いた時は30分は走った後でした。仕方なく下の道を北上し、途中から日も暮れ、また大雨になって前が良く見えない中、なれない田舎の国道をひた走ること2時間半。やっと9時過ぎに三瓶温泉街に到着しました。でも、昨日今日と曇り時々晴れという感じで、サイクリングをしたり、散策したり、自然博物館で縄文時代に三瓶山の爆発(3500年ぐらい前)による火砕流と火山灰で埋没してしまった「埋没林」の展示と、実際の発掘現場(今年の5月に開園したばかり)を見てきました。巨大な樹齢1000年ぐらい(3500年前で)の少し表面微生物等が炭化して黒くなった大木が、29本見つかったそうです。倒木もありますが、20本以上は立ったままで埋没していて、地下水の影響で保存状態はすこぶる良いそうです。廻りの土壌からは、松の葉や虫の屍骸も見つかっており、当時の環境を知る上で貴重な資料を提供しています。古代の火山活動の思わぬ副産物が最近になってその価値が認められ、発掘されたのです。圧倒されると同時に、何か悠久の時の流れに、ロマンチックな気分になりました。
それから石見銀山跡にも行って来ました。戦国の昔から、明治大正時代まで掘り続けられた銀山坑道跡は、今でこそ立って歩ける高さになっていますが、その当時は工夫が頭からもぐって這って入り、また這って石を背負って出てきたそうで、それは大変な重労働だったそうです。対外10代20代で死んでしまい(塵肺で)、30になるのは稀で、30歳の祝いは尾頭付きだったとか。先人たちの苦労が偲ばれます。下の街から古い町並みを観ながら、銀山坑道入り口(龍源寺間歩{まぶ})まで約3kmをジョーイと僕は歩きましたが(33度の炎天下。暑かった〜)、久美子とレベッカは途中でばててバスに乗って駐車場まで引き返し、後から銀山の出口で合流しました。
午前中は三瓶山でサイクリングもし(登りが多くてきつかった〜)結構ばてましたが、充実した旅となりました。健康のありがたさが身に沁みます。感謝!
■2003/08/15 (金) 移植仲間の帰国・終戦記念日に思う 今年2月にマイアミで肝臓移植を受けた方が、先日元気に帰国されました。今日その方からメールをいただき、お元気なご様子でうれしく思いました。ステーキや天ぷらなどの脂物が食べられるようになってうれしいと喜んでおられました。僕も覚えていますが、移植前は脂物を見るだけでうっと吐き気をもよおしたものです。見るというよりは匂いですかね…。もちろん、僕は胆嚢がありませんので(肝移植患者は感染症を防ぐため、みな胆嚢を取られてしまいます)脂物を消化するのに必要な濃い胆汁が出てこないので、脂物を取りすぎると下痢になったりします。その方はもともとこってりした脂物、ステーキやとんかつ、天ぷらが好きだったのに、肝臓を悪くしてからはここ数年間食べられなかったとか。今はお元気になられて、好きなだけ食べられるそうで、本当によかったですね。タダ、僕も今ウエイトコントロールに苦しんでいますが、くれぐれも太りすぎには気を付けないといけません。薬の副作用で食欲も増すのですが、ダイエットもしなければいけなくて辛いところです。とにもかくにも、本当にお元気になられて良かったです。僕と同じ様にまだ中学生と小学生のお子さんがいらっしゃるので喜びも一入でしょう。
今日は58回目の「終戦記念日」。本当は「敗戦記念日」の方が正しい言い方なのかも知れませんが、僕は最近「終戦記念日」でいいのだと思うようになりました。「終戦」という言葉は日本の敗戦を認めたくないとの思惑が働いた表現かもしれませんが、日本は今後一切戦争をしません!という意味での「終戦」と捉えてもいいのではないかと思うのです。勝ち負けにこだわっている間は、絶対に戦争はなくなりませんから。急速に右に舵を切り、戦争の記憶が風化していく中で、今一度戦争の愚かしさと悲惨さを心に刻み付けなくてはいけません。武力行使と大量殺戮兵器の使用にはっきりNo!と言って、戦争という愚かにも合法化されている国家的殺人行為にピリオドを打つのです。日本では先の戦争で310万人の戦死者が出たのです。そして今世界で毎日多くの人が、兵士だけでなく幼子や母親達、お年寄り達が戦争によって無意味に命を落としているのです。何時になったら私たち人類は国家的殺人行為という重罪に気付いて悔い改めるのでしょうか。次の世代に青い空と緑の地球を残していきたい、そう思います。剣を鋤に打ち変えよとの聖書の言が響いてきます。
■2003/08/11 (月) 3回の生体肝移植を受けた男の子 昨日は街中の大きな教会の礼拝でお話をしてきました。ここの神学生の方が腎臓移植者で、アメリカで移植コーディネーターの学びもしてこられたそうで、何度かメールで励ましのメッセージをいただいていました。初めてお会いしたのですが、移植レシピエント同士、話が弾みました。礼拝の後、4〜5才の男の子を連れたお母さんが来られ「この子も肝臓移植を受けたんです。生体肝移植で3回もしているんですよ」とのこと。「加藤さんにお手紙も書いたのですけど、渡米の後で…」。ありがたいことです。そのお手紙を今からでも頂きたいくらいです。この男の子は先天性の胆道閉鎖症のため、胆汁が肝臓に鬱滞し肝硬変が進んでしまうのです。移植でしか助かりません。しかも脳死肝移植しか根本的な治癒はありません。「小さいのに良く3度の大きな手術に耐えて、えらかったね」「うん。」「お腹におじさんと同じマーク(メルセデス・マーク)がついてるの?」と聞くと、「うん。」と言って得意げにお腹を見せようとします。お母さんによると、免疫抑制剤の血中濃度がなかなか安定せず、拒絶反応が起きたりして、3回の生体肝移植になってしまったそうです。お母さん、お父さん、おばあちゃんの肝臓を移植したそうで、本当に親の子に対する愛の深さに胸打たれます。
私の願いは、こういった小さなお子さんたちが、一日も早く日本で脳死肝移植を受けることが出来るようにということです。日本の現状では、15才未満の脳死による臓器提供は認められていません。脳死による移植治療を受けるためには、海外に渡るしか道はないのです。日本国内の移植法の整備が急がれるのはもちろんですが、正しい脳死の理解、正しい移植医療に対する理解が、草の根レヴェルでもっともっと浸透していかなければなりません。移植医療は人の死を待つような医療ではありません(ある識者がそういう表現を使ったそうです)。一人の人の死が死で終わらず、他の人に命を与える死(犠牲の死、菩薩行)として、死の概念それ自体が昇華されていく、それが移植医療なのです。死ではなく、命に焦点が合わされているのです。
今日は広大の定期検診の日。いつもの血液検査の前に、腹部エコーをやりました。異常なしです。ただ夕べの9時から絶飲食だったので、身体がへなへなになってしまいました。歯の治療も順調にすすんでいます。2週間後には義歯がはめられるかも…。
■2003/08/08 (金) 残暑お見舞い申し上げます! 8月6日、広島は33.8度とこの夏一番の暑さだったとか…。意義ある原爆の日を過ごしましたが、やはり暑さにやられて昨日今日と身体がしゃきっとしません。おまけに今夜半過ぎには台風の暴風域に入るかもしれないということで、今も時折激しい雨と風が窓ガラスをたたいています。ひどい湿気で、床が何となくペタペタしています。高知県の山間部では24時間雨量が800mmに達する恐れとか。かなり大型の台風ですね。1日で1ヶ月分降るような異常な降り方です。各地で大きな被害が出ないように祈るのみです。それにしても、度々この日記でも取り上げていますが、異常気象が続きますね。ヨーロッパは熱波に旱魃。フランス南部では気温が40度を超える日が続き、山火事が発生して大変なことになっているとか。日本も梅雨明けが遅かったのに、明けたとたんの猛暑、そして大型台風。皆さんも守られますように。健康にもご留意下さい。
10日の日曜日、家内と広島の街中にある教会の礼拝に行ってきます。皆さんにお礼と報告を交えて、聖書のお話をするのです。家内は礼拝後のコーヒータイムで話すそうです。先月に続いてのいわゆる「お礼参り」です。見知らぬ方々が私と家族のために祈り、募金に協力して下さって今の私がある訳で、感慨無量です。そして全ての事の背後に神の御手があるのです。この1年を振り返って、直接にあるいはメールを通して色々な方との出会いがありましたが、そういう出会いによって「アーそうだったのか」と今になって合点する事が多々あります。神の導きですね。不思議な気がします。でも神様にとっては全然不思議ではない訳ですが…。
ところで、我が家で子供たちが飼っているカブトムシのつがいが卵を生みました。雌が土の中にもぐってしばらく出てこなかったのですが、白い粒が土の中に点々としています。子供たちは、かえすんだっ!と張り切っていますが、専門家によればなかなか難しいそうで、どうなることやら。最近この辺ではカブトムシも取れなくなっていましたから、これは貴重な経験です。ちなみにこのカブトムシ、先月訪れた三滝グリーンチャペルでもらってきたのです。何でも近所の方がたくさんかえして、教会の子供たちにタダで持ってきてくれたとか。ありがたいことです。レベッカもジョーイも、虫を育てることで尊い命の営みを見て知ることが出来れば、こんなに素晴らしいことはありません。
■2003/08/06 (水) 原爆死没者追悼式典に参加して 今日、58回目の原爆の日、初めて原爆死没者追悼式に参加しました。キリスト教の牧師として、他の約20人ほどの牧師・神父の先生方と共に、慰霊碑の前で祈祷と讃美を捧げました。神道の神主さんたちと、仏教のお坊さんたちもそれぞれの流儀にのっとって祈りを捧げていました。まだ839柱の死没者の遺族の方々と連絡が取れていないということが、遺族会代表の挨拶の中で述べられ、悲しみを新たにしました。この式典に、PLO宗教顧問の方がみえ、祭壇に献花しておられました。イスラエルとパレスチナの和平のための祈りを胸に秘めておられたのでしょうか。僕としてはそう望みます。広島からそして長崎から、日本全国と世界に向けて平和の誓が発信されます。秋葉市長が訴えたように、戦後から戦前に急速に舵を取っている日本、そしてアメリカを初めとする先進国。世界のリーダーたち、特に核を保有する国々のリーダーたちが広島を訪れ、原爆という大量殺戮兵器の恐ろしさと悲惨さを目の当たりにし、No More Hiroshima!を合言葉に、核兵器廃絶と恒久平和に向けて具体的に行動を起こしていくことを願わずにはおられません。私自身、キリストの弟子として、平和を作り出す責任を負っています。クリスチャンが一致協力して、もっとキリストの平和の福音に生き、和解の使者としての使命を果たすべく、敵をも愛し彼らのために祈る心を持ち、武器を捨て、平和のために科学技術を用いることを訴えていかねばと思いを新たにしました。私が牧する教会の信徒の方も何人か見えて祈っておられました。共に平和を祈念でき、うれしく思いました。
ところで広島に来て4年目になりますが、今までずっと肝硬変のため体力がなく、このような式典で長時間座っていることも出来ませんでした。大体、出席しようという気力さえ起こらなかったというのが真相です。ここまで元気にしていただいて、心から主なる神様に感謝です。
式典は朝6時15分から始まりましたが、プロテスタントの牧師は黒のガウン着用とのことで、暑さも加わり汗だくになってしまいました。カトリックの司祭方は白いガウン、神主さんは上下麻の衣、お坊さんも薄いカラフルな水色やピンク、藤色の袈裟で涼しげでうらやましかったです。プロテスタントの牧師も、もう少しカラフルで涼しげな色のガウンの方がいいのではとも思いましたが、やはりここは追悼の儀。黒の方が良いか…。
■2003/08/04 (月) 平和祈念週 いよいよ本格的な夏になりましたね。昨日の広島は33度と、多分この夏一番の暑さだったのでは。関東と東北南部の皆さんも長い梅雨がやっと明けて本当に良かったですね。今週、広島は平和祈念の週。58回目の8月6日原爆の日を迎えます。当日は朝6時15分から原爆死没者追悼式に、キリスト教会の一牧師として参加します。10人の牧師で聖書を朗読したり、祈祷をしたりするそうです。初めての参加なので今から気持ちが引き締まってきます。夜には、キリスト者平和集会が開かれ、被爆者の方のお話を聞きます。原爆の悲劇は絶対に忘れてはならないと思います。それは、もちろん復讐のためではなく、二度と同じ悲劇を繰り返さないためです。ここ広島でも被爆の記憶が風化してきていることが取り沙汰されるようになりました。若い、戦争を知らない世代の人たちに、8月6日に何があったのかきっちりと伝わっていないと言うのです。被爆者の方々も高齢化が進み、また体調もおもわしくなく、なかなか語り部として自らの被爆体験を語ることが出来なくなってきています。そういう中で、今回被爆前の広島の町がCGによって復元されました。ニュースでも取り上げられ、今晩NHKのBS2で放送されるそうです。広島のそして長崎の被爆経験を風化させてはなりません。
■2003/07/30 (水) 再び歯の治療・移植医療への思い 29日(火)午前中、広大病院歯学部にて左下顎部奥歯の虫歯治療を受けました。今のところ週に1回のペースで通っています。まだ根っこの部分に炎症が残っているようで、その歯をたたかれると軽い痛みがあります。この炎症が完全に治まるまでは、次の段階に進めないので、まだしばらく様子を見るようです。
キャンプの疲れもあってか、何となく悪いところの歯茎がツンツンします。虫歯はひどくなる前に、きちっと直したほうが良いですね。移植ということが無ければ、きっと虫歯の治療など受けなかったでしょう。去年かかった時の歯医者さんには虫歯だけでなく「歯茎が歯肉炎にかかっていてひどい状態だ。写真にとって教科書に載せたいぐらいだ」と言われてしまいました。このお医者さん、本当に歯学部の学生を連れてきて、治療を見学させるくらい?熱心に僕の歯肉炎を治療してくれました。おかげで1週間で歯肉炎が驚異的に回復し「こんな短期間で直ったなんて、治療前・治療後の写真を教科書に載せたいよ」と冗談を言われてしまいました。今は歯肉炎は出ていませんが、とにかくこの1本の虫歯が早く治り、早くセラミックの義歯が入れられるようにと、それだけを願っています。
今日は心臓移植を待っている札幌の聖子(しょうこ)さんがアメリカに向けて飛び立ちました。カリフォルニアのスタンフォード大学病院で手術を受けるのです。聖子さんが無事にあちらに着いて、早く移植手術が受けられますようにお祈りいたします。それにつけても、1日も早く国内で脳死による臓器移植が確立し、大きな危険を犯して、また莫大な費用をかけて海外に渡る必要がなくなるようにと願わざるを得ません。先進国の中で、日本だけが脳死による臓器移植の確立が遅れているのです。ヨーロッパでは日本人患者受け入れが厳しくなっています。自分の国の患者は自分の国の医療機関で看ろ、ということでしょう。同じアジア諸国でも、台湾、韓国、フィリピンなど遥かに多く脳死移植が行われています。日本は1968年の札幌医大の和田医師による心臓移植の出来事が事件として禍根を残し(和田氏はドナーの脳死判定もしたため殺人罪で起訴されました)、日本医師会も厚生労働省も消極的・否定的になっているのでしょうか。あれから30年以上経ちます。高い移植医療技術を持つ日本が、日本人患者に国内で1日も早くその恩恵に預かれるようにして頂きたいものです。
■2003/07/29 (火) 楽しかったキャンプ 27〜28日、北部山間部の芸北で教会のファミリーキャンプをしました。天候に恵まれ、カラッと晴れて最高のキャンプ日和でした。初めてキャンプに参加する小学3年生の子が3人、また聾者の方々が4人(プラスもうすぐ2才の赤ちゃん)日帰りで参加されました。歌は手話を交えて楽しく歌い、手話当てゲームをしたり、聖書の言葉を手話で覚えたりと、参加した20人の子供たちと大人にとっては、素晴らしい異文化体験だったと思います。手話には手話の文化があるのです。話し言葉では表現できないものもありますし、逆に手話で表現できない話し言葉もあります。どちらかと言うと、手話は視覚に訴える言語なので、見て直感的に分かる事が求められます。もちろん指で「あいうえお」をやって、名前などは伝える時もありますが、ほとんど視覚に訴える動作、しぐさなどが基本的にあるようです。子供の素晴らしさは、すぐに真似てみることです。素直に手話を先生の後について真似しますから、覚えるのも早いのです。
キャンプ最初の夜は定番のカレーライス。女の子たちが野菜を切ってくれました。かぼちゃやナスが入ったチキン・サマーカレーです。なかなかの出来でした。夜には聖書のお話や歌、ゲームに続いて花火をやり、ゆっくりと施設内の露天風呂に。子供は熱くてすぐに出ましたが、おじさんおばさんたちはのんびりお湯に浸かって疲れを癒しました。
次の日は朝5時に子供たちに起こされて、クワガタ取りです。でも残念ながら空振りに終わり、子供たちは(特に男の子)昨日からはまっている「イモリ」取り。飽きずに20匹以上、おまけに小魚も2〜3匹捕まえていました。朝食の後、子供たちはキャンプのおじさん2人と一緒に山歩き。近くの農園の川で思いっきり水遊びをして大満足したようです。大人たちは静かに聖書を読み、語り合いの時を持ちました。カッコーが遠くで鳴きせみの声が聞こえ、一切人工的な音がありません。参加者の一人が、自然の交響曲を聞いているよう、と言いました。言い得て妙です。あともう1泊したいぐらいでした。
僕は聖書のお話、歌のリードなどをこなしましたが、2年ぶりのキャンプなので本当に楽しみました。皆が口々に、元気になって良かった、と言ってくれました。2日目のお昼の一品にチャーハンを作ったりして、結構張り切ってしまいました。今パソコンを打ちながら、腕や足がだるいです。
■2003/07/26 (土) この頃思うこと 今日はカラッとさわやかに晴れて、気持ちのいい一日でした。最高気温は30度ということですが、珍しく乾燥しているので暑く感じません。これもオホーツク海高気圧が強く張り出しているおかげです。このままなし崩し的に、梅雨前線が南海上で停滞したまま消滅して、梅雨明けというパターンになりそうですね。そうなると、関東や東北では冷夏の心配がありますが、農作物は大丈夫でしょうか。
宮城県北部で今日一日で3回も強い地震がありました。夜中と朝7時過ぎ、そして夕方5時前。いずれも震度6弱、6強、6弱で震源地が浅く、かなりの被害が出ているようです。被災地の方々が守られますように。また先日の熊本県水俣地方での土石流はひどいものでした。多くの方々が泥流と一緒に数キロから数10キロ流されて、海で遺体が発見されたとか…。胸が痛みます。
私が住んでいる佐伯区でも4年前大雨による鉄砲水と土石流で、31名の方が亡くなられました。こうした災害が起こる度に人間は自然の脅威の前に無力だなーと感じてしまいます。でも同時に、防災体制が不完全であったこと、防ぐ手立てはあったのではないかという思い(水俣の場合)、また山を切り崩して建てられた住宅地のもろさ(佐伯区の場合)等など、人災の側面も見えてきて、人間は自然の力の前にもっと謙虚にならねばと思います。亡くなられた方々、またご遺族の上に天の父のお慰めをお祈りいたします。
最近、同じ肝臓の病を抱え、移植しか助かる道が無いと宣告された方々からの問い合わせが時々メールで入ります。短い時間で決断しなければならない状況に置かれて、途方にくれている人や、患者さんを支える会の方々からの問い合わせもあります。術後10ヶ月。少しずつ同じ病で苦しむ方々のお役に立ち、希望の光を指し示して上げることが出来れば、と思います。私が生かされている使命もここにあるのですから。
明日の午後から明後日にかけて、広島県北部山間部、芸北のロッジに教会のファミリーキャンプで行って来ます。1泊2日のスケジュールですが、子供11人大人9人のキャンプです。皆でカレーを作ったり、おにぎりを作ったり、クラフト作りに挑戦したりと、楽しい時を過ごすつもりです。天気予報では明日も明後日も晴れ時々曇りと、まずまずの天気です。子供たちはクワガタを捕まえると張り切っています。みんなで大自然の中でリフレッシュできますように。
■2003/07/25 (金) 1年検診続報 移植コーディネーターのMaryさんからメールがあり、9月26日から10月3日迄Twice Blessed Houseを取ってくれたそうです。1泊30ドルですから助かります。食事は病院のカフェテリアがありますし、トルティ−ヤとチーズ、それにサルサとグァッカモ−レを買っておけば、簡単なメキシカン料理のケサディーヤ(トルティーヤにチーズスライスを入れ、半分にたたんで軽くフライパンで焼く。好みでサルサ、グァッカモ−レをのせて食べる)ができます。あとはダラスの知り合いの方(主に日本人教会の方々)の差し入れを期待したりして…。ちょっとずうずうしいですかね。
ところで上野先生の情報によれば、近々日本人の患者さんがベイラーに術前検査に来るそうです。ベイラーにも日本人の患者さんがこれから増えてくるかも知れませんね。うれしい反面、早く日本国内で移植手術が、大事ではなく当たり前の治療として受けられる日が来ることを願っています。
それにしてもまだ梅雨が明けません。いったいどうなっているのでしょう。地球温暖化に伴うエルニーニョのせいで、地球全体の気候が大きく変化し始めているようです。中国の奥地の砂漠地帯で長雨となり、黄砂の量が例年の七分の一だとか。またローマでは熱波が襲い、最高気温が34〜5度で湿度の高い日が続いているとか。今にイタリアは熱帯性気候になりバナナやパパイヤが育つかも、と現地の人たちの間で、まことしやかに(?)うわさされているとか…。雨がいつもは降らないところで大雨になっているようです。日本は毎年この時期雨季なのですが、最近の雨の降り方は、熱帯地方のスコールのようですね。1時間に80mmとか90mmなど滝のような雨です。日本も熱帯化しているのでしょうか。でも東日本では梅雨寒状態が続いていますよね。西日本や九州地方は熱帯に近くなり、東日本や北日本は寒くなるのでしょうか。とにかくこの長梅雨、早く明けてくださ〜い。
■2003/07/23 (水) 1年検診の予約 昨日、ベイラーの移植コーディネーターのMaryさんから、1年検診の予約が取れたとメールがありました。9月29日(月)です。金曜日の26日にダラス入りの予定です。ダラスでは1週間Twice Blessed Houseに申し込んでおきましたが、多分大丈夫でしょう。もし1週間もだめ、と言われたら、友人宅かダラスの日本人教会の先生にでもお願いしないと・・。ところで、この検診は一日で終わるのだそうですが、何と朝6:30に病院外来受付を通って、血液検査、腹部エコー、MRI、心臓検査、腎臓検査、肝生検、とフルコースで、結果を聞いて終わるのが、夜6時か7時だそうです。これはかなり体力と精神力がないとこなせません。待ち時間も長いので、何かひまをつぶせるものを持参のこと、と明記してありました。そして、もし何か異常があれば、次の日に詳しい検査を受けるそうです。順調に行けば、大変なのは一日だけで、どうと言うことはないようです。検査に引っかかる事無く、順調にいきますように。
■2003/07/22 (火) 再び歯医者に! 今日は広大歯学部にこの間に続いて歯の治療に行ってきました。前回は歯の上の部分だけを洗浄してもらいましたが、今日は歯の根っこの部分を洗浄してもらい、薬を詰め直してもらいました。レントゲンの結果、根っこの病巣部が広がっていて、少し炎症が起きていたようです。細長い針を穴に突っ込まれて中をガシガシ掃除されました。結構つんつん痛かったです。歯垢も取ってもらい、かわいい歯科衛生士さんに歯磨き指導を受けました。やっぱり磨き方が悪いと、歯の付け根に歯垢が残ってしまうようです。歯間ブラシも使ってしっかり歯と歯茎の衛生管理をしないといけませんね。歯の治療には1ヶ月はかかるそうです。その後に上に義歯をはめ込むそうです。
ところで今日は久美子が足を捻挫したため、バスを乗り継いで病院まで行きました。1時間20分はかかりました。ムッとする熱気の中を往復バスと歩きで行って来ましたが、正直疲れてしまいました。1時過ぎに帰ってきて、小1時間ほど昼寝。今日、実は牧師会があったのですが、休んでしまいました。
久美子の捻挫ですが、夕べレベッカのベットでおひざをしてうつぶせに寝ていて、夜中にベットから降りようとして足をくじいてしまったようです。足がしびれて感覚がなく、つま先から着地したのでしょう。子供たちから笑われ、僕も正直噴出してしまいました。かわいそうなお久美はいじけていました。この週末には山に行って教会のキャンプなのですが、それまでに直ってもらわないと困ってしまいます。本人は楽観的に、大丈夫、と言っていますが。若い時には考えられない所で怪我をするんですね。明日は我が身。気を付けないと。
■2003/07/19 (土) 手話を習う! 昨日(金曜日)は1日中雨。時折強く降り雷もなっていました。午前中は教会で手話の会。久美子が先生で生徒は幼稚園のお母さん3人と僕の4人です。何とか「日本手話」をマスターしたいと願っています。手話通訳のためのクラスだと「日本語対応手話」だけで、実際聾者の方には通じないこともあるとか。手話には助詞はありませんし、動作を示す動詞が文の初めに来るようです。「今日は何時に起きましたか」は「今日、起きた、何時」という具合です。久美子は聾者の世界で育ったようなものですから、完全に「日本手話」(ちょっと古い、と若い聾者の方に言われています)。手話表現と手話読み取りで1時間半みっちり学びます。思うに、手話は映像化された言葉ですから、論理的思考(左脳)よりも芸術的表現(右脳)を使う言語です。左脳人間の僕としては、結構いい頭の体操です。
去年退院した夜、頭がおかしくなって失語症になった時、僕は一生懸命「手話」を使おうとしていたようです。今では笑い話ですが・・。とにかく真剣にわけのわからない手話で久美子や子供達とコミュニケーションを取ろうとしていたとか。見ていて滑稽だっただろうなぁ。思い出せば、結婚する時、僕は久美子に手話を一生懸命勉強すると約束していたのでした。あれから15年。光陰矢の如し・・。この間も聾者の方に「15年かかってやっと手話の大切さが分かったの」と強烈な皮肉を言われてしまいました(手話で見せられてしまいました)。もちろん冗談でそう言ったのですが、う〜ン、結構心にぐさりときましたね。本当にその通り、ここで一念発起、手話を習わないと一生の不覚、というわけです。
昨晩は近くにお住まいのPrichard宣教師ご一家をお招きして、メキシカン・パーティーをしました。チキン・ファヒタ、ビーフ&ビーンタコスをホームメイドサルサとガッカモレをたっぷり付けて、トルティーヤで巻いて食べるのです。3人の女のお子さんがいて在日6年だそうです。Wadeと奥さんのSuzy、Melissa、Kristin、Angela(2才)。Angelaを除いて日本語もわかります。子供達の日本語はうちの子達と同じく広島弁です。レベッカは英語で話せるので大喜び。ジョーイは男一人になってしまうので、あまり気乗りしていない様子でしたが、大きなカブト虫を見せびらかして得意げにしていました。この夏一緒にキャンプに行こうと言っています。手話と英語、異文化体験の1日でした。
■2003/07/17 (木) 血液検査の結果 広大病院からこの間の血液検査の結果がFaxで送られてきました。相変わらず少し貧血気味ですが、肝機能も腎機能も概ね正常です。血中プログラフ濃度も8.7ng/
mlと安定しています。GOT/GPTは15/20、総ビリルビン値は0.8、γGTPは17。尿酸値も4.5と正常です(ユリノームのおかげです)。ただ、アルカリフォスファターゼ(肝機能の数値)だけが388(正常値は90〜340)とまだ高めですが、以前ベイラーのDr.Sanchezに確認したところ、B型肝炎ウイルスのせいだから仕方ないそうです。早速この結果をベイラーのコーディネーターにFaxで知らせました。プログラフはまだしばらく6mgを朝晩飲むようです。
ところで、ここ二日ほど広島はさわやかな晴天が続いています。梅雨明けを期待したいのですが、梅雨の中休みだそうで、正直がっかりしています。太平洋高気圧が弱く東よりに張り出しており、またオホーツク海高気圧が例年より強いため、梅雨前線が南下しているそうです。前線が北上すれば梅雨明けなのですが・・。前線はまだ日本の南方海上に停滞しており、今夜半過ぎから北上して来て、また雨になりそうです。長い梅雨、しかも梅雨寒状態が続いていますが、何とか体調を崩すこともなく、風邪もひかず元気にしています。クーラーを余り使わずに、除湿しているのがいいのでしょうか。とにかく神様に感謝ですね。
食欲は旺盛で少々太りぎみになってきたので、心を鬼にして運動とダイエットに取り組まなければ・・と思っています。体重は76kgのまま変わりません。少なくとも3〜4kgは9月末の1年検診までに落としておきたいですね。絶対ベイラーのナース達や栄養士さんにからかわれるに決まっています。去年の移植後栄養セミナーで、1年後、肝臓移植患者の40%が肥満体になって帰ってくるから、エキソサイズと正しく規則正しい食事と生活習慣を身につけるようにくどくどと言われたのを覚えています。僕の理想体重は68kgだそうですが(身長は174cm)、骨太の体格なので70kg台前半が良いと自分で思っています。書斎においてある、友人からもらったエキソサイズ用自転車をコキコキこぐぞ〜。
■2003/07/14 (月) 定期検診と歯の治療 今日はちゃんと早起きして広大内科で血液検査とHBIG(HBs抗体注射)を打ってきました。昨日の疲れは少々残っていたものの、さわやかな目覚め。HBIGはいつものように、1,000ユニットの薬10本、10,000ユニットです。今日担当の若い研修医は、本当にこんなに大量にやって大丈夫なのかと薬剤部に確認の電話をしながら注射してくれました。一応、発熱したりとか、腎機能に副作用があるので慎重に5分以上かけて静注しなければならないそうです。ベイラーでは点滴で4時間かけて、しかもその上、点滴1時間前にはタイラノ−ル2錠(鎮痛剤)と抗アレルギー剤1錠を飲まされましたからね。アメリカでは薬によるちょっとした発熱とか痛みに過剰に反応する(精神的に)人が多いようです。おかげさまで午後少し仮眠を取りましたが、少し頭痛がするだけで発熱もありませんでした。
内科検診の後は、1年ぶりに歯科に行って歯の治療です。移植前に歯の治療を受けておかなければならなかったので、去年の6月と7月にかけて、虫歯で大穴が空いていた左下あごの奥歯を根っこまで薬を詰めて治療してもらい、上から石膏のようなものでかぶせてもらっていました。今日はそこを診てもらい、将来セラミックの歯をはめる準備をしなければならなかったのです。最近そこが少しツンツン痛む時があったのですが、見事に石膏のかぶせものはこわれていて、中につめていた薬がどろどろになっていたようです。上の部分だけ洗浄してもらい、薬を詰め、来週に根っこの方の洗浄です。出血を伴う歯の治療の場合、そこから細菌感染する恐れがあるため必ず抗生物質を飲まなければなりません。虫歯からの感染で命取りになることもあるとか。ついでに歯垢除去もしてもらいます。移植患者は特に免疫抑制剤の副作用で、カルシウムが不足して歯がもろくなったり、またステロイド剤の影響で歯茎が異常に成長して歯にかぶってしまったりするのです。ベイラーでは半年に1度は歯のお掃除を、と言われました。あんまり歯医者さんは好きではないのですが、そんなことは言っておれません。歯のお手入れはしっかりしておかないと。
ところで、今日はHBIGと検査料で129,930円、薬代で115,130円と合わせて245,060円かかってしまいました。でも今月から自己負担額は43,000円くらいで済むので助かります。3〜4ヶ月後に20万円ほど戻ってきますので。
■2003/07/13 (日) 友人の教会にて 今日は朝から友人の堀川寛先生の教会に行って礼拝説教をしてきました。第一礼拝で30分、第二礼拝で45分自分の経験談を交えながら、話しました。この教会には聾者部もあり今日は合同礼拝で、第二礼拝では久美子が手話通訳を勤めました。また、久美子とレベッカが手話とフラを合わせたゴスペル・フラを踊って皆さんに披露しました。レベッカにとっては初舞台です。ムームーを着て「主の祈り」に合わせて優雅に踊り、なかなか良かったです(僕が言うのもなんですが・・)。
思えば去年の昨日、つまり7月12日に広島を立って成田に向かったのです。1週間後そこからダラスに飛びました。あれからもう1年です。光陰矢の如し、ですね。堀川先生とはアメリカ留学時代からの知り合いで(14〜5年前)、私たち家族が3年前に広島に来てからずっと家族ぐるみでお世話になってきました。彼には、肝臓ガンがわかった時点で「もし万が一の時には、家族のことを頼む」と話したことでした。去年の移植に向けての募金でも、彼は率先して教会ぐるみで協力してくれました。お父さんを子供の頃に亡くしている彼にとって、レベッカやジョーイのことは人事ではなかったようです。また彼のお母さんはご主人を早くに亡くされ(42歳だったそうです)苦労されましたが「お子のためにも生きてね」と僕を励ましてくれました。本当にお世話になり、また親身になって心配してくれていた先生方の教会で、感謝の報告が出来たことにこの上もない喜びを感じています。
午後は英語礼拝があり、今度は英語で経験談を話しました。寛先生が通訳です。以前は原稿はアウトラインだけでよかったのですが、移植手術後はステロイドの影響でしょうか、一字一句書いておかないと、通訳が終わるのを待っている間にどこまで話したのか分からなくなってしまうのです。しっかり原稿を用意して話しましたが、口がもつれてうまく発音できない言葉があったりして、冷や汗ものでした。子供達に聞いたら「まーまーだね。ダディーの英語、通じたよ。僕たち内容知ってるからかも知れないけど」とのこと。ジャパングリッシュは直らないので、まあいいか。
1日3回人前で話したのはおそらく初めての経験です。家に帰ってからしばらく頭を氷で冷やしました。脳みそがオーバーヒートしたようです。しばらく英語のスピーチもしてませんでしたからね。良い刺激になったかな。
■2003/06/24 (火) VIPの会にて VIPとはクリスチャンビジネスマンの会です。Very Important Person(とっても大切な人)の頭文字をとったそうです。昨日その月例会でお話をする機会がありました。今回の肝臓移植にいたる経緯と自分が経験した肉体的な闘いと精神的・信仰的葛藤について話しました。ついつい1時間以上話してしまいました。皆さん真剣に聞いて下さり、有意義な時を過ごす事ができました。私もそうでしたが、移植が必要と言われるまで、移植医療の事や臓器提供の事など考えたことも無いというのが、多くの人の実情でしょう。この会に集まられた方々は、会からの案内をご覧になって来られた方々で、関心も非常に高かったと思います。皆さん、日本での移植医療確立のために理解を深められた事と思いますし、クリスチャンがオピニオンリーダーとして果たすべき責任を負っているとの私の自覚と考えに賛同して下さり、心強く思いました。個人的には移植患者の会とか移植支援協会の会員になっていますが、そのような団体を通しての活動と同時に、個人として責任ある態度で地道な啓蒙活動を展開していく必要性を改めて痛感したことでした。VIPの会の方々から私の体験談を活字にするように勧められました。この1年間の出来事を、今ならば落ち着いて客観的に振り返ることができるかな、と思います。時間を作って執筆作業に取り掛かろうかなー。
ところで、連日雨の広島です。気温も湿度も高く、いつも汗ばんだような感じでたまりません。シャツが肌に張り付く感じ、分かりますよね。今から不快指数90%以上といった感じで、気持ちも滅入りがちです。こんな時は何かあっさりとしたおいしいものを食べたくなりますね。ねばねばしたものが夏ばて(梅雨ばて?)には効くとか・・。そこで嬉しい発見です。あのコンビニの「とろろそば」、結構いけますね。だしもからすぎず、とろろとそばと混ぜながら食べると、お腹に持たれません。実はまだ日本食拒否症状があるのですが、そばは胃に重たくて、以前食べた時に具合悪くなったのです。ですから、恐る恐る食べてみたのですが、本当においしかった。もう3回ほど食べています。コンビニ弁当をはじめ、色々なインスタント食品も改良され、だいぶ安心して食べられ、しかもヘルシーですよね。忙しい時には助かります。もちろんコンビニ物ばかり食べてる訳ではないのでご心配なく!
■2003/06/19 (木) 1)プログラフ量増える 2)中東和平実現に向けて 1)血液検査の結果が送られてきました。いたって正常です。肝酵素の数値は、GOT/GPTが15/25、総ビリルビン値が0.7、γGTPが20といった具合です。ただ免疫抑制剤プログラフの濃度が5.9と少し低くなっていたので、飲む量を5mgから6mgに増やされてしまいました。高い薬なので困りものです。おまけに高額医療の自己負担額が、63,600円から72,300円に上がっていましたので踏んだり蹴ったりです。
2)17日(火)イスラエルとパレスチナ遺族会の講演会に行ってきました。この会を起こしたイツァク・フランケンタール氏は、94年に19歳の息子さんアリク君をハマスによる誘拐・殺害で失いました。その悲しみとハマスに対する憎しみを乗り越え、暴力に訴えるのではなく暴力の連鎖の根本的原因の解決、すなわち草の根運動で和平実現を目指すべく身を投じ、95年に遺族会を立ち上げたのです。一緒に来日されたガジさんはパレスチナ人で、イスラエルのミサイル攻撃でわずか半年の間に相次いで弟さん二人を亡くしました。最初は復讐心に燃えていましたが、憎しみから何の解決も生み出されないことに気付き、遺族会に入ったのです。イスラエル人のアイアレットさんは、15歳のお嬢さんバトヘンさんを誕生日の日に失いました。娘さんは二人の親友とパーティーに行っていて自爆テロにあったのです。彼女の日記が見つかり、心から平和を求めていたことを知り、遺族会に入りました。バトヘンの日記はへブル語、アラブ語、オランダ語に訳され、HPでは英語で見ることができます。アイアレットさんにその本を買いたいと言うと、ただで手持ちの本をくれました。感激です。今までこの遺族会のことを全く知らなかった事に恥じ入りました。彼女はバトヘンとサダコを重ねて見ていました。最初の訪問地を広島にした所以です。彼らも今までは欧米に目が向いていたことを認め、これから世界に和平実現を訴えていくためにアジアの先端を切って日本に来たのです。この会はNPOですから世界中の人の募金で活動しています。日本でも中東和平の実現のために一般市民が立ち上がり、世界にこの平和のメッセージを広げる運動に参加していく人が多く起こされますように。まずこの会を経済的に支援し、彼らの平和を願う祈りに加わりたいと思います。最後に力の源は、と聞かれ「未来への希望です」と答えていたガジさんの目に涙が滲んでいました。
■2003/06/12 (木) 15回目のアニバーサリー 痛風の痛みも治まり、ホッと一息といったところです。明日にでも広大からこの間の血液検査の結果がFaxで送られてきます。尿酸値が多分上がっていることでしょう。ところで、昨日体重計に乗ってみてびっくり!76Kgに跳ね上がっていました。1ヶ月前は73Kgだったと記憶していますから、3Kg太ったわけです。どうりで痛風発作も起きるわけです。今まで食べ過ぎていたのかなー。外食の機会も結構多かったですからね。心を鬼にしてダイエットしないと、いわゆる生活習慣病になってしまいますね。肝臓移植患者の40%が1年後には肥満体になるとか・・。今まで食べられなかったものがおいしく食べられるようになって、ついつい食べ過ぎてしまうようです。運動もしないと・・。
ところで、今日は15回目の結婚記念日です。色々ありましたけど、神様によって守られた15年間でした。久美子には苦労ばかりかけたなーと思います。でも苦労をあまり苦労と思わないのが久美子のいいところです(本人はどう思っているのか・・?)。おかげさまで、子供達も天真爛漫に育っています。明日は子供達がそれぞれ卒業式を迎えます。息子のジョーイは今度は7年生(中1)に、娘のレベッカは9年生(中3)になります。9年生からアメリカはハイスクールになるのです。二人とも卒業スピーチをするんだと張り切っています。去年は半年間テキサスの学校に転校して、今年の2月から今の学校に戻ってきたわけで、大変だったと思いますが、文句も言わずに良くがんばったなーと感心しています。以前カリフォルニアにいた時も2回ほど転校していますから、環境の変化に慣れているのでしょう。姉弟助け合って、よくも1時間20分の遠距離通学を頑張り通したと思います。我が子ながら誇らしく思います。親ばかでしょうか。家族のありがたさが身にしみる今日この頃です。
■2003/06/09 (月) 痛風が! 昨日からなんとなく右足の親指の付け根が(裏の部分)がしくしく痛んでいましたが、今日広大に行って主治医に診てもらいました。痛風の既往症がありましたし、免疫抑制剤の副作用で尿酸値も高くなっていましたので、おそらくそうだろうなーと思っていましたが、やっぱり痛風でした(マイルドなやつです)。腫れ上がって歩けなくなる前に、痛みと腫れを押さえる薬コルシチンを処方してもらいました。食事もどちらかと言うと肉食に傾いていましたね。野菜と水分を十分に取らないといけません。さくらんぼが痛風には効くそうで、丁度さくらんぼの季節ですから、しこたま食べることにします。でも果糖を取りすぎると血糖値が上がってしまうので要注意ですね。何事もほどほどにというところでしょうか。今は腫れた感じも痛みもほとんどありませんので、ホッとしていますけれど・・。。
ところで今日もプログラフ28日分を、その他いつも飲んでいる抗菌剤や抗B型肝炎ウイルス剤と一緒に出してもらいました。検査料と合わせて¥103、000が飛んでいきました。なんだか溜息が出ます。早くプログラフの量が減るように祈るのみです。区役所に行って、高額医療費補助の手続きをしなければ・・。
移植を受けてから8ヶ月が過ぎ、痛風を除いてはいたって元気にしています。教会の方やご近所の方からも、顔色がいいですねー、と言われ、正直うれしいです。去年の今頃は、肉体的にも精神的にもくたくたでしたから、顔色も黄緑がかった土色だったのを覚えています。感謝です。
6月は第1,2,3日曜日の礼拝で説教、23日(月)夜には、VIPというクリスチャンビジネスマンの集まりで話すことになっています。また同じ病気を抱える方や、様々なことで不安を感じ落ち込んでいらっしゃる方の悩み相談を、電話や手紙で受けたりすることも多くなってきました。私が神様から受けた命の恵みを少しでも多くの人に分かち与えることができるならば、こんなに嬉しい事はありません。
■2003/06/05 (木) 京都にて 6月3〜4日と京都に家内と行ってきました。西日本婦人大会に出席するためです。教会のご婦人一人も一緒です。新幹線で12時ごろ京都に着き、送迎バスでホテルまで約30分。川沿いの土手の上に茶店が軒を並べ、すだれで囲まれた宴席が涼しげで風情のある眺めでした。
午後2時からの集会で15分の感謝報告とお礼を家内と二人でしました。皆さんに元気な姿をお見せできてうれしく思いました。今回は婦人大会ということで、メインは家内の久美子です。久美子の演題は「苦難をとおして」です。大会委員の方から指定されていた題です。僕の肝移植に妻として関わりながら、どんなことがあったのか、どういう時がつらかったのかを手短に話していました。術後8ヶ月が過ぎ、順調に回復している中で、久美子の内助の功がどんなにありがたいかということを、彼女の話を聞きながら再確認しました。僕が手術を受ける前(渡米前だったかどうか)彼女にある詩を渡したそうです(覚えていませんが)。それは「山男の死」というもので、作者不詳の詩で、山好きの僕の愛唱歌です。
いつかある日 俺が山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ
母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には
子供らには 俺の踏み跡が 遠い山の中に 残っていると
伝えてくれ いとしい妻に 俺が帰らなくても 生きて行けと
この詩を読みながら演壇で久美子は涙ぐんでいました。「泣くなよ」と言っておいたのですが・・こちらももらい泣き。会場でもすすり泣きの声があちらこちらから聞こえました。でも最後まで久美子は話し続けました。
夜には今回募金のために発起人の一人となって下さった、村上宣道先生の聖書からのメッセージ。一同感動しました。聖書には不思議な、人の心を動かす力がありますね。神の言葉といわれる所以でしょう。渡米を前にして不安な時「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」との主イエスの言葉が迫ってきたことを思い出しました。
帰りに清水寺を観光しました。清水の舞台は中学の修学旅行の時以来ですから、30年ぶりです。緑がきれいでした。小さなせせらぎの音に耳を傾けながらもみじの淡い緑に包まれて、縁台で抹茶をすすり、湯豆腐を食すひと時は格別なものでした(同行のご婦人はちなみに、ところてんでした)。もう一日いたかったなーというのが本音です。
■2003/05/24 (土) 肝移植の仲間 今年に入って僕が知る限りで二人の日本人が肝臓移植手術を受けて、第二の人生をスタートされました(実際はもっといらっしゃるはず)。一人は生体肝移植で息子さんから肝臓の一部を頂いたそうです。もう一人は、僕と同様アメリカに渡って脳死肝移植を受けられました。お二人とも手術が無事成功し、術後の拒絶反応や感染症との闘いもありましたが、今では退院されています。このお二人はおそらく年齢的には50歳台とお見受けいたします(HPの写真から判断して)。それぞれ10台のお子さんもいらっしゃり、僕と同様、父親としてまだ死ねないとの思いだったことでしょう。もちろん妻のためにも死ねない、との思いもあります。
私達夫婦が親しくさせていただいているご婦人が広島にいらっしゃいます。その方のご主人は42歳でガンのために亡くなられたそうです。まだ幼いお子さん達を抱えて大変な苦労をされましたが、今ではそれぞれみな成人され、息子さんは僕と同い年。良き友人です。今回の僕の病気のことで親身になって心配し祈って下さいました。手術が成功し元気な声を電話でお聞かせし、また帰国後に元気な姿をごらんになって、事のほか喜んでくださいました。「お子たちのために、そして愛するおくさんのためにも元気になって!」と励まして下さって、本当にありがたく思います。
■2003/05/21 (水) 帰ってきました。 今日の夕方、東京から帰ってきました。恩師の講演会はなかなかのもので、知的霊的刺激を受けました。僕もこれからもずっと神学の勉強を続けていかねば、と思いを新たにしました。ところで父とホテルで3泊したわけですが、これが結構しんどいものでした(許せ、父上!)。問題は父のいびきでした。親子とは言え、今まで同じ部屋で寝たことは数えるくらいしかありません。父のいびきのすごさは知っているつもりでしたが、ここまでだったとは・・。往復いびきに寝言付き。地響きのような、ライオンのうなり声のような音です。初日はほとんど眠れませんでした。2日目3日目はそれでも慣れたのか、何とか睡眠時間を確保することはできましたが(5〜6時間)、日中なんとなく眠くてたまりませんでした。
でも、父のおごりでおいしい中華料理や洋食を腹一杯食べることができたので、その点に関しては、父に感謝!です。おかげさまで風邪も引かず疲れる事も無く過ごすことができたわけです。
ところで東京駅の人ごみと吉祥寺の人ごみはすごい、の一言に尽きますね。スーツケースをゴロゴロ転がしながら歩くのに結構気を使いました。人がぐちゃぐちゃに歩いてくるので、間を縫いながら歩くのに疲れてしまいました。やっぱり都会はいやじゃ。地方都市広島の方がの〜んびりでけてえーわい。
■2003/05/17 (土) 初めて日本でプログラフ購入 14日(水)の続き。前日、実は主治医にメールして、計算間違いをしていてプログラフが20日で切れてしまう旨連絡し、今日外来で処方箋を出してもらいました。これが無いと死活問題ですから。うっかりミスは許されません。やっぱりどーもボーっとしていますね〜。
美鈴が丘の行き付けの薬局で薬を受け取りましたが、その値段にびっくり!28日分で何と¥89,520でした!1日10mg飲みますので、全部で1mgのカプセルを280個です。前に聞いてた情報で試算した時は、確か¥68,500くらいでおさまるはずだったのですが・・。薬価が高くなっていたようです。しかもこの値段、3割負担の値段です。1mgカプセル1個が¥319.7、1日¥3,197薬代で消えていく計算です。高いですね〜。高過ぎます!でも高額医療の対象になるので、約¥26,000ほど返ってくるようですから、少しはほっとしていますけど。
今後は少しでも早く免疫抑制剤の量が減るように祈るのみです。1日10mgはやっぱり少し多いですが、前回の血液検査では血中濃度が7.2と正常値でしたし、肝機能や腎機能も問題がないので、コーディネーターの話ではしばらくこのままで様子をみるようです。
ところで18日から21日まで父を連れて東京に行ってきます。僕の恩師、また父の長年の友人である牧師先生が神学校の院長職を退任されたので、その記念講演会に出席するためです。父は足が弱っており杖を突きながらの旅になります。新幹線で行くのですが、駅では車椅子のお世話になります。ホテルで3泊するので、外食続きになってしまいそうです。気をつけねばいけません。でもそのホテルは父が長年牧師をしていた三鷹教会の近くで、お気に入りの中華飯店もあるので(結構うまいんだ、これが)取るメニューを偏らないように気をつければ大丈夫でしょう。薬の飲み忘れにも気をつけねば(^^;)。父は6月初めまで妹宅で滞在します。教会の方々も父の元気な姿を見て喜ぶことでしょう。僕も自分が育った三鷹や吉祥寺付近で、少しのんびりしながら友人達に会えたらいいなーと願っています。
■2003/05/14 (水) 44回目の誕生日 昨日、5月13日は僕の44回目の誕生日でした。父と久美子と一緒にサン・マルクというパン屋さん直営のレストランで誕生日スペシャルのディナーを食べました。1時から2時30分過ぎまで、ゆったりとした時間を過ごしました。去年の誕生日は何をしたのか思い出せません。肝臓の状態もかなり悪くなっていましたし、いよいよ脳死肝移植に向けて備えねばならない時で、恐らく誕生日を祝うような気持ちにはなれなかったのではないか、と思います。でも今年は特別な誕生日となりました。聖書学院時代の同級生から寄せ書きのアルバムが贈られてきました。みんなが祈り、募金に協力してくれたのです。感激しました。
今日は1日遅れですが子供たちと一緒に大好きな鉄板焼きのお店で誕生日の夕食です。こうして家族で祝えるのは、本当に祝福ですね。感謝な気持ちで一杯です。レベッカとジョーイにとってずーっといい父親でいられますように。久美子にとってもずーっといい夫でありますように。そして牧師として、またキリストの弟子として、おごらず高ぶらず第二の人生を精一杯生き抜くことができますように。これが誕生日の願い(Wish)です。
■2003/05/11 (日) 結果良好! 7日の血液検査の結果がファックスされてきました。肝機能の数値も腎機能の数値もほとんどすべてが正常値です。皆さんもよく知っているGOT/GPTも18と24ときわめて良好です。しばらく高め安定だった血糖値も112(70〜120が正常値)に下がっていました。体もだいぶ楽になってきました。お祈りを本当にありがとうございます。
昨日は息子のジョーイとボーリングに行って5ゲーム投げてきました。ハイゲームは185とまあまあでしたが、なんと1ゲームは150対129でジョーイに負けてしまいました。前回はレベッカに146対128で負けていますので、息子娘にそれぞれ1ゲームずつ負けたことになります。だんだん子供たちのほうが上手になっていくんでしょうね。ちなみにこの負けた2試合は2人とも自己ベストを出した時です。
ところで今日は母の日。教会のご婦人たちに赤いカーネーションを差し上げました。当教会の名誉牧師の永見先生はこの5月で93歳です。みんなのお母さん、おばあちゃんです。よく知られている母の日の由来は、1907年、アナ・ジャービス夫人が母親の2周忌(5月第2日曜)を「母の日」として祝うことをウエスト・ヴァージニアの母教会に呼びかけ、それがやがて全米に広がっていったというものです。1914年には時の米国大統領ウッドロー・ウイルソンが5月第2日曜日を「母の日」として国民の祝日に決めたことはあまりにも有名です。
けれどもこの母の日、実は1872年、南北戦争の傷から立ち上がろうとしていたアメリカはボストンで、ハウ女史という婦人が「平和を祝う日」として提唱したのがそもそものきっかけだそうです(5月第2日曜ではなかったようです)。母性は命と平和の象徴です。夫や息子を戦争で失った婦人たちが多くそれに賛同したのです。今日でも母たちの祈りが世界平和の大きな原動力になるような気がしてなりません。ブッシュ大統領も、お母さんのバーバラ夫人の声にもっと耳を傾ける必要があるかもしれませんね。国や宗教を超えて平和の祈りが広がり、イラクのお母さんたちの心にも届きますように。
■2003/05/09 (金) 久しぶりの外来 7日(水)。1ヶ月ぶりに広大第一内科の外来へ行ってきました。朝8時30分の予約でしたので、8時前にタクシーで家を出ました。15分くらい走ったでしょうか。ちょっと心配になって財布を調べると、お金はありましたが、なんと診察券が入っていません(@_@)!今から引き返す訳にもいかず、えぇーい、ままよ、とそのまま病院へ。受付でその旨を話すと、おねーさんがくすっといたずらっぽく笑って、コンピューターで予約の確認をしてくれました。「予約は入ってますから大丈夫ですよ。診察券失くしていませんよね」と言われ、「大丈夫。家にあります」と僕。お年寄りの方で結構失くす方が多いのだとか。それにしても最近物忘れがひどいなーと実感しています。今朝もばたばた急いで出てきたのがいけなかったようです。ゆったりと早めに起きて、準備に時間をかけて、と久美子にいつも言われているのですが、なかなか直りません。「もっとおじいちゃんを見習ったら〜」と、几帳面な父(もう直ぐ79歳)の事を出されてしまいます。何度も言っていますが、ステロイドで過度の興奮状態にあった2〜3ヶ月でかなり脳がダメージを受け疲労しているようです。まだ回復していませんね。これは軽い冗談の言い訳ではなく、かなり本人は真剣に受け止めているのです。でも深刻にはなっていませんけどね(^^)。
血液検査の結果は今日の午後ファックスで送られてきます。昨日ベイラーからも連絡があり、プログラフ濃度が11.0と少し高めだが、肝臓や腎臓の数値が良いので暫くこのままで様子を観るとのことです。もう少しプログラフの量が減ればいいのですが・・。ちなみに今は毎日朝晩5mgずつ飲んでいます。
昨日の祈祷会の後、集まった皆さんにメキシカン料理のタコスを食べていただきました。サルサとグァッカモレも手作りで用意し、皆さんが香菜や飲み物、デザートを用意して下さり、ちょっとしたメキシカン・パーティーになりました。我が家は挽肉を脂っこくしないので、サラダ感覚であっさり系。皆さんのお口にあったようで、お年を召された方々も、おいしいと喜んで下さいました。これからちょくちょくメキシカン・パーティーをやろうかと久美子と話しています。
■2003/05/06 (火) ゴールデンウィーク速報(その3) 土師ダムの帰りに国道54号線沿いにあるガラスの里に寄りました。つい先日新装オープンしたばかりで、ヴェネチアのお城のような建物が並び、きれいな庭もありで、結構家族づれで賑わっていました。マミーとレベッカは早速ビーズを買っていました。腕輪やチョーカーをつくるんだとか・・。ジョーイと僕は先に、実際にガラスの器を作っている工場を見学。中は結構暑かったのですが、ガラスコップを見事に作り上げていく職人さんの腕前に見惚れてしまいました。
レベッカとジョーイは絵付けに挑戦しました。レベッカはコップに、ジョーイは文鎮にそれぞれ特殊な絵の具で絵を描いて、後で細かい砂を吹き付けるサンドスクレイパーです。下絵に40分くらいかけていました。こういうことには二人とも結構真剣になるんだなーと、親として新発見です。レベッカはやしの木、ジョーイはトンボで割とうまくできていました。実はレベッカのやしの木を少し手伝ったのですが、なんだか幹が筍みたいになってしまって、ひんしゅくをかいました。親の手出しは禁物です(^^;)。二つで1050円と手ごろな値段で、しかも博物館を除く施設のほとんどは入場無料になっています。お金がかからない近場の日帰りピクニックにはもってこいです。
ガラスの里は土師ダムから20分くらいで着きました。実は4月半ばに久美子と二人で土師ダム・ガラスの里コースのドライブをした時、絶対子供たちを連れて来ようと思っていたのです。夕方5時にガラスの里は閉館です。帰りはもちろんこの間2杯も食べた「九州ラーメン」で、今度はチャーシュー麺の大盛りと餃子を食べました。やっぱりうまかった。ジョーイもレベッカも大満足!今日は昼には「和歌山ラーメン」、夜には「九州ラーメン」と広島の山中で全国ラーメンめぐりをした感があります。さすがに久美子は夜はチャーハンだけでしたが・・。
去年のゴールデンウィークは生体肝移植がだめになり、妹家族と雨の中を三段峡まで1泊2日の旅行をしたっけ。ほとんど衝動で決めたような旅で、久美子にも妹にもあきれられました。体も思うように動かずいらいらしていたのを覚えています。今年は家族でこのように充実した休日を過ごすことができ感謝な気持ちで一杯です。
■2003/05/05 (月) ゴールデンウィーク速報(その2) 5月2日(金)。朝から快晴です。こんな日はサイクリングしかありません。土師(はじ)ダムに行く事にしました。人口湖、八千代湖の周りに片道3.7キロのサイクリングコースがあります。ここは桜の木が3000本植わっており、花見の時は凄い人出です。今日は遠足で小中高生がたくさん。でもサイクリングコースはわりと空いていました。丁度お昼過ぎに着いたので、自転車に乗って10分も走らない所で軽食のお店を見つけて立ち寄る事に。ジョーイは不満そうでしたが、マミーはお腹がすいてヘロヘロ、といって中に入りました。この店、なんと売りが和歌山ラーメン!ご主人は和歌山出身とのことで、意外なところで和歌山ラーメンを食べました。だしはとんこつにかつおだしが混ざったような味。しょうゆベースで、チャーシュウが2枚入っていました。550円で結構うまかったですね。キムチも本場韓国のものとかで、まずまずでした。
待ちくたびれているジョーイのために急いで食べて出発。藤の花が藤棚から咲き零れ(こぼれ)、淡い紫の藤色が可憐です。目を遠くに向けると、山全体が濃淡の違いを見せながら、見事な新緑に覆われています。初夏のような気温でしたが(26度)そよぐ風はさわやかで、五月晴れという言葉がぴったりです。僕と子供たちはキコキコチャリをこいで前にいってしまうのですが、マミーこと久美子はやっとこさ。日ごろの運動不足を痛感したようです。僕にとって、歩くよりは自転車。この間の萩で実証済みです。往復7.5キロのサイクリングコースを僕も久美子も無事完走。さわやかな気持ちで自転車を戻そうとしたら、子供たち「えーっもう〜」。というわけで、子供たちはもう1周回る事に。夫婦で小一時間ベンチに座って湖と山を眺めて待っていました。遠足の子供たちもいなくなり、静かになった木陰で少しうとうとしていると、真っ赤な顔をしてジョーイとレベッカ帰ってきました。彼らも大満足のようです。
ちなみにレンタサイクルは4時間で1台420円、4人で1680円と手ごろな値段です。サイクリングは経済的で非常に健康的な遊び方ですね。夏になったら、キャンプとサイクリングのコンビネーションなんていかがでしょうか。全国にそのようなキャンプ場があるようで、ここ土師ダムにもパンフレットがおいてありました。我が家は絶対やるぞ、この夏は!
■2003/05/05 (月) ゴールデンウィーク速報 ご無沙汰しています。このゴールデンウィークは近場で楽しみました。まず、4月29日〜30日には秋吉台と萩に行ってきました。久々の家族旅行で、私にとって秋吉台は高校の修学旅行以来26年ぶり!久美子は初めてだとか。レベッカとジョーイにとってはもちろん初めての秋吉台です。宿についてすぐ展望台に行ってみました。見渡す限り石灰岩がにょきにょき地面から生えていて、一風変わった、しかし雄大なカルスト台地の眺めです。3億年前はここは海の底で、これらの石灰岩は珊瑚礁だったとは。しかもここら辺いったいの地層には逆転現象が見られ、古い時代に属する化石が地表面に近い地層から出て来るそうです。大きな地殻変動があったことをうかがわせます。1時間ほどカルスト台地の中を歩いてきました。上り坂が結構きつく、レベッカやジョーイに押してもらう始末。まだまだ筋力が回復していません。それとももう年なのでしょうか(あきらめるのはまだ早い、と誰か言って下さい)。雨上がりで風も強く少し寒いくらいでしたが、神のお造りになった大自然を満喫できました。その晩は焼肉とお刺身、山菜のおひたしや茶碗蒸しを腹一杯食べて、大満足。イかと鯛の刺身を少し食べてみましが当たる事もなく堪能しました。よかった(^^;)。
次の日の午前中はお目当ての秋芳洞を探検。奇怪な形の鍾乳石に目を見張りました。中でも白っぽく輝く黄金柱は圧巻でした。上の天井は暗くて見えないのですが数10メートルの高さで聳え立っていました。レベッカは携帯で写真を取りまくっていました。
午後は萩まで足を伸ばしました。城址公園の周りを自転車を借りてサイクリング。歩くよりもサイクリングの方が足への負担も軽くスピード感もあり、最高です。海岸の近くだったので、海辺に自転車を止めて海を眺めたり、お城の中の古い庭園を散策したり・・。さつきが満開で本当にきれいでした。最後に抹茶をいただいて帰途に着きました。ドライブ担当の久美子は大変だったと思いますが結構楽しんだようです。ちなみに子供たちは秋芳洞より萩のサイクリングの方が面白かったと言っていました。体を思いっきり動かしたい年頃なのでしょうか。
ところで秋吉台までここ広島市佐伯区から山陽道を使って約1時間30分で行けます。秋吉台から萩までは国道262を使って45分。山間の眺めのきれいな道です。今度は教会の若い衆を誘って行ってみようかな。
■2003/04/23 (水) もう一杯!たかがラーメン、されどラーメン。 4月20日のイースターには幼稚園や保育園の先生、保育士の方々が大勢見えて、良い礼拝になりました。午後には教会総会が引き続き持たれ、新年度の予算や行事計画が承認されやれやれといったところです。さすがに夕方にはぐったりでした。
そんなわけで、21日は一日家でのんびり休息を取り、22日には家内と二人でドライブ。家から約1時間のところにある土師(はじ)ダムの桜を見に行ってきました。もちろんもう八重桜だけがちらほら咲いているだけでしたが、人も少なくのんびりと散策できました。湖の周りに3000本の桜が植えられてあるとか。満開は1週間前だったようで、歩道には桜の花びらがたくさん張り付いていました。
帰りにお腹がすいたので、国道沿いにあった”九州ラーメン”でお昼。チャーシュウ麺とギョーザを食べましたが、山里の小さなお店としてはびっくりのうまさ!思わず、”ラーメンもう一杯!”イヤー、本当にうまかった。あまりラーメン党ではない家内も、おいしい、おいしいとたいらげていました(ちなみに家内は一杯だけ)。あっさり系のとんこつスープに細麺。チャーシュウは脂身が少なく、身がしまっていながらしかも柔らかくて口の中でとろけるよう(5枚入り)。お店のオヤジさんは、ねじり鉢巻ではっぴ姿のちょっと怖そうな感じ。何かTVのこだわりのラーメン屋関係の番組に登場するようなキャラ。上がりのお茶もこだわりのお茶。多分ドクダミ茶のようなお茶だったと思います。ギョーザもくどくなくてうまし。広島にもうまいラーメン屋があったのか、と感慨無量です。
家内はラーメンを二杯も平らげる僕に、心配というよりは呆れ顔で”苦しくなって車に乗れなくなっても知らないよ”と忠告するも、僕としては絶対苦しくならないとの確信があったわけ。メキシカンの肝臓君もラーメンは好きな様でホッとしています。
またまた食べ物の話になってしまいましたね。闘病日記のはずなんですが、どうも食い気には勝てないようですみません。最近あまり食欲がなかったのですが、久しぶりのドライブが気晴らしになって、胃も元気になったのかな?食欲があることは良い事ですよね。体力の回復も進むというものです。術後初めてラーメンを食べた時、シナチクがオシッコの味で閉口したっけ(ちなみにオシッコを呑んだ事はありません!)。あれから6ヶ月。ここまで味覚も回復したのです。めでたしめでたし。
■2003/04/15 (火) 安心するのはまだ早い?? HBIGの費用のことで悪いお知らせです。主治医の話しによると「HBIGは保険対象外のはずだから、後から追加請求されるよ」とのこと。え〜っそんな〜。そうなると、丸々40万円以上を現金払いということになります。しばらく息を潜めて静観といったところで、安心するのはまだ早いようです。
ところで、肝機能の数値はほとんど正常値です。4月9日の血液検査の結果、GOT/GPTは20/26と初めて両方とも正常値になりました(40以下が正常値)。今までどうしてもGPTが50台だったのです。γGTPも19と今までで一番低い数値でした(正常値は75以下)。今後とも感染症に注意して規則正しい日常生活を送っていくことが大切です。ただ最近色々な強い薬を飲んできた後遺症か、胃の具合があまりよくないようです。肝硬変患者は胃潰瘍になり易いのですが、私の場合は20年前に十二指腸潰瘍の既往症があり、気をつけなければいけません。肝臓はすっかり元気ですが、手術の後ということもあり、胃の粘膜の保護をしなければ・・。今はガスターという胃酸を抑える薬を朝食後に飲んでいます。食欲もそんなにありません。まだ花粉症が続いているので、その影響もあるのかもしれませんね。特に和食に対する拒絶反応がまた強くなっています。どうもご飯や味噌汁、それに醤油系の味付けはお腹がもたれてしまい、いけません。メキシカンの肝臓君も日本食に適応するのにまだ時間がかかりそうです。あまり無理強いをしない方が良さそうです。
■2003/04/10 (木) 朗報です! 昨日広大病院に行ってきました。最後の20回目のキモセラピーを受け、HBIG 10,000単位を投薬してもらいました。このHBIGはベイラーでは点滴で4時間かけて入れ、しかもその1時間前には鎮痛剤タイラノール2錠とアレルギーを抑える薬を飲んだのですが、日本ではまるで違いました。10,000単位は50ccの量になるのですが、注射器で直接静脈に注入します。ゆっくり、まあ5分くらい時間をかけたでしょうか。おまけに僕も鎮痛剤を飲み忘れていました。医師も別に鎮痛剤を飲まなくても大丈夫と言うので・・。でもやっぱり少し関節が痛くなったり、体が火照ったりしました。少し微熱も出たようです。測りませんでしたが・・。アメリカ人は痛みや熱に結構大げさに反応するからでしょうか、鎮痛剤を飲んだり点滴で4時間かけて入れるのは・・。5月7日に採血をして、抗体値を調べます。1ヶ月でまた500単位を切るなんて事は無いと思いますが、とにかく様子見です。キモセラピーも終わってもっと体も楽になることでしょう。皆さんのお祈りをありがとうございます。
ところでこのHBIG、実は保険対象とのことで患者は3割負担でいいそうです。全く主治医も脅かしてくれましたよね。40数万円かかると覚悟していたのですが、約13万円で済みました。おまけに高額医療手当て(63,600円以上は戻ってくる)も受けることができます。助かりました。後は頻度の問題です。
昨日あっけなくバグダッドが陥落してしまいましたね。もちろんまだ戦闘は北の方で続いていますが、早くイラクの地に平和がもたらされますように。いずれにせよ戦争は無実の一般市民が多数犠牲になる殺し合いです。個人同士の殺し合いは刑法で裁かれます。私たちの良心がそれが犯罪であることを告げます。でも戦争という国同士の殺し合いは、殺人を合法化してしまいます。悲しい気持ちになるのは僕だけでしょうか。この狂気の沙汰が1日も早く終わるように、そしてこの戦争が新たな戦争の引き金になりませんように祈るのみです。
広島は桜の満開時期も過ぎつつあります。まだ山の方では5分咲きくらいでしょうか。先週末は風が強かったのですが、花吹雪が見事でした。今年も春を迎えて桜を見ることができました。自然を愛でながら生きている実感が湧いてきます。感慨無量です。
■2003/04/04 (金) このごろ思う事 3月30日の礼拝で無事に説教の務めを終えることができました。29日の夕方に帰ってきたのでどうかな―と少し心配でしたが、6日間の旅でかえって元気をもらったようです。31日には広大での検診。19回目のキモセラピーを終え、残すところ後1回となりました。ただHBs抗体値が329.4と、ついに500を切りました。ベイラーからは500を切ったら、HBIGというHB抗体投与を10,000ユニット受けるように言われています。そうしないとB型肝炎ウイルスが活性化して、また肝炎がぶり返しやがて肝硬変に進んでいってしまうのです。でもこの注射、1,000ユニットで約4万円!!高いですねー。おまけに保険対象外ですので、高額医療費援助の対象にもならないとか・・。主治医がそう言って脅かしてくれました。これからどれくらいの頻度でHBIGを打つのか、個人差があるので何とも言えないそうですが、願わくは少ない頻度で済みますように。
それにしても、米英軍とイラクの戦争は泥沼化してきましたね。情報戦が飛び交い、特にアメリカのニュースを聞いているといやになります。今我が軍はバグダッドから20キロ地点にいて、どうのこうの。何かサダム・フセインと二人の息子を捕らえるか、殺すまではこの戦争を止めないようです。クラスター爆弾や劣化ウラン弾が使われ、多くのイラク市民達が巻き添えになっています。大量破壊兵器を使用しているのは、むしろアメリカの方です。劣化ウラン弾の放射能の影響は何十年と残るのです。神の造られたこの生態系を破壊し、被造物である人類を恐ろしい大量殺戮兵器で殺すこの戦争は、神を恐れない愚行としか思えません。神よ、歴史を掌る神よ、立ち上がってください、と祈るのみです。戦争の早期終結を祈ります。この戦争が中東の不安定化をもたらし、EUとアメリカの対立と言う新たな冷戦の構図を生み出しつつあります。日本や韓国にとっては、北朝鮮の動きが不気味です。第3次世界大戦の始まりになってしまうのでしょうか。神よ為政者達に知恵と勇気と平和を愛する心を与えてください。憎しみを愛に、悲しみを喜びに変えてください。
■2003/03/29 (土) 無事に帰ってきました! 皆さんお祈りありがとうございます。無事に1週間の旅を終えて帰ってくることができました。静岡県御殿場で開かれた24日〜26日の教会年会は結構忙しいスケジュールで、朝6時半から早朝祈祷会があり、特に中日は午前、午後、夜と集会が続きましたが、全部出席することができました。
26日と27日には私のために広島まで来て祈ってくださった大先輩の牧師先生ご夫妻を訪問し、その教会で2回ほど今回の肝移植の経験談と聖書講話をいたしました。皆さんが時には断食をして祈ってくださったとお聞きし、感無量でした。この牧師先生が27日の夕食にRed Lobsterに連れて行ってくださり、ステーキ、ロブスター、そして何と、ワニの肉(カツのように揚げてあった)をご馳走してくださいました。先生本当に「アリゲイトー」。また教会の講師控え室では(立派なものでした)ご婦人方の心のこもったおもてなしをいただきました。おいしいコーヒー、お手製のオレンジジェロ(みかんをくり貫いた中に入っていた)、お抹茶等々、至れり尽せりでした。28日の昼食会でも料亭のようなご馳走をいただき、また若い学生さんや小学生の女の子の感話を聞き感動の時でした。若輩者の僕にはもったいないようなおもてなしです。クリスチャンの兄姉、そして牧師先生の大きな愛に触れました。ありがとうございます。
27日と28日には私の2年先輩の牧師先生ご夫妻を訪ねました。この先生は小脳変形症という難病にかかり、10年以上闘病生活を送っておられます。今は障害度1種2級で、言葉が少しもつれたり、歩行も少し困難です。でも明るく前向きな方で、周りにいる皆が本当に励まされます。牧師として毎週の礼拝の説教をなさり、信徒の方のための読み物も作成されたり、本当に教えられます。ご本人いわく、説教が良いリハビリになっているそうです。外出の時は奥様の腕につかまって歩かれます。見ていて微笑ましい姿で、ご近所の方からも時々、仲が良くてうらやましいですね、と言われるとか。28日のお昼には、横浜の駅ビルにあるEl Toritoというメキシカンレストランに連れて行ってくれました。おいしかった!もちろんチキンファヒタにたっぷりグァッカモレとサルサをかけて食べました。僕のメキシカンの肝臓も大喜び!たらふく食べても全然苦しくなりませんでした。先生ご夫妻と私たち夫婦で楽しい昼食(たっぷり2時間!)の時でした。有意義な1週間を神に感謝。
■2003/03/24 (月) 1週間留守にします いよいよ明日、あれ、12時を回ってましたので、今日の朝から6日間の予定で御殿場方面に行って来ます。無理のないようにと教会の皆さんに言われましたし、自分もどこまで会議や集会に出れるか、正直わかりません。とにかく行ってみてからでないと、何とも言えないことなので・・。
治療の方は順調に進み、キモセラピーも後2回を残すのみとなりました。飲む薬の種類も大分減って、免疫抑制剤プログラフを入れて5種類です。ベイラーの方からも血液検査の結果もすべて”Looks good!だそうで、一安心です。コーディネーターのシャロンや、インターナショナルオフィスのナンシーが、仕事にも復帰していることを知って、とても喜んでくれました。しょっちゅうメールでやりとりしていますので、離れている気があまりしませんね。メールとは不思議なものです。悪用する輩もいますが、今の時代、良いことにどんどん役立てていかねば、と思います。
今回の戦争でも、平和の叫びがインターネット等を使って、国境を越えて拡がっています。国連での承認無しの武力行使に踏み切った米国のブッシュ大統領と、湾岸戦争(1991年)停戦条件である大量破壊兵器の破棄をうやむやにし、国連査察団への協力を遅らせてきたイラクのフセイン大統領とが何だかダブって見えます。でも、ブッシュ大統領が属する合同メソジスト教会の司教が反戦キャンペーンを張っていることは注目に値します。ニュウスでは米国国民の76%が戦争支持と流れていましたが(3月23日現在)、戦争が長引くにつれてもっと反戦を訴える声が強くなることでしょう。ヨーロッパ、中近東、アジアの諸国で、また日本でも平和を求める声が高まっています。一人一人の声は小さくても、それが集まれば大きな叫びになっていきます。武力と憎しみの連鎖を断ち切るためにも、世界の為政者達が知恵を出し合い勇気をもって平和を作り出す決断をすることができるように祈る必要があります。若い中学生、高校生、大学生が世界中で平和を訴えるデモをしている様子がTVに映し出されていました。未来を担う彼らが、平和に人類が共生共存できる世界に住んでほしいと願います。私の息子のジョーイはこの間教会の方と一緒に広島で持たれたピースウォークに参加しました。アメリカ国籍を持つ彼にとって、今度の戦争はどう映っているのでしょう。親子共々平和を作り出すキリストの弟子として生きていきたいものです。
■2003/03/17 (月) 無事、聖書講話(説教)終わる。 今は月曜日(17日)の夕方5時半です。昨日の礼拝での聖書講話(説教)は何と45分にも及ぶものとなってしましました。35分くらいの予定だったのですが、話し出すと結構脱線したりして、おまけにろれつが回らないことも手伝って、長くなってしまった訳です。内容はさて置き(神のご判断にお任せ)自分としては納得のいく仕事(奉仕)ができたと思っています。牧師はやっぱり聖書の話しをしないといけませんね。自分の存在意義がなくなってしまいますから。地元の教会で説教をするのは約8ヶ月ぶり、教会の皆さんもホッとされたようです。
ところでここしばらく血糖値が高かったのですが(朝食前と夕食前で125〜145の間)今朝は何と72(正常値は70〜125)!いかに人前で説教することがエネルギーを使うかお判りいただけると思います。仕事に復帰することが健康にとって大切なんだなーと、一人でガッテンしています。
3月24日から26日まで、私の教会が属している教団の年次総会出席のため、静岡県御殿場まで家内と行ってきます。その後、知り合いや友人宅を訪ね、29日に戻る予定です。30日(日)はまた礼拝説教で、スケジュール的には少しハードかもしれません。でも肉体的疲れは、精神的疲れと比べたら全然楽なものです。御殿場行きも気分転換にこそなれ、精神的疲労をもたらすものではないでしょう(I hope so.)。総会も、いくつかの会議は体調を見ながらサボろうと思っています(おっとぉ、不謹慎な発言!教団関係者の方ごめんなさい)。でも一番大切なのは、総会の席上私のために祈り献げて下さった全国の牧師先生たちや信徒の皆さんにお礼を申し上げることです。今から友人たちや同信の皆さんにお会いできるのが楽しみです。ちなみに子供たちは学校の友人宅に預けて行きますので、ご安心下さい。
■2003/03/15 (土) 補足 前回の日記に4月から牧師職に復帰と書いて、無理をしないようにとのメール等が結構ありましたので、補足説明させていただきます。100%復帰はとても無理なので、70〜80%程度の仕事量で始めます。月に2回ほどの礼拝説教(30〜40分の聖書講話)と毎週の祈祷会での短い聖書講話です。そのための準備と週報などの作成と印刷です。無理な時は、協力牧師や家内の久美子の援助を受けます。自分で大丈夫と思っても、案外気付かないのが精神的な疲れです。牧師業は、肉体の疲れもさることながら、精神的ストレスが結構あります。それをいかにうまくコントロールするかがプロの牧師の資質でしょう。信仰心だけでなく、人と接していく中で、その人が一緒にいて安心感をもっていただけるような人柄、精神状態が問われます。
その辺の部分がどれだけ回復しているか、まだやって見なければわからないのが現状です。まあ、あせらずじっくりというところでしょうか。明日16日は帰国後初めての礼拝説教なので、今から(15日午後4時です)ドキドキわくわくです。それで手ごたえがわかるでしょう。「ああー、こんなはずじゃー無かった」か、「まあー、こんなもんでしょう」か、どっちかの報告が次回の日記に載ることでしょう。乞う御期待。(割と控えめにしているつもりです)。
■2003/03/12 (水) 雑感 9日の日曜日から花粉症がぶり返しました。困ったものです。今日も広大病院に行って来ましたが、マスクでしっかり防御して行きました。血液検査と抗がん剤の投与の治療だけで、別段変わった事はありませんでした。まあ順調というところでしょう。
4月からの牧師業への復帰に向けて、今色々と体制を整えているところです。都合8ヶ月のブランクは大きいです。牧師というのはしゃべるのが仕事みたいなところがあって、礼拝での説教がメインとなります。結構体力と精神力を使います(もちろん神への信仰心が一番大切です)。だからといって説教を控えていると、かえってフラストレイションが溜まって精神衛生上よろしくありません。教会の皆さんは、40分説教せずに20分くらいでいいです、と心配して気遣ってくださいます。無理せずボチボチやって行きます。
今日は娘のレベッカの誕生日です。もう14歳になってしまいました。日系アメリカ人なので、考え方や仕草はアメリカ人(生まれも育ちも南カリフォルニア)です。最近生意気にも、親の英語の発音をからかいながら直すのです。24歳でアメリカに渡った小生の英語と、アメリカ生まれの娘の英語とでは歴然とした差があります。悔しいけれどかないません。
昨日ベイラーの上野先生のHPをのぞいたら、なんと1月は肝臓移植だけで30件の手術があったとか。18年のベイラーの歴史上最も多い数字だそうです。移植外科の先生方は大変だったことでしょう。48時間ぶっ続けという過酷なスケジュールも何回かあったのではないかと思います。本当に頭が下がります。上野先生は4月に1週間ほど休暇をもらえるそうですが、ゆっくりと静養して疲れをいやし、鋭気を養って頂きたいものです。
■2003/03/07 (金) 花粉症治まる! 前回、花粉症に罹ったことをお伝えしましたが、翌日から症状が治まり、今現在もありません。いったい何だったのでしょうか。広島もここの所ずっと寒く、雪が降ったり雨が降ったりで花粉もそんなに飛んでいないのかもしれません。あー、助かった。でも気を緩めずにしっかり花粉症対策をしておかなければ。晴れた日は必ずマスクをして外出します。鼻詰まりになったら、眉間の一寸上と副鼻腔の上を指で刺激します。するとすぐに鼻詰まりや、頭重が解消します。これはTVで中国の指圧の先生が紹介していたやり方です。あと鼻の穴の入り口でみかんの皮を絞ってその汁をシュッと鼻の中に飛ばすと、腫れた粘膜がすっとして鼻詰まりがすっきりします。また鼻の粘膜に膜ができたような感じで、細かい花粉が付着しないようです。でもこの「みかんの皮療法」は僕が考えたやり方で、医学的な根拠はありません。全くの素人療法です。一度試して効いたらいいですけれど、そうでなくかえって悪化したり、副作用が出たりしたらすぐおやめになって下さい。
ところでまた薬が減りました。INHという薬とビタミンB6を結核予防のために6ヶ月呑まされて来ましたが、3月初めで終了です。あと移植後コーディネーターのシャロンからの連絡で、免疫抑制剤プログラフの量も、6mgを1日2回から、5mgを1日2回になりました。来週血液検査をして、さらに量の調整が必要かどうか判断するそうです。
お蔭様で順調に体力も回復しています。先日家族でボーリングに行って来ました。3ゲーム投げて、左のお尻の筋肉がパンパンに張ってしまいました。足腰を鍛えないといけませんね(スコアは140台がやっとでした)。また、ハヤシライスとか中華丼といった汁物系ご飯を食べた後は、苦しくなって体を横たえたりしています。あと日本茶はどうしてもお腹にもたれてしまいます。焙茶は大丈夫と思って飲んでいましたが、やっぱりだめです。もっぱらコーヒーか紅茶です。しばらくはパスタやサンドイッチ、たまにメキシカンのタコスやブリトーですね。もちろんハラピーニョ等の辛いペッパー類は食べません。しばらくは胃潰瘍にもなりやすいそうなので、胃にやさしい食べ物というところでしょうか。TexMex料理のチキンファヒタが食べたくなります。それに大好きになったドクターペッパー(清涼飲料水)も無償に飲みたくなります(この飲み物はダラスが発祥の地)。
■2003/02/26 (水) ついに花粉症が! ついに花粉症が昨日から始まってしまいました。免疫抑制剤を飲んで、免疫が下がっているので、花粉アレルギー(免疫の過剰反応で起こる)はひょっとしたらおこらないのでは・・と期待していたのですが、見事に裏切られました。一応マスクをつけているのですが、鼻がムズムズし出したら大変、特大くしゃみの連発です。5〜6発は続くのではないでしょうか。おかげで体のあちこちが痛みます。でも不思議と傷口は痛みません。
昨日Dallas通信(上野先生のHP)を覗いてみたら、Dallasは大雪で大変だとか。お店が閉まったり、学校が臨時休校になったり・・。病院でも臨床を抱えていない科はお休みだとか。でも移植外科は休む事なしに患者さんのケアや手術があるそうです。ご苦労様です。あちらのニュースによると、積雪量は5〜7cmとたいした事ないのですが、気温が低く(-7度)風も強いため道路が凍って高速道路で事故が多発したそうです。テキサス州で9人死亡ということです。思い出せば、テキサスで見た雨粒はそういえば大きかったし、雨の降り方も集中豪雨みたいな降り方だったし、多分雪の降り方もすごいんだろうなー、と思います。
今朝はキモセラピーに行ってきました。これで15回目が終了です。体も大分慣れたようで、初めのころにあった節々の痛みなどはありません。あと5回、3月いっぱいで終わりです。
■2003/02/21 (金) 上野先生のヘルプと家内のヘルプ ステロイド剤を止めるに当たって、Baylorに指示を仰いだ方が良いだろうとの主治医の意見で(私も同意見です)、先週末からコーディネーターにFaxやVoice-mailで連絡しているのですが、返事が無いので上野先生にメールしてしまいました。お忙しいのは解かっていたので心苦しかったのですが・・。そうしたらすぐにメールで、ステロイド剤と血圧抑制剤も止めてもいい旨、連絡がありました。また免疫抑制剤プログラフの血中濃度(2月5日で14.1)もお知らせしておいたのですが、この時期としては少し高いとのことで、後日コーディネーターから連絡があるそうです。Baylorに上野先生がいて下さって本当に助かりました。感謝!
ところで飲む薬の量が減って楽になる反面、気の緩みからか飲み忘れることが出てきました。夕べもプログラフを飲んだかどうか11時に突然気になり(9時に飲むことになっている)思い出してみたところ、どうも飲んでないという事になり、薬箱をチェック。するとやっぱり飲み忘れていた事が判明!慌てて飲みましたが、家内の久美子から叱られて、壁に「お薬表」を貼られる始末。でもこうでもしないと、最近ボーっとしている事が多いので、また飲み忘れ事件が起きてしまうかも知れません。あー、クワバラクワバラ。でも久美子にも感謝!
■2003/02/20 (木) 順調です! お蔭様で元気にしています。インフルエンザからも守られています。昨日も広大病院に行って、キモセラピーと腹部エコーの診察を受けてきました。肝臓にはもちろん問題なしでした。もうステロイド剤も飲まなくて良くなり、これから徐々に薬の量も減ってくるでしょう。
それから今朝の中国新聞社会面に、私のベイラーでの肝臓移植の経験と日本の移植医療に対する私見、そして日本国内で移植医療に携わる方々からの現状報告と将来に対する意見が載りました。1月末に取材を受けていたのですが、記者の方も良くまとめてくださいました。少しでも日本国内における移植医療に対する関心と理解が深まれば、と願っています。
昨日は診察の後、病院のカフェで嬉しいことがありました。去年4月生体肝移植のため入院していた時、隣りのベッドに居られた方とその奥さんに再会したのです。お互いにびっくりしました。奥さんが肝臓を提供されて生体肝移植を受けられたのですが、お二人ともお元気そうでした。私のことを新聞で知り、募金に協力くださったそうで、本当にありがたく思いました。私が生体肝移植がダメになり落胆していた時、励ましてくださった方なので、喜びも一入です。
■2003/02/15 (土) 元気で帰ってきました! 皆様のお祈りとご支援を本当にありがとう御座います。1月19日に無事に帰国し、27日に広島に戻りました。最初の2週間は荷物整理と部屋の片付けに追われ、あっという間に過ぎてしまいました。去年7月のままのカレンダーを見て、タイムスリップしたような錯覚に襲われます。「本当に移植手術を受けて帰ってきたんだよな」と、ベイラーでの写真を見ながらボーっとする時もあります。家内や子供たちから「ダディー、ちょっと大丈夫?ボーっとしてるよ」と言われることしばしです。どうやら、ステロイド剤の副作用(異常に興奮しておしゃべりがとまらなくなり、夜も眠れなくなった)のリアクションで、脳の回路がショートしてつながっていないようです。それで一人での外出は控えるように家内から命じられました。車の運転も一人では禁止です。
29日に広大病院に行き最初の検診と血液検査、キモセラピーをうけてきました。その後2月5日と12日にも同様の検診と治療を受け、今のところ順調です。血液検査の結果は広大からファックスしてもらい、それを私がベイラーのほうにファックスします。ベイラーは移植患者の面倒を一生見てくれるのでありがたいです。今年の9月末に1年検診であちらに行きます。キモセラピーは3月末まで毎週1回水曜日に受けます。微量の抗がん剤を点滴で受けるのですが、1〜2日身体が少しだるかったりするぐらいでほとんど副作用はありません。
免疫抑制剤を飲んでいるので、感染症にかかりやすく、健康的な食事と規則正しい生活で対処するしかありませんが、それが一番ですね。肝臓移植患者は別にマスクをする必要はありません。術後の入院時からそうでした。今も外出時でもほとんどマスクをしません。ただ病院の待合室でゴホゴホしている人がいるので、気になる時はしています。広島はインフルエンザ警報が去年12月から出ているそうですから。とにかく人ごみはできるだけ避け、帰宅したら手洗いとイソジンうがいをこまめにしています。
食事ですが、やはり和食、特にご飯や汁物が続くともたれて下痢になってしまいます。パスタやパン等の洋食の方が良いです。家内はタコソース(蛸ではなくタコス)などをあちらで仕入れてきて、たまにメキシカン料理もどきを作ってくれます。やっぱりうまい!肝臓はメキシコ食で育ってきたので仕方ないですね。早く日本食と日本の環境に慣れてもらいましょう。
■2003/01/21 (火) 無事帰国しました。 2003年1月19日午後4時、予定よりも30分ほど遅れて、加藤望牧師は、ご家族とともに無事に、成田空港の到着ゲートから出てまいりました。
帰国の途中、時差ぼけや、長時間飛行機に乗っていることによる披露をできるだけ軽減することもあり、ロサンジェルス、ハワイと途中下車(飛行機の場合は下車というのかな?)しながら、の旅で、ハワイを出発する前には、ちょっと疲れているので、車いすに乗ってゲートを出るとのれんらくがありましたが、ちゃんと自分の足で歩いて、元気に到着ゲートから出てきました。
到着に当たり、日本移植支援協会のかたが、記者会見などもセッティングしてくださっていましたので、ゲートでは何台かのカメラがフラッシュをたき撮影していましたので、近くにいた人たちは何事かと、遠巻きに眺めているような状況でした。
その後、用意してあった部屋で、記者会見、しっかりと受け答えしていました。
今後は、1週間ほど東京に滞在した後、1月27日(月)に広島に戻られる予定です。
■2003/01/12 (日) 加藤家、無事ダラスを出発 1月10日金曜日午後、加藤牧師ご一家は無事ダラスを出発し、LA、ハワイ経由での帰国の途につきました。LAでは、11日〜12日の北米ホーリネス教団新年聖会で感謝の報告をし、それからハワイへ。ハワイでは中野雄一郎牧師(エバンジェリスト:マウントオリーブ・ミニストリーズ)のところに滞在し、1月18日に米国滞在ビザの期限が切れる前に、日本に帰国することになります。ハワイについたら連絡して下さることになっていますので、また報告します。とりあえず、無事ダラスを出発して帰路につかれたことをご報告します。
報告:河野克也
■2003/01/01 (水) お寿司屋さんで退院祝い 上野先生の報告にもあったとおり、28日(土)夜、寿司シャトルで退院感謝の夕食会をした。退院と言っても、3ヶ月の移植外科外来クリニックが終わったという意味である。上野先生ご夫妻と河野氏ご夫妻と僕たち夫婦で、お寿司や串焼き等和食メニュー。僕は生ものはまだ禁止なので、はまちのカマの焼き物、寿司はたこ、玉子、ウナギにカリフォルニアロール、そして豚の角煮を食べた。3ヶ月の外来を終えて本当にホッとした。拒絶反応とかあったが素早い処置で軽い段階で治り、上野先生はじめ移植外科の先生方には大変お世話になった。食べながら、手術後ステロイド剤やネオラール(免疫抑制剤)の副作用で興奮状態になり、家族や友人が大迷惑した話等、久美子やカッちゃんこと河野氏から暴露され、皆で爆笑(僕は苦笑)。今後は無理をしないで、でも普通の生活をしてかまわないとのお墨付きを上野先生からもらった。
ところで当初の予定では、キモセラピーが終わる3月一杯まではダラスに留まるつもりだったが、滞在許可が切れる1月18日に帰国する事になった。戦争のうわさがあるし、キモセラピーだけでは(移植と直接関係ない治療で、どこでも受けられる)滞在延長が許可されるかどうか微妙と思われるからだ。帰国後は日本での生活に早く慣れ、広島大医学部付属病院で治療を継続する事にまずは専心したい。ダラス滞在は6ヶ月足らずであったが、新垣牧師ご一家や河野先生ご夫妻はじめ、日系人教会の方々には色々とお世話になり、心から感謝申し上げたい。また支える会を起こし募金活動を通して、肝臓移植手術を可能にして下さった、小林和夫先生はじめ日本のキリスト教関係の方々、テレビや新聞のニュースで僕のことを知り、募金に協力して下さった全国の方々、北米やハワイのキリスト教関係の方々、台湾のキリスト教関係の方々、その他世界中にいらっしゃる日本人クリスチャンの方々に心からお礼を申し上げたい。
あと二週間ほどしか余裕がないので、帰国の準備が忙しくなりそうだ。久美子や子供たちには申し訳ないが、年明け早々荷造りに追われそうだ。ところでまだ新年のご挨拶をしていませんでした。こちらはまだ12月31日なので。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
■2002/12/31 (火) 生もの抜きの退院祝い 上野医師のページからの転載です。(河野)
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加藤望氏報告(術後3ヶ月目)
今日は、かねてから加藤氏と約束していた、お寿司を食べに行くことにななりました。場所は寿司シャトルで、加藤氏御夫妻と河野氏ご夫妻と退院のお祝いをすることが出来ました。
栄養士から生ものは硬く禁じられているので、加藤氏は生のお寿司を食べることは出来ませんでしたが、ほぼ順調にここまでこられて何よりです。
移植の場合は、まだまだこれからも治療は続きますが、頑張ってもらいたいものです。
■2002/12/29 (日) 外来終了:上野医師の報告 ベイラー大学メディカルセンター移植外科の上野先生のページに、加藤先生の外来終了の報告が掲載されましたので、こちらに転載します。(河野)
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加藤望氏報告(術後3ヶ月目)
他の患者さんと同様に、3ヶ月たちましたので移植外科の外来は終了です。今後はプライマリケアーの医師に診察してもらって、検査結果をこちらにFAXで送ってもらうということになります。これで移植外科からは退院ということになります。長い間ご苦労様でした。
■2002/12/28 (土) 最後のクリニック 今日(27日)で移植外科のクリニックは終わりだ。術後3ヶ月たった訳だ。まだ少し風邪が残っており、時々軽い頭痛や鼻づまりや耳づまりがある他は、至って快調だ。外来担当は上野先生だった。しばらくお会いしていなかったので懐かしい感じ。手術、入院、拒絶反応による再入院等、本当にお世話になった。12月半ば頃はお疲れで大変だったが、クリスマス前に1週間休暇でフロリダまで旅行に行って、大分元気を取り戻されたようだ。よかった。血糖値を管理しているケリンさん、いつものように「おはよ」の挨拶で入ってきて、1週間の血糖値の表を見ながらにっこり笑い「まだ風邪が抜けてないようだし、血糖値が高いと風邪の菌に対する免疫が弱ってしまうから、毎朝20ユニットにするわね」。あーあ、まだインスリン注射は続くのか。
帰りに久しぶりに、ロバーツ病院14階に寄ってみた。馴染みのナースたちがいるかどうか。久美子と二人でナースステーションの周りの廊下を一周していると、マーシャさんが向こうから歩いてきた。思わず「マーシャ!」と叫ぶと、「ミスターケイトウ!」とマーシャさん。「今日で移植外科のクリニックが終わったんだ」と言うと、「もうそんなに時間がたったの!元気そうでよかった。You look great! 」とマーシャさん、ギュッと抱きしめてくれた。彼女は術後の大変な時、特に拒絶反応2回目のOKT3の治療で40度3分の熱が出た時、「氷づけ」をしてくれた人だ。熱心なカトリック信者で、つらい時に祈る祈りを教えてくれた。暫く歩き続けると、ひとつの病室から見慣れた顔が。ローンダだ。「ヘーイ。ここで何してんの」といたずらっぽく笑いながらハッグ(軽く抱き合う挨拶)。「今日で移植外科のクリニックが終わったんだ」。「じゃー日本に帰るの?」「ううーん、まだ。もう暫くここにいるよ。キモがあるからね」「そう。でも帰る時は必ずまた来てね」。ローンダともう一度ハッグして別れた。彼女は外来の時の担当で、ミネソタ流の英語の発音を教えてくれた。一番思い出に残っているのは「ウォルフ」の発音だ。短く吠えるようにと言うので「うぉふ」と言う感じで吠えたら「GOOD!」。お互いに「うぉふ」「うぉふ」と狼が吠えあっているみたいになって、笑い転げたものだ。ローンダに「さん」を付けるのは似合わない。カウガールのような感じだ。一番会いたかった二人に会えたので、久美子も僕もうれしかった。
■2002/12/27 (金) クリスマスの日 昨日(25日)はクリスマス。子供たちは朝早く起き出して、プレゼントをあけるとさわいで大変。僕が起きて行ったら、新垣先生の所の、マノちゃんがパジャマの上にジャケットを羽織ってリベッカと玄関で立ち話をしていた。普段の日は寝坊すけなのに。子供たちにはそれぞれスクーターを買ってあげた。その他、色々友達や教会の方々からのプレゼントが一杯。僕は久美子のお手製のマフラー、手袋(これで寒さに対して完全防備)、それから友人のカッチャンこと河野先生から「テキサス英語の辞書」をもらった。この辞書はなかなか笑えた。見ただけでは英語とは思えない綴りの単語や文章が並んでいる。でもさすがは子供たち。聞いたら、すぐすらすらとテキサス訛りの英語で読んでくれた。ちなみに例を挙げると、スマイルがスマール。I smile が、アー スマール となる。地元の人に聞くと、ダラス近郊はまだ訛りはそんなにないが、ちょっと田舎に行くと、とにかく何をしゃべっているのか、英語なのか何なのかちんぷんかんぷんだそうだ。地元のアメリカ人でもそうなのだから、まして日本人の僕が聞いたらまるでわからなくて当然だろう。まだ幸いにも(?)そのようなテキサス訛りをしゃべる人に出くわしてないが。
とにかく、午前中はプレゼントをあけて、わいわい騒いで終わった。夜は河野先生宅のキャンドルライト礼拝に出かけた。静かにキャロルを歌い、聖書朗読を聴き、祈って時を過ごした。お互いのために祈り、また戦争のうわさが広がっているこの時、アフガニスタン、パレスチナ、そして世界の平和のために祈った。
主イエス御降誕の地ベツレヘムでは、2年連続でクリスマスの式典が中止になってしまったそうだ。町には飾りもなく、ほとんどの家庭で(多くはパレスチナ人クリスチャン)子供たちにプレゼントも買えなかったという。いつこの地に平和が訪れるのだろうか。キリストの弟子として平和を造り出す者でありたい。今パレスチナ人クリスチャンたちとユダヤ人クリスチャンたちが中心になって平和運動が静かに展開しているという。その働きに、まず祈りと捧げ物を通して参加したい。
礼拝の後、皆で食事をしながら楽しいひと時を過ごした。お餅も食べた。食べれるかどうか心配だったが、おいしく食べる事ができた。戦場と化した町に住む人々が、同じように家族や友人たちと食事をともにできる日が早く来るように祈る。
■2002/12/24 (火) どんより曇り空 前回の日記で下痢と耳痛で悩まされていた事を記したが、まだその症状は軽くなっているが、続いている。一応抗生物質を処方され一日二回のんでいる。耳は痛みというより、詰まった感じで、重たく聞こえが悪い。水の中に入っているみたいだ。鼻もたれるし、まだ痰も出る。なんとなく頭が重たい。すっきりしない感じだ。夕べから冷え込んで、外は雨が降っている。どんよりした空で、なんだか気持ちまで滅入りそう。
息子のジョーイーも金曜日、学校から帰ってきてから、熱を出し風邪をひいたようだ。金曜日は彼の誕生日パーティーだったので38度の熱があっても、はしゃいで新垣先生の子供たちと夜遅くまで、ゲームをしたりビデオを見たりしていた。そのせいか、今日(23日)もなんとなく風邪が抜けきっていないようだ。
25日の夜には、河野先生宅でキャンドルライトサービスがある。レベッカもジョーイーも楽しみにしているので、僕も体調を整え、出席できるようにしたい。
■2002/12/22 (日) 笑いの効用 19日(木)は朝から下痢に見舞われ大変だった。おまけに早朝には右耳が痛くて目が覚めたりして、どうやらここ10日ほど鼻がつまって耳がゴソゴソして聞こえが悪かったが、中耳炎にでもなったようだ。夕方から耳痛は収まったが、下痢が悪化。足しげくトイレに通う羽目に。具合が悪く冷や汗も出てくるので、夜9時過ぎコーディネーターにTEL。熱はないが、とにかく下痢が続いている事を訴える。「キモセラピーのせいかもしれないけど、バクテリアがお腹に入った可能性もあるから、プラスチック容器に便を取って、明日の外来の時血液検査室に持って行って。夜に便を取ったら、容器をジップロックに入れて、それを茶色の紙袋に入れて冷蔵庫で冷やしておいてね」。「えっ!冷蔵庫の中にうんこを!」「紙袋に入れておけば見えないし、いいでしょ。うふふ」。てな訳で、最後は二人で笑ってしまった。最初はこちらは具合悪いし、割と深刻な電話だったのに。水分をしっかり取るように言われたので、白湯を飲んで熱めのシャワーを取って早めに寝る。「具合が本当に悪かったら、我慢しないですぐいつでも電話して」とコーディネーターのパティーさんが言ってくれたので、安心してぐっすり朝まで眠った。なんだか下痢も止まってしまい、検便は病院に行ってからに。苦しい時にコーディネーターがこうして話を聞き、適切な指示をし、冗談を言って励ましてくれるのでありがたい。
クリニックではサンチェス先生(中国系フィリピン人)が耳を診てくれた。スコープで覗きながら、「あっ、向こうの壁が見える」「えっ!壁って、左の耳と右の耳が貫通してトンネルみたいになってるってことですか〜」。「がっはっは、そういうこと。右も左も中耳は詰まってないよ。きれいに貫通って訳だ!」サンチェス先生、見てくれは小太りで頭は五分刈りだし、布袋様って感じだ。とにかく、ここアメリカではお医者さんと言えどもジョーク好きだ。ベイラーの診察室でも笑いが耐えない。もちろん、サンチェス先生も優秀の移植外科医であることにかわりはないが。
移植後アフターケアーは、こうしたコーディネーターや医師や看護士との血の通ったコミュニケーションが欠かせない。その中で、笑いの効用は大である。とかく空気が重くなり勝ちな病院で、患者がリラックスして医師や看護士とジョークを言える環境というのは大切だ。病気に打ち勝つ力が沸いてくる。
■2002/12/18 (水) キモセラピーの副作用 ちょっと体調がすぐれずご無沙汰してしまいました。申し訳ありません。17日(火)クリニックとキモセラピーに行ってきた報告をします。
クリニックで、鼻が詰まって咳と痰がなかなか治らない事を移植外科のチナコットラ先生(インド系)に訴えたところ、多分キモセラピーの影響かもしれないとのこと。免疫抑制剤の量を調整し(プログラフ10mgを朝晩2回)、ステロイドの量を減らす(15mgから10mgへ)。血糖値は相変わらず夕方の値が200台前半と高いので、朝インスリン15ユニット注射する事に。今日は比較的早く、9:40に終わってしまったので、一旦家に戻る事にする。キモセラピーの予約は1:30なので。
キモセラピーでは1時間以上待たされた。クリスマス休暇が来週に控えているので、今日明日と患者で一杯だとか。やっと順番が回ってきたので、ナースにすぐ体調がすぐれず風邪のような症状が続いている事、全身倦怠感がある事等訴え、キモセラピーの副作用かどうか聞いてみる。答えはイエス。前にも他の患者のうわさとして日記に記していたが、5−6週目にボディーブローのように体にガックリこたえてくるというやつだ。先週が丁度6週目に当たる。ヘモグロビン値がキモのせいで低いと、全身倦怠感が出るそうだが、僕の値はそんなに悪くないそうだ。ただ普通よりは低めらしい。これで先週続いた体調の悪さの原因がわかった訳だ。でもまだ13週キモセラピーが続くと思うとうんざりする。
帰りは久美子が疲れて眠たいと言うので、車を運転する。(免許不携帯だけど大丈夫。安全運転でいくから)と自分に言い聞かせる。3:40に無事我が家に到着。久しぶりのドライブで気分は爽快。
ところで、東京の事務局からの連絡で、このホームページを管理しているコンピューターがウイルスにやられ、今現在更新不可能になっているそうです。僕の闘病日記はダラスから更新できますが、他のページはしばらく今のままです。あしからずご了承下さい。
■2002/12/13 (金) お楽しみはお預け 12日木曜日はグローサリーショップで健康食品の買い物実習のはずだったが、講師の都合で中止になってしまった。1月30日に延期ということに。せっかく楽しみにしていたのに残念だ。
ところで昨日の腎機能検査の後遺症か、まだお腹がおかしい。ガスがたまるし、うんこもゆるめだ。まったく検査のために体調をくずすなんてまっぴらだ。もうちょっと体に無理のかからない検査方法はないものか、と一人でいきまいている。でも、まあ仕方がないか。
昨日の午後からクリスマスカードを書き始め、今日も宛名書きに追われている。書くという作業も結構体力と集中力がいる。右手指の関節が痛むし、字が思ったように書けない。自分でももどかしい。微妙に字が震えていて、久美子曰く、「いとみみずが這ってるみたい」。ええーい、笑うな。こちとらは必死に書いとるんじゃい!でも自分でも、自分の字を見て笑ってしまいます。
ところで、夕べは今住んでいるアパートのクリスマスパーティーがあった。ここのオーナーは日本人の方でわざわざ日本からいらしていた。オーナーもちでハム、マッシュポテト、ヤム(甘いおいも)、インゲン豆の茹でもの、チェリーパイ等食べ放題だ。子供たちにはかわいいサンタや雪だるまの人形が配られ、中にチョコレートと携帯電話のおもちゃが!ピエロが登場して手品をしたりゲームをしたり、子供も大人も楽しんだ。50−60人は集まっただろうか。オーナーのY氏と日本語で挨拶を交わした。マネージャーのワネットさんが、「彼は肝臓移植を2ヶ月ほど前に受けたのよ」と僕のことを紹介したら、驚いて「本当ですか。イヤーお元気そうで、そんな大手術を受けたばかりなんて思えませんね」とY氏。別れ際、マネージャーが僕のことをそっと呼んで、小声でこう言った。「オーナーが大きな手術を受けたあなたにクリスマスプレゼントを下さるって。1月分のレントはタダよ。赤アリ事件もあったしね」。なんと寛容なY氏だろう。直接お礼を言いたかったが、Y氏はいつの間にか退席されていた。思わぬプレゼントに心の中でお礼を言った。このクリスマスパーティーは毎年恒例で、オーナーのY 氏は必ずディナーとプレゼントを用意して下さるそうだ。マネージャーはじめメインテナンスのおじさんやアパートの住人達もY氏のことをほめて「いいオーナーに私達は恵まれた」と言っている。僕も日本人として、Y氏の事を誇らしく思う。
■2002/12/12 (木) 悪戦苦闘の腎機能検査 11日水曜日。朝6時55分に家を出る。子供達はいつものように隣の棟に住む新垣先生宅へ。7時30分に腎機能検査室に到着。早速ナースが来てすぐに検尿。個室をあてがわれ久美子と二人でリラックスムード。テレビもあるし、紅茶、コーヒーは飲み放題だ。「今からコップに6杯水分を取って、9時10分前に排尿して下さい。飲み物は何がいい?」と聞かれたので、「オーケー。今8時10分だからあと40分後ですね。飲み物は紅茶をお願いします」と僕。リクライニングの椅子に座って、至れり尽くせりのサービス。気分は最高ーー?ところが朝食を食べながら6杯の紅茶(約36オンス=1020cc)というのは至難の業だった。ヒーヒー言いながら何とか飲み干し排尿。この分はためないで流し、次から尿瓶にためるように言われる。「紅茶か水を2杯飲んで今から30分後におしっこをためてね」というわけで、ちびちび飲んで何とか1回目の蓄尿に成功。すかさずナースが「もう2杯飲んで30分後にね」とご丁寧に氷入りの水を置いていってくれた。氷で冷やして早くおしっこを出せというわけか。1杯目を飲み終えたところで突然お腹に異変がーー。グルグル言い出しどうやら下痢のようだ。ナースに緊急事態を訴え、とにかく事なきを得る(無事排便)。ところが「悪いけどあと2杯追加ね」と言うではないか。(えー。それはないよー)とわめきたかったが、じっと我慢。ナッツを食べながら30分かけて2杯の水を飲み干し、2回目の畜尿終了。「これで終わりよ」と言われてホッとした。お腹は水分過多でガボガボだ。全部でコップ12杯分、約2040ccの水分を取った事になる。なんとなく気持ち悪い。帰りの車の中でも、カーブの度にお腹が揺すぶられ上からあふれそうになった。こんなしんどい腎機能検査はもうこりごりだ。
■2002/12/11 (水) キモセラピー、キモに命じて食べ過ぎ厳禁 今日、火曜日は朝7時40分に血液検査室(通称Y-Wing3階)、8時にカフェテリアで朝食、8時30分に移植外科のクリニック、10時45分にキモセラピーと忙しいスケデュールであった。少々風邪気味で咳と痰が出る他は、異常なしで、肝機能も至って正常だ。血糖値は大分下がってきて、今朝は102とこちらも正常値。これはインスリンを打つ前の数字なので、例のケリンさんにカフェテリアで会ったので、喜んで報告したら(「おはよ」と声をかけたら、クルッと振り向いてニタッと笑ってくれた)、クリニックの時に、夕食前の数字が170−180と高いので、朝10ユニットのインスリンをまだ打つように言われてしまった。残念(ーー)。もうインスリン注射から解放されると思っていたのでショックだ。まあ、後少しの辛抱で、もう少しステロイド剤が減れば血糖値も下がるだろう。
キモセラピーでは思わぬ事態に。先週予約の確認をしていなかったのがいけなかった。てっきり今日11時の予約と思って来てみたら、予約は入っていないと受付け嬢。とにかく僕は20週連続のキモセラピーなんだから、と言って4週間分(来年の1月3日まで)の予約を取る。何でも予約は1ヶ月分しか取れないとかで、1月3日以降の分はまた改めて取らなければならないそうだ。よく覚えておこう。でも、今日は比較的早く順番が回ってきて、10時45分にキモを受ける事ができた。ナースは今年のクリスマスイブで60歳になるというベテランの方。男の子ばかり5人の孫がいるとかで、その子たちの腕白ぶりを少々あきれながらも、うれしそうに話してくれた。話しながらものの10分足らずで終わり。「また来週ね」と笑顔で見送ってくれる。
少し早い昼食を家内の久美子とまたカフェテリアで食べる。とにかくお腹がすくので、今日はガッカモレ(アボカドをつぶしたもの)入りのチーズバーガーとフレンチフライとサラダとダイエットスプライト。久美子はカテージチーズとフルーツジェロだけ。ところが半分食べたところで突然おなかが一杯になってしまった。空腹感もすぐに来るが、満腹感もすぐに、いや突然に来るというのが現状だ。体がこれ以上食べたら傷口が裂ける、とか苦しくなるとか信号を脳に送るのかもしれない。食べすぎはとにかく禁物。キモに命じておかないと後で痛い目に遭う。そんな訳で残りを持って帰り家で食べ直し。僕に付き合っている家内も大変だ。
■2002/12/10 (火) 多人種多文化 今週は色々とスケジユールが詰まっていて忙しくなりそうだ。ダラス時間の明日火曜日は、朝7時30分から血液検査にクリニックとキモセラピーの日。水曜日にはGrofilという腎機能検査が朝7時30分から3時間はいっている。木曜日は朝8時30分から栄養学セミナー最後の実習、グローサリーストアー(食料品店)でショッピングだ。ショッピングは楽しい時になりそうだが、治療や検査はしんどいし、時間がかかってかなわない。
移植患者仲間も僕みたいに2ヶ月以上たつと、早く毎週の検査や治療から開放されたいと訴える輩が多くなる。一応、術後3ヶ月で移植外科のクリニックが終わり、皆それぞれの主治医の下に帰れる、遠くから来ている患者は、晴れて家に帰れるわけだ。主治医の下では、2週間に1回か月に1回かの検診でよくなる。もちろん毎回のデータはベイラーに送られるようにしなければならないが。僕は12月28日で術後3ヶ月たつので、それ以降日本帰国までは、ベイラーの肝臓内科医Dr.Weinsteinに診てもらうことになる。
ワインステイーン先生はユダヤ人で、気さくで小柄な先生。ユダヤ教のお祭りのことなど興味があるので時々聞いたりする。ここベイラーは多文化多人種が集まっている所だ。いつもお世話になっているインターナショナルサービスの人たちは、ヒスパニック系で、スパニッシュと英語のバイリンガル。とにかくよくしゃべるし陽気な女性たちだ。受付のマリアさんは会うたびに、ギュッと抱きしめてほっぺたにキスしてくれる(家内の前でも。もちろん家内にも同じようにキス)。血糖値を診てくれている糖尿病専門医のケリンさんはギリシャ系。やっぱり陽気で明るい。日本語の挨拶「おはよう」を教えてあげたら、毎回「おはよ」。「オハイオ(州の名前)って言えばいいんだよ」と教えたものだから、なんだか変な発音になってしまったが、本人は至って「おはよ」のサウンドが気に入っている様子。会うたんびに冗談ばかり言い合っている。入院していたロバーツ病院14回のナース達も、気さくで陽気な方たちばかりだった。皆どうしているかな。時々懐かしくなる。今週ちょっと顔を出してみようかな。
■2002/12/08 (日) ラーメンを食べる ダラス時間12月7日(土) お昼に移植手術後初めてラーメンを食べた。妹が送ってくれた中華三昧で、結構おいしかった。2−3週間前だったか、子供の食べていたラーメンをちょっとつまんでみたら、シナ竹がおしっこの味で閉口したっけ。今回は塩味で、わけぎとハムのスライスを炒めた物をのせてみた。少しずつ日本人としての自分の味覚を取り戻しつつあるようだ。日本食拒絶反応もやがてなくなるだろう。早くうまいラーメン屋で(こだわりの店)熱々のラーメンをすすってみたい。もちろん日本に帰ってからだが。
明日の日曜日(12月8日)は日本人チャペルでクリスマス会がある。子供たちが劇をしたり、聖歌隊が歌ったり、楽しいときになりそうだ。平和の君キリストの降誕を真に祝い、特にこの時、地上にそしてパレスチナに平和がもたらされるように祈る。僕は、今せきと痰が出ているので(アレルギー性の気管支カタル)家で留守番だろう。一人で祈るのも悪くないが、早く皆と一緒に礼拝をまもりたいと思う。
■2002/12/07 (土) リハビリは? 初めて日本語で日記を更新します、加藤望です。娘のために買ったパソコンで日本語を打てるようになりましたので。さて、今週から移植外科クリニックが火曜日だけになりましたので、比較的楽になるかと思ったら、ステロイド剤を減らしたため(1日20mgから15mgへ)、水曜日朝7時30分に血液検査となってしまいました。家からベイラー大学病院まで30分はかかります。最近は朝の冷え込みが厳しく、今朝はマイナス2度でした。おまけに今週は夜ぐっすり眠れるようになり、うれしいのですが、朝早起きするのがしんどくてしんどくて。水曜の朝は曇り時々雨で北風が冷たい朝でした。血液検査じたいは5分ほどで終わってしまいます。カフェテリアで家内と朝食を取り、薬の追加分をもらって午前10時前に帰宅。
ところで、ベイラーの病院内は広くて、駐車場から血液検査室まで5分ほどかかります(歩いて)。広い病院内をセコセコ早歩きするのも、結構いいリハビリになります。まだ機械を使うような筋肉トレーニングはできませんので、歩くことが一番のリハビリです。今住んでいるアパートの近くにダッククリークという小川が流れていますが、そのほとりは樫の木が茂った散歩道になっています。リハビリのための散歩にはもってこいですが、まだ4回ほどしか行っていません。(ここ1ヶ月で)。寒いし、風邪引いたら困るし、、と、言い訳はありますが、「リハビリはどうしたの?」という声がどこからか聞こえてきそうです。
■2002/12/03 (火) 第六話:ジャンボ鶴田さんのこと 先日、日本移植支援協会をとおして、ジャンボ鶴田夫人と連絡を取ることができた。私の東京の事務局に励ましの電話と募金を送って下さったことを前から聞いていたので、おそくなってしまったが、とにかくお礼を言うことができてホッとしている。
高校時代から時々テレビでプロレスを観るようになっていたが、ジャンボ鶴田さんの試合のときは、とにかくハラハラしながら観ていた。いつも勝っていてほしかった大好きなプロレスラーだった。試合はクリーンだし、勝っても負けてもすがすがしさが残る、そういうプロレスラーだった。特にあの大技「スープレックス」はすごかった。
その鶴田氏が肝臓移植手術中に亡くなったというニュースは、青天の霹靂だった。2000年の5月のことだったと思う。僕もそのころ肝硬変をわずらって、前の年には食道静脈瘤と脾臓摘出手術を受けていたので、ショックだった。あのジャンボ鶴田さんが、あの鋼鉄の体のプロレスラーが…。肝臓の病とは恐ろしい。人事ではないぞ。そんな思いが頭の中をグルグル回ったのをおぼえている。
鶴田夫人に命日を確認した。5月13日!それは正に僕の誕生日だ!何か運命的なものを感じた。ジャンボ鶴田が残した言葉「人生はチャレンジだ!」を今一度かみしめて、神から与えられた第二の人生、チャレンジにこたえていきたい。
(11月24日、加藤望)
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書記:河野、
今回で加藤先生からお与りした原稿分は終了です。今度は加藤先生がご自分で、闘病日記を更新することができるでしょうか。娘のベッキーちゃんの宿題用にと、こちらで急きょ購入したパソコンでも、どうやら日本語が使えそうですので。使い方をマスターしたら、もっとリアルタイムで更新できるでしょう。乞うご期待。
■2002/12/02 (月) 第五話:日本食拒絶反応(?) 依然として、日本のうるち米を少しでも食べると、お腹がもたれて苦しくなってしまう。数日前、ダラスに来てはじめて、日本食だけのメニューで夕食を取った(よく考えてみると、アジア食といった方がふさわしいメニューだ。ごはん、ギョーザ、キムチ…だったから)。てき面にお腹がもたれ、具合が悪くなり、食後しばらく横になった。まだしばらく、タコス、ブリトーにスパニッシュ・ライス(パサパサのごはん)、パスタ、マッシュド・ポテト、コーン等のメニューでいくしかない。むしろその方が僕は好きだし、アボカドをつぶして、サルサ等を加えてライムをしぼった「ガッカモレ」をたっぷりいれた、タコスやサンドイッチ(メキシコ・スタイル)は絶品だ。チキンやハムやビーフ、あるいはエビやカニにもよく合う。
ある方が「体の中に2つの国があるみたいで大変ですね」と声をかけてくれた。言い得て妙である。ドナーはヒスパニック系男性で、地元ダラス在住の方だった。肝臓もメキシコ系、スペイン系、あるいはイタリア系(地中海系)の食事を好むのだろう。僕も日本にいた時から、そっち系のメニューが好きだったので、むしろ楽である。でもやっぱり、おいしい魚、しかも刺身で食べたいな。もちろん今は絶対ダメ(生は)であるが。今度Dr.上野とお寿司を食べに行こうと約束しているが、僕はアナゴとかタコ、エビ、たまご、太巻きといった、火や熱をとおしたものだけ。もしシャリが口に合わなかったら(うるち米は口の中で水になってしまうような感覚)と思うと、ちょっとこわい気もする。
(11月24日、加藤望)
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書記:河野
一生お寿司(刺身・生魚)が食べられないと聞いて、加藤先生はかなりショックを受けていたようですが、以前同じベイラーで肝移植を受けた日本人の方が、「大丈夫だよ、僕は食べてるよ。日本人はアメリカ人と違って食べつけてるからね」と言ったとかで、内心はその機会到来を心待ちにしているようです。まあ、ちゃんとしたところで食べればそういうことなのでしょうが、当面は手を延ばしたら、すかさず「殿、ご乱心を!」と止めようかと思っています。
ところで、アメリカ人も最近は結構お寿司を食べますね。近所のグローサリー(食品店)でもパックのお寿司がおいてあり、平気な顔で2、3パック買っていきます。でもメキシコ系の人が作っているようで、巻寿司にはなぜか皆アボカドが…。
■2002/11/30 (土) 第四話:栄養学セミナー始まる 11月19日(火)午後1時から2時、栄養学セミナーがロバーツ病院*17階で始まった。これから4階にわたって(毎週火曜日)講義と実践がある。肝移植患者の40%が、一年後には太りすぎで、他の成人病の危険にさらされているという。ステロイドの副作用で食欲が増すのだが、移植前は食べられなかったのに、移植後食べられるようになって、ついつい喜びすぎて食べ過ぎ〜ということらしい。基本的には低脂肪、減塩、低糖ダイエットだ。僕自身も今、ステロイドの副作用による高血圧のため、インシュリンの注射を余儀なくされている。毎朝、食事前に8ユニットの注射を自分でする。そして1日4回、食事前と寝る前、血糖値を計る。糖尿病の家系ではないので大丈夫と思うが、気をつけねば…。血圧をおさえる薬を飲んでいる。全てステロイドの副作用だ。でも、これぬきには拒絶反応を押さえることができないのだ。これ以上副作用が強く出ないように祈るのみ。
ところで、1回目のセミナーでも「寿司」「生魚」は絶対ダメよ、と栄養士が僕にウインクしながら話すではないか。僕も、「寿司、特に生の刺身はダメですよね」と合鎚を打つ。「日本人にとって寿司がダメと言うのは、アメリカ人にとってハンバーガーがダメと言うのと同じなのよ」と栄養士の彼女がのたもう。皆ざわめく。(そんなー、大げさだヨ。寿司はハンバーガーみたいに誰でもいつでも食べれるものじゃないヨ)と言いたかったが、角が立つのでやめとく。でも日本食の寿司がここまで皆の関心の的になっているのは、喜ばしいことだ。ここダラス近郊にも、何軒かお寿司屋さんがある。塩分さえ気を付ければ日本食は最もヘルシーなダイエット、との栄養士の言葉に一同うなづく。僕もうなづきながら、日本人としてのほこりがふつふつとわいてきた。きっとその時、鼻の穴がふくらんでいたのではないかな。
(11月24日、加藤望)
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書記:河野
*ベイラー大学病院は、正式名称をベイラー大学メディカルセンターといい、その中に各種専門分野のホスピタルがあります。それぞれ寄付した方の名前等が付いていますが、ロバーツ病院は17階建てのビルで、階ごとに違う科が入っています。ちなみにICUはその4階、移植外科は14階です。
■2002/11/28 (木) 第三話:免疫抑制剤プログラフ プログラフとステロイド剤を併用し始めて2週間以上たつ。それまではネオラールとステロイド剤だったが、3回拒絶反応が出たので、この間の入院以来プログラフ(茨城県は筑波の産!)に切り替えて順調だ。日本製の免疫抑制剤で、しかも我が出生地産とくれば利かないわけがない、とひとりでガテンしている。11/15(金)の外来で先回の血液検査の結果を聞くと、ほとんど全て正常値に近いか、正常値だ(GOT/GPT:13/49、ビリルビン:0.6、ガンマGT:57等)。体も楽な感じで、多分相性がいいのだろう。
当初1日2回(8:00AMと8:00PM)、8mgずつ取っていたが、血中濃度が濃すぎたため5mgずつにへり、今現在は3mgずつになっている。同時に一緒に飲んでいたラパミューンという免疫抑制剤も取らないようになった。医師団もこうして、個人個人に薬の量を微調整しながら対処していくので、大変だろうと思うが、患者としてはありがたい。こういった細かい指示は、クリニックの日(火・金)の午後3:00から6:00にコーディネーターからTELで連絡がある。
11月24日、加藤望
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書記:河野
11月24日に受け取った原稿は、全部で6項目ありますので、あと三話残っています。何が出るか予告はしませんのでお楽しみに。
ところで、原稿は手書きですが、小さな字で几帳面に書いてあります。移植手術後、ステロイド剤の影響から右手が震え、しばらく字が書けなかったこと、また書きはじめても最初はとてつもなく大きな(みみずのような?)字だったことを思い出しながら、回復を実感しています。
■2002/11/27 (水) 第二話:精神科医Dr.Brennanに会う 11月15日(金)クリニック(外来)の日。今回は、移植外科の診療時に精神科医のDr.ブレナンに会う日だ。会ってみると、気さくでコメディアンみたいな先生だ。こっちもつられてぺらぺらしゃべる。ステロイドの副作用で頭がキンキンに冴えて、夜はよく眠れないことを訴えると、リラックスできるような導眠剤のような安定剤のような薬をくれるという。「2種類あるから、とにかくためしてみたら?」というわけで、サンプル用の薬をただでくれた。「とにかく頭が冴えて回転が早いので、書きかけになっていたPh.D.論文も仕上げられそうです」と言うと、「それはいい。副作用を逆手に取って、積極的生産的に利用することは、精神的にすごくいいことだ。でも体の限界もあるからね。夜は眠るにこしたことはないよ」とはげまし、助言をくれた。もっと根ほり葉ほり自分のことを聞かれるのかと思っていたが、「君の場合はステロイドの副作用だから、薬で対処していかねばね。カウンセリング等はあまり必要ないよ」というわけ。でも、新しい薬のおかげで、ここ一週間よく眠れる。以前は夜長くても3時間〜4時間しか眠れなかったが、6〜7時間眠れるようになった。まだ2回ほどトイレに起きるが…。朝まで一回も目覚めることなく、くっすりと眠れたらどんなにいいか。
11月24日、加藤望
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書記:河野
2週間ほどの間、加藤先生から一度も電話がなく、静かでした。以前はほどんど毎日でしたので、何となく奇妙な静けさでした。久美子先生から、新しい薬の関係で昼間も眠くなるみたいだと聞き、こちらからも電話せず、ゆっくり休んでいただきました。24日(日曜)に久しぶりで電話があり、元気そうな声に安心。あくる月曜には、大学の図書館(と本屋さん)へ。歩いたり階段を昇り降りしたりで、良いリハビリになったようです。順調に回復中です。
■2002/11/26 (火) 第一話:キモセラピー(その2) さて、その副作用であるが、同じ治療を受けている肝移植患者仲間のあいだでは、3〜4回目(週1回なので、3週目から4週目)あたりに体にボディーブローのようにこたえて来て、ガックリ疲れが出たような症状になる、というのがもっぱらのうわさである。僕の場合、手足の指の関節痛、排尿時の違和感、のどの痛みといったあまり一般的でない副作用が、1回目直後から出た。膀胱炎にでもなったか、と心配になって、移植御患者コーディネーターに11/13の明け方(!)に電話したところ、朝一番で尿検査をするように云われた。午後に彼女から電話があり、検査の結果は異常なし。ところが、今度の外来の時に精神科医と会えるようにすると言うではないか。思わず「エッ精神科?!」と叫んでしまった。「だって、あなたは夜よく眠れてないみたいだし、体調も必ずしもいいとは言えないわ。ステロイドの副作用が強いと思うけど、とにかく気楽に会ってみたら」と言われて「O.K.」と承諾。明け方に電話(しかも緊急でないのに)してしまったから、よけいおかしいと思われたのかもノ。だけど、コーディネーター氏もキモセラピーの副作用で排尿時の違和感があるということには気づかなかったようだ(後でわかったことだが)。
今は3回目が終わったところだが、今週はちょっと身体が疲れぎみで眠たい。キモセラピーのせいか、新しく処方された導眠剤のせいか。
●11月24日、加藤望
(書記:河野)
■2002/11/26 (火) 第一話:キモセラピー(その1) 皆さんすっかりご無沙汰して申し訳ありません。ここ2週間ほどの間にあったことを、かいつまんで記したいと思います。
キモセラピー:
11月5日(火)からキモセラピーが始まった。アドレアマイジンという薬を腕の静脈から約10ml注射する化学療法だ。これを週1回20週続ける。10mlはごく微量なので、毛が抜けたり、貧血になったりという副作用はほとんどないそうだ。どうして抗ガン剤治療のキモセラピーを受けねばならないかというと、こういうことである。古い肝臓にあったガンは、CT検査では20mmの大きさと見られていたが、実際には30mmであったこと、血管を巻き込んでいない「おりこうさんな」(ガン専門医のDr.Orrによる)ガンだったが、万が一ガン細胞が肝臓外に血流をとおして流れ出たかもしれないこと等の理由だ。Dr.オアーは「やったからガンは絶対に再発しないとは言えないし、やらなかったからガンが再発した、ということは起こらないかもしれない。要するにどっちとも言えないが、予防的処置としてキモセラピーをやっといた方が良いと思うが、どうか?」ということらしい。なにかはっきりしない言い方だが、肝細胞ガンについてのデータはあまりないということで、こういうふうにしか言えないと、Dr.オアーは弁明していた。あとは患者の判断にまかせるというわけだ。僕としても予防的処置としてやっておけば、やらなくて後悔するより良いか、と思って承諾した次第である。
■2002/11/23 (土) 薬を変えてみて ベイラー大学メディカルセンターの医師、上野先生のホームページ、ダラス通信に加藤望牧師について以下のようなコメントがありましたので転載します。
加藤望氏報告
今日は外来です。プログラフに変えてからの肝機能の調子はよいようです。来週からは週に一日の外来です。
以上のように、免疫抑制剤を変えて以後、調子はよさそうです。
■2002/11/18 (月) 免疫抑制剤について ダラスのベイラー大学メディカルセンターの医師、上野先生が、ご自身のホームページ「ダラス通信」で免疫抑制剤について説明してくださっていますので転載します。
免疫抑制剤−はじめに−
前回お話したように、移植を受けた患者さんではそのあとにいかに拒絶反応を防ぐかということが重要になってきます。そのための薬が免疫抑制剤です。
現在主に使われているのは主力がネオラール(サイクロスポリン)、プログラフ(タクロリムス)という薬と、それに加えてセルセプト、ラパミューン、ステロイドを併用して内服するのが一般的です。
主に使うネオラールとプログラフは拒絶反応を引き起こすTリンパ球を抑える働きがあります。感染症や腎機能障害や手の振るえ、などの副作用がありますが、頻繁に血液の濃度を測って副作用が少なく拒絶反応をおさえる濃度に調整していきます。抑える量に調整していきます。また、術後経過するにつれて、血中濃度を下げていく(薬の量を減らすので)こういった副作用もだんだん少なくなってきます。
このうちでもプログラフは、サイクロスポロスポリンより効果がある免疫抑制剤として、つくばの土の中から見つかった菌(S. tsukubaensisとちゃんとつくばという名前が付いています。)から取られた薬で、日本の藤沢製薬が開発しました。日本製の薬でこれだけ使われている薬もなかなかないでしょう。
次回は免疫抑制剤-ステロイド-についてです。
一応目次としては
免疫抑制剤−その他−
急性拒絶の治療−リサイクリング−
移植後の感染症
肝炎に対する移植
・・・と続けていく予定なので、加藤氏関係者でリクエストがあればお教えください。
■2002/11/16 (土) 加藤先生、経過良好:がんばれ、上野先生 上野医師のホームページからの転載です。
加藤望氏報告(術後48日目)
今日外来にいらしていましたが、経過良好です。すいませんが移植の連載は一段落するまでお休みさせてください。
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上野先生は、ベイラー大学病院のフェローとして、毎日目の回るような忙しさです。ホームページを読んでいると、その大変さが滲み出てくるようで、体は大丈夫かな、と心配になることもしばしばです。何もできませんが、健康が守られるようお祈りしています。
加藤先生は、再入院前には外来が火曜のみの週一回に減っていたのですが、再入院後、また火曜金曜の週二回になりました。血液検査等を通して、薬の量も最適な量に調整がなされるようです。アフターケアーが行き届いているのが、ベイラーの良いところでしょう。現在はステロイドの影響で血圧が高くなるため、血圧を下げる薬も飲んでいるそうです。そのせいか、今は多少ぼーっとしているということです。とにかく、経過は良好。嬉しいことです。
報告者:河野
■2002/11/12 (火) 加藤望牧師、無事退院 お祈り頂いておりました加藤望牧師は、ダラス時間の11月11日(月曜日)に無事退院いたしました。ステロイド剤と新しい免疫抑制剤の組み合わせによる治療の結果、急性拒絶が治まったことがバイオプシーによって確認されました。皆様のお祈りに心から感謝申し上げます。
報告者:河野
■2002/11/11 (月) 「肝移植を受けて」〜ベイラーより〜(加藤望)つづき 「次回は、、、」と書きましたが、乗りかかった船。間髪いれずに、続きをお届けします。
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2.免疫抑制剤
今日は11月10日(日)の朝で、ステロイド・サイクルも順調だ。免疫抑制剤もネオラールからプログラフ(日本製!)に変わり、経過は良好だそうだ。プログラフは、日本の藤沢製薬が開発した薬だそうだ。ネオラール(サイクロスポリン)が、約30年ほど前、スウェーデンの森の中の土から採取された地衣類(動物でも植物でもない中間種?岩の表面、木の枝や幹、動物の毛や皮に寄生する)から発見されたように、プログラフも、茨城県筑波学園都市近くの森か山(筑波山?)の土の中から採取された地衣類の中から、サイクロスポリンと同様の免疫抑制効果が発見され、製造されたという。しかも腎毒性が少なく、カプセルも小さくにおいもない(ネオラールはくさいしースカンクのようー大きいしー潜水艦か魚雷のイメージ)ので、患者にとってはありがたい。しかも、僕は茨城県行方郡北浦村字繁昌(北浦近くと大洗海岸にも近い)の母の実家で産声を上げたので、茨木産地衣類からつくられたプログラフには、何か一種の運命的出会いを感じてしまうのだ(キリスト教では、天の配剤とでも云うべきかな)。
■2002/11/11 (月) 「肝移植を受けて」〜ベイラーにて〜(加藤望) 入院中の加藤望牧師より、闘病日記の原稿をお預かりしましたので、皆さんにお届けします。分量の関係で、今回は前半の「1.急性拒絶」のみとなりますが、ご了承下さい。次回は「2.免疫抑制剤」をお届けします。
1.急性拒絶:リジェクション(11月7日から入院)
今回で三度目のリジェクションだ。正直言って落ち込んだ。ここ2週間ほど、あのOKTー3で二度目の拒絶反応がおさまってから、「まさか、もう出るまい」と思っていた矢先だったので、なおさらだった。
ところで、不思議なように、今回もリジェクションかどうか調べるバイオプシー(肝生検)の時、同室だった60代後半の男性が(外来で病室で肝生検や点滴をするとき、二人部屋の場合が多い)、「ワシは13年前に肝臓移植手術を受けたが、3回もリジェクションがあった。しかももっと長いスパン、数カ月とかな。最初の1〜2年は大変だったぞ」と励ましてくれた。彼の奥さんも、「本当ねー。苦労したワ。でも、新しい命が根づくための必要なプロセスってわけよ。あなたはまだ若いし、大丈夫よ」と、明るく笑いながら話してくれるではないか。まさに僕と家内にとって天使のよう、タイムリーな神の使いのようなご夫婦だった。今回は、ご主人がゲリが半年以上続いて(断続的に)、ベイラーの外来に来られたという。ここベイラーは、移植患者全員のアフターケアーを細部にわたってしてくれる、全米一、否世界一の移植センターではないか!これは、僕の意見ではなく、このご夫婦の、そして会う患者さんやその家族の皆さんの思いなのだ。
■2002/11/08 (金) 加藤牧師の治療:急性拒絶反応 ベイラー大学病院の上野医師のページから、加藤牧師に関する11月7日付の最新情報および治療に関する情報を転載します。
加藤望氏報告(術後40日目)
今日からまた急性拒絶反応の治療のリサイクルのために入院です。また、月曜日に肝生検を行って、結果がよければ退院ということになります。
急性拒絶反応(リジェクション)
移植された臓器は本来自分の臓器ではないので、正常の免疫反応によって体から排除しようとします。その主な働きはリンパ球と呼ばれる血球によって行われています。放って置くとリンパ球が移植された肝臓を攻撃してしまいます。これが急性拒絶反応と呼ばれるものです。急性拒絶反応が起こると肝機能の結果が悪くなって、そのままにしておくと、発熱、腹痛、黄疸などの症状がでて、最後には肝臓を失うことになります。もちろん移植後の患者さんはそうなる前に、肝生検で拒絶を初期の段階で発見するようにします。
拒絶反応を抑えるための薬が免疫抑制剤です。サイクロスポリンという免疫抑制剤が開発されて以降、安全に肝移植が行われるようになりました。
しかし、リンパ球は、もともと正常な免疫システムですから、たとえばウイルスに感染した細胞を破壊するような役目も担っています。ですから、あまり強く免疫抑制剤を使っていると、感染症にかかりやすくなったり、また、腎毒性などの副作用を免疫抑制剤自身が持っているので、その副作用が強く出たりします。
移植後の患者さんのうち半分以上の患者さんが急性拒絶反応を経験します。現在の移植外科では、科学的にどの患者さんにどの程度の免疫抑制剤が適しているのかわからないので、いくつかの薬を試してみるということになります。
加藤氏の場合もネオラールで拒絶反応がなかなか抑えられないので、プログラフという薬に代えることになります。
次回は免疫抑制剤について
■2002/11/07 (木) 加藤牧師、再入院:上野医師の報告 ベイラー大学病院の上野医師のページより、加藤牧師の経過の最新情報を転載します。
加藤望氏報告(術後39日目)
昨日の肝機能の結果が上がっていたので、今日は肝生検です。残念ながら、結果は急性拒絶でした。また、明日から一週間ほど入院してステロイドによる治療です。拒絶反応が続いているため、主力の免疫抑制剤をネオラールカらプログラフに変更する予定です。
■2002/11/07 (木) 再度入院 ダラス時間11月6日の上野医師の報告にもありますが、加藤先生は7日木曜日午後より、再度の入院となります。急性拒絶反応ということです。つい先日、金曜の半日入院が終了したと喜んでいただけにショックです。今回は、前回の拒絶とは別の数値が上がったとのことです。ただし、今回も自覚症状がでるはるか以前に、血液検査とバイオプシーによって拒絶反応の始まりを確認できたため、本人はいたって元気です。7日(木)午後から5日間の予定で、ステロイド剤の点滴による投与が行なわれるそうです。1回15分ほどの投与を1日4回から始め、回数を減らしていき、最終的にバイオプシーで確認をして大丈夫なら退院、という予定だそうです。どうぞ、お祈り下さい。
報告者:河野
■2002/11/03 (日) ファイヤー・アントでお引っ越し 二つほど報告します。
(1)加藤家は11月1日に急きょ隣の棟のアパートに引っ越しました。はじめにいたアパートは、一室(ジョーイ君のお部屋)が雨の度に滝のような雨漏りで、調べてもらったら窓枠や壁がシロアリならぬファイヤー・アントに食い荒らされていたそうです(決してプロレス好きのおばさんではありませんー「ファイヤー!」ーそれがウヨウヨいても困りものですが)。このアリは、噛まれると火が着いたように痛いことから「ファイヤー・アント」と呼ばれる恐るべきアリですが、その他電気系統の配線も一部食い荒らされていたようです。そんなわけでアパートのレンタルオフィスにクレームを付けると、費用持ちで急きょお引っ越しとなりました。当日は小雨の降る肌寒い日でしたが、ほんの数時間で無事終了。加藤先生は金曜なので点滴のため半日入院で、ちょうど引っ越し終了のころに帰宅し、子供たちも学校から帰って来て、さっそくお部屋のセットアップです。
(2)加藤先生の方ですが、B型肝炎ウィルスを抑える薬の点滴は一応はこれで一区切りついたようです。血液検査の結果問題がなければ、当面は終了ということになります。あとは火曜の外来のみですが、今度からは20週のキモセラピーが始まります。お祈り下さい。
(報告者:河野)
■2002/10/31 (木) 肝機能良好 ベイラー大学メディカルセンターに留学中の医師、上野豪久先生のホームページ「ダラス通信」にアップされた、加藤望牧師の近況を転載します。
加藤望氏報告(術後31日目)
今日は外来にいらしていました。肝機能の結果も問題なく経過良好です。
以上
■2002/10/29 (火) おさわがせの1日入院 上野医師の報告にありました入院ですが、加藤先生から状況を聞きましたので、ちょっと説明します。B型肝炎ウィルスを抑える薬は、金曜に点滴することになっているのですが、朝から始めて午後には終了のところを、加藤先生はうっかりして最初に違う所に行ってしまい、間に合わず午後から夜までの点滴となってしまったそうです。予定では朝・昼2食付きだったのが、結局3食付きの一日入院で、夜に帰宅となったようです。ステロイドの影響でハイになっているためか、病棟でもジョークがとまらず、コメディアンのような状態だそうです。他の移植患者も皆同じ調子だそうで、看護婦さんもお医者さんも大変だったりして、、、。おさわがせの1日入院でした。
(報告:河野)
■2002/10/26 (土) γグロブリン ダラス大学メディカルセンターの医師、上野豪久先生のホームページ「ダラス通信」に更新された加藤望牧師の情報ですので、転載します。
加藤望氏報告(術後27日目)
B型肝炎の再発予防のためのγグロブリンの点滴のための入院です。最初のうちはある程度頻回にγグロブリンの点滴をする必要があります。
■2002/10/24 (木) 外来1日目、経過は良好 ベイラー大学メディカルセンターの医師、上野豪久先生のホームページ「ダラス通信」が更新されましたので、転載いたします。
加藤望氏報告(術後24日目)
今日は外来の一日目です。今のところ術後経過は良好です。術後2ヶ月目まではこうして週2回の外来に来ていただきます。
■2002/10/22 (火) ステロイド影響で手の震え ダラスの河野克也牧師からのメールです。河野克也牧師は、10月19日付けの闘病日記を、ダラスから直接書き込んでくださいました。これからも、ちょくちょく、直接闘病日記を書いてくださるだろうと思います。
今回は、写真をおくってくださったこともあり、それに添えられていた内容を掲載させていただきました。それでは、河野克也牧師のレポートです。
闘病日記をこちらで更新しました。上野先生のことを少し紹介しようと思い、エ
ピソードを入れました。
とりあえず無事に更新できたので、これからも必要に応じてしようと思います。
ただ、更新した私の名前を書き忘れてしまいました。ところで、加藤先生はステロイド剤の副作用が思ったより強く、手が震えたり考えがまとまらなかったりで、ご自分で更新するのはもうしばらく先になりそうです。
お電話でも話したのですが、何よりもOKTー3が効いて拒絶反応が収まったこ
とが感謝で、皆さんのお祈りとサポートにお礼を言いたい、ということでした。あとは、ステロイド剤の副作用が強く出ないよう、またその量も早く減らせるよう、お祈り下さい。
18日は、バイオプシーのほか、傷跡にあった43本のステープルの除去も行な
われ、さらにはバイオプシーの結果拒絶反応が収まったことが判明して、首に指していた点滴/投薬用のチューブも外れました。バイオプシーとステープル除去までは私もいましたので、そのときの写真と看護婦さんの写真など、ちょっと重くなりますがお送りします。(写真はGalleyの方に掲載します。)
■2002/10/19 (土) うれしいお知らせ 上野医師の報告にもありましたが、加藤牧師の拒絶反応が無事収まり、強力な薬OKTー3の投与が終了しました。皆様のお祈りと御支援に心から感謝いたします。
今後は通常の免疫抑制剤とステロイド剤を組み合わせて取ることになりますが、OKTー3の投与が終わったことで、夜からはステロイド剤の量が倍増。その副作用が強く出ないよう、お祈り下さい。
さて、ダラス時間の18日(金曜)午前9時頃(日本時間午後11時頃)ベイラー病院にてバイオプシー(生肝検)が行なわれました。その担当医は「マジック・ハンド」を持つとして、移植患者から絶大な支持を得ている上野医師でした。この検査は、肝臓に直接注射針を刺して組織のサンプルを取り出し、肝臓の状態を検査するというものですが、他の医師がすると痛いのが、上野先生の手に掛かると全く痛くなく、出血も最低限ですむそうです。加藤先生も前回は別の医師が担当だったようで、今回は喜んでいました(私は幸運にもこの「マジック・ハンド」を、間近で見学する機会に恵まれました)。麻酔注射のときもバイオプシーの針を刺すときも、ひとつひとつ丁寧に説明しておられたのが印象的でした。医師と患者のコミュニケーションと信頼関係が鍵のようです。
加藤先生は入院中、上野先生との会話をとても楽しんでいました。いろいろ楽しくおしゃべりをしていたようです。私は、ちょうどステロイド剤の影響で血糖値が上がり、多少の食事制限があった頃に居合わせたのですが、昼食でおかわりをした後で、午後の血糖値検査でてきめんに数値が上昇。検査をした看護婦さんも上野先生も私も、思わず「いけませんねー。」ひとしきりその話題で盛り上がりました。以前に報告した「おかわり禁止令」は、このときの楽しいエピソードでした。今後は週2回の通院になりますので、病院で上野先生とお会いする回数も減ってしまうのが残念なところです。
河野克也@ダラス
■2002/10/19 (土) OKT-3の投与終了 ベイラー大学メディカルセンターに留学中の医師、上野豪久先生のホームページ「ダラス通信」が更新されました。退院時?退院後?の加藤望牧師の写真も掲載されていましたので、それは、Galleyの方に転載いたします。
上野豪久先生のホームページから
加藤望氏報告(術後20日目)
OKT-3の10日間の投与が終わり、肝生検を行ったところ、結果は晴れて拒絶が治癒していました。これであとは週二回の外来のみとなります
■2002/10/15 (火) チキン・ファヒタと塩辛いピザ ダラスの上野豪久先生のホームページが更新され、術後、14日、15日のコメントがアップされていましたので、転載します。また河野克也牧師が、退院後の様子を知らせてくださったので、これも続けて掲載します。
上野豪久先生のホームページ「ダラス通信」より
加藤望氏報告(術後14日目)
一応発熱などの副作用も落ち着いてきたようなので、今日で退院ということになりました。長い間お疲れ様でした。しばらくは通院にてOKT-3の点滴ということになります。
加藤望氏報告(術後15日目)
今日は朝病棟でOKT-3の点滴をする予定です。私は、ずっと手術室にいたのでお会いすることが出来ませんでした.
河野克也牧師より
加藤先生は順調に回復中です。日曜日午後には電話でお話し、その後加藤家で退
院祝いの夕食を楽しみました。加藤先生には待望のチキン・ファヒタ(メキシコ料理)とピザでしたが、ピザは多少塩辛く感じたものの、ファヒタはおいしいと言って一人分完食。食後はすっかり話し込んでしまいました。月曜は病院でOKTー3を点滴で投与。あと3日です。その後の予定は10月中は毎週火曜と金曜に通院し、B型肝炎ウィルスを押さえる薬の点滴投与を受けます。その後は月1回の通院になるようです。
■2002/10/14 (月) 退院しました。 ダラスの河野克也牧師より加藤望牧師の退院のご連絡を戴きましたので、アップします。
こちらの12日(土曜日)夜、加藤先生が退院しました。
私は午後5時過ぎに電話でお話したのですが、昨夜は発熱はあったものの(華氏
100度=摂氏38度ほど)悪寒はなく、数値もいろいろ下がっているようで、午後4時から8時まで4時間、点滴にて免疫抑制剤を投与したのち、退院ということでした。5時半ころに加藤先生は最後の病院食(メニューは聞きそびれました)、ご家族は病院のカフェテリアで買って病室で食べて夕食を済ませ、薬の投与が終
わったところでアパートに帰ることになったようです。すでに電話で話した時点
では退院の手続きも完了しており、その後確認はしていませんが、無事退院したことでしょう。明日教会で久美子先生から様子を伺い、夕方にアパートに行ってお会いする予定です。退院祝いの食事会ということで。
現在は血糖値も下がって、特に食事制限はないそうで、加藤先生もようやく待ち
に待った自由な食事にありつけそうです。
退院後、OKTー3の残りの投与の間は毎日、その後は週に2日の通院となります。さらにお祈り下さい。
在主、河野克也
なお、昨日(13日)夜、加藤望牧師ご本人からも退院したお電話をいただきました。少し疲れた感じの声でしたが、これから免疫抑制剤を投与する為の病院にいかれるとのことでした。
■2002/10/12 (土) 手術中の様子。 ベイラーメディカルセンターのドクター、上野豪久先生のホームページには、加藤望牧師手術報告という項目を設けて、加藤望牧師の手術中の様子が、写真いりで書かれています。この闘病日記には、写真は掲載できませんので、本文だけ記載します。上野先生のホームページでは写真を使いながらの説明ですので、文章だけだと分かりにくいかもしれませんがお赦しください。写真を見ながら読みたいという方は、http://www.dallastsushin.com/ のフレーム左側のMUNUの下のほうにある加藤望氏、手術報告をクリックしてご覧下さい。
なお、通常は上野先生のホームページの写真は、Galleyに転載しますが、今回一部の写真は刺激が強い?ものもあり、それは転載しませんでした。ですから、それらの写真は、上野先生のホームページだけで見られることになります。
それでは、本文です。
手術は別の病院でドナーの手術が始まるのと同じくして始まります。ドナーの肝臓が届いてから手術を始める場合もありますが、加藤氏の場合は先に肝臓を取り出してドナーの肝臓を待つことになります。
左の写真は移植の手術を待つ機械たち。右の写真が届いた肝臓を移植に適したようにきれいにするバックテーブルの設備と、肝臓を冷やす氷です。
手術が始まってまず、もともとも肝臓を取り出します。左はもともとの加藤氏の肝臓ですが、表面がでこぼこして肝硬変であることがわかると思います。ちなみに生の肝臓なので、平気な人以外は画像を拡大しないでください。
右の写真は移植の手術が終わりかけて、新しい肝臓が座っているところです。表面がつるつるなのがわかりますか。肝臓の表面に糸がかかっているのは肝生検をしたあとの止血のためです。
左の写真は手術をしている外科医と看護婦さんです。がんがんに音楽がかかっている中で手術をしています。
手術はだいたい5時間ほどで終わりました。特に術中変わったこともなく通常どうり終わりました。
手術を終えると挿管したままICUに運ばれます。患者さんを移動するときにローラーのついたボードを使ってICUベットに移すので簡単です。
ICUについたら、しばらく人工呼吸器で麻酔が覚めるのをまって、夜中のうちに抜管ということになります。
■2002/10/12 (土) 副作用のイメチェン ベイラー大学メディカルセンターの医師、上野先生のホームページ「ダラス通信」に掲載されている、加藤望牧師の状況の報告を転載いたします。私たちは副作用と聞くと、何か悪いイメージで捉えがちですが、なるほどそういうことなのかと教えられました。
上野豪久先生より
加藤望氏報告(術後12日目)
今日はOKT-3の2日目です。昨晩少々発熱が見られたようですが、それ以外はいたって順調です。発熱などの副作用はOKT-3が聞いている証拠ということで、すこし我慢してもらいましょう。相変わらずおなかがすくのが目下のところ一番の主訴です
加藤望氏報告(術後13日目)
今日はOKT-3の3日目です。さらに副作用が強く出ているようです。今晩の調子がよいようなら明日退院ということになるでしょう。今度は予定通り退院となるといいですね
■2002/10/12 (土) 副作用の続報 ダラスの河野克也牧師より、加藤望牧師の免疫抑制剤の副作用についての続報が入ってきました。症状は、昨日よりもは、改善されたようです。詳しくは本文をお読みください
昨日メールしましたが、その後の状況をご連絡します。
昨日午後5時頃から悪寒が始まり、夜にはかなりの高熱が出ましたが、朝には熱
が下がりました。これらは予期していた副作用で、薬が効いているこいうことだそうです。初めの5日間はOKTー3を注射するのですが、正午頃に注射されます。副作用は聞くところによると2日目がいちばんひどいということで、今晩はそれほど高くならないだろうといういことでした。熱が出るのは夜で、日中は特に問題もなく、加藤先生とも電話で普通に会話できました。
日米の熱に対する対応の違いからか、昨夜高熱が出たところで、看護婦さんは、
解熱剤を飲ませた上に、氷枕や熱冷まし用のシートで加藤先生を包み、部屋の冷房もガンガンに効かせて室温を華氏60度(摂氏15.5度)に下げたそうです。加藤先生は、むしろ寒さの方に閉口したとか。足も霜焼け気味だそうです。上野先生も「出るものは出せばいいのに」と、アメリカ式の熱への対応を不思議がっていました。ともかく、熱が下がって一段落つきました。あとは今晩熱がそれほど高くないようなら、予定より一日早く、明日にも退院できるかもしれません。退院後は、病院からアパートがそれほど遠くないこともあり、アパートから通院となります。来週は毎日のように朝7時に病院に入り、のこるOKTー3の投与を受ける予定です。
退院が決まり次第、またメールします。
在主、河野克也
■2002/10/12 (土) 免疫抑制剤投与と副作用について(なんだかつらそう) ダラスの河野克也牧師より、加藤望牧師の免疫抑制剤の投与と副作用に関する報告がありました。副作用はおつらい様子のです。お祈りください。
さて、加藤先生の近況ですが、上野先生のページにもありますように、退院があ
と5日間延びました。
本人に自覚症状が出るほどひどくならないうちに、こうして拒絶反応が確認・発
見できて、早期治療ができるというのは、考えてみればすごいことです。それだけ肝臓にダメージが出る前に拒絶反応を押さえられるわけですから。医療の進歩には本当に驚かされます(もっとも、私の場合は、いちいち驚いているのは自分の医療知識不足が原因でしょう)。
ダラス時間の10月9日水曜日(日本時間より14時間遅れ)から、強力な免疫
抑制剤OKTー3の投与が始まります。10日間の予定で、副作用は発熱、悪寒、全身の痛み、下痢などだそうです。この副作用が初めの5日間位は続くようですが、それが治まったら退院となるようです。ここ数日間が大変なようです。
ちょっとお見舞いも様子を見ながら、ということになるでしょうか。副作用が強
くでないよう、また拒絶反応が早く治まり退院できるようにお祈り下さい。
加藤先生の件ですが、いよいよ強力な免疫抑制剤OKTー3の副作用が本格的に
始まりました。
久美子先生からお電話がありましたが、こちらの時間の9日(水曜日)の段階で
は、副作用はまだ多少の発熱と頭痛のみだったのですが、10日(木曜日)の夜8時頃からかなり高熱が出て来ました。多少波はあるようですが、こちらの11日(金曜日)午前1時半(日本時間の金曜日午後3時半)の時点で、40度ということです。体と頭とを氷(アイスノンのようなもの)
で冷やし、解熱剤・頭痛薬のタイラノールの飲んだようです。もちろん強い免疫抑制剤なので副作用については知らされていますが、
実際に高熱を出している御主人の傍らで、久美子先生も心配だと思います。この
薬は10日間続けなければならないのですが、最初の5日間は強い副作用が出るので入院して注射により投与され、副作用が治まったあとは、通院して点滴による投与に切り替えると聞いています。こちらの9日(水曜日)に開始しましたので、まだ少なくとも3日は副作用に悩まされるのかと思うと、気が遠くなります。どうぞ
副作用が一刻も早く治まるよう、お祈り下さい。
取り急ぎご連絡まで。
■2002/10/12 (土) 上野牧師からのご報告 ベイラー大学メディカルセンターの上野先生のホームページから加藤望牧師の様子を転載します。
加藤望氏報告(術後10日目)
加藤氏はきょう退院予定だったのですが、残念ながら肝生検の結果まだ拒絶反応が残っているということで、追加の治療を行うことになりました。そのため入院期間は5日間ほどさらに延びることになります。
追加の治療はOKT-3という、拒絶反応に関与するリンパ球を不活化する抗体を注射することになります。最初の5日間は発熱などの副作用が予測されるので入院のまま点滴を行いますが、残りの5日間は外来にて点滴を行う予定です。
ただもちろん拒絶反応は症状が出るよりも早い段階で処置を行っているので、加藤氏の見かけはいたって元気ですので御安心ください。
加藤氏の手術の写真については「加藤氏手術報告」(上野牧師のホームページダラス通信 http://www.dallastsushin.com/)のページにて公開しています。
加藤望氏報告(術後11日目)
今日はOKT-3の初日ですが、今のところ副作用は出ていないようです。あと4日間は入院です。
加藤望氏報告(術後12日目)
今日はOKT-3の2日目です。昨晩少々発熱が見られたようですが、それ以外はいたって順調です。発熱などの副作用はOKT-3が聞いている証拠ということで、すこし我慢してもらいましょう。相変わらずおなかがすくのが目下のところ一番の主訴です。
■2002/10/12 (土) あと2kgのダイエット ダラスの河野克也牧師から戴いた加藤望牧師の10月4日(現地時間)の様子です。
こちらの時間の10月4日(金曜日)午後3時過ぎに、加藤先生のお見舞いに
行って来ました。軽い拒絶反応が出て来週の火曜日までは入院生活が続くことになりましたが、加藤先生はお元気そうでした。
ステロイド剤の副作用もそれほどひどくはないようですが、(必要以上に)食
欲が出るそうです。満腹中枢の制御が効きづらくなるということでしょうか。ただ食事に関しては、減塩食と血糖値を下げるという注意事項があり、なかなか大変なようです。体重も現在70キロ程度ですが、手術の関係で筋肉も脂肪も落ちているはずなので、68キロまで落とす必要があると言われています。
お昼御飯はおかわりをしたそうですが、回診後立ち寄って下さった上野医師からは、おかわり禁止令が出されました。血糖値が高いこともあり、かなり頻繁に指先を刺して血糖値を計っています。見ていると痛そうでした。写真は「おかわり禁止令」発令後の夕食です。病院食にしてはおいしいようで、加藤先生は気に入っていました。お腹がすいたら、無塩・無糖加のクラッカーなら食べてもいいそうです。
では、また。
河野克也(かわのかつや
■2002/10/08 (火) 年の数ほど・・・ ダラスのベイラー大学メディカルセンターのドクターである上野先生のホームページにある加藤望牧師の様子が更新されましたので、こちらの方に転載させていただきました。なお写真の方はgalleyの方に転載いたします。
加藤望氏報告(術後9日目)
メルセデス
久しぶりに加藤氏にお会いしましたが経過は順調です。明日、肝生検の結果がよければ退院ということになります。もし、まだ拒絶が残っていることになったら、もうしばらく入院をしていただいて別の薬を点滴してもらうことになります。
加藤氏の傷跡には年齢と同じ34個のステープルがあります。これを打ったときはそこまで考えていなかったんですけどね。
*加藤望牧師の年齢は43ですので、ステープルの数も43個の間違いだろうと思われます。
■2002/10/06 (日) おかわり禁止令 ダラスの河野克也牧師が、加藤望牧師の近況を知らせて下さいましたので、掲載します。加藤望牧師はお元気そうですが、血糖値がやや高く、「おかわり禁止令」なるものが出てとか、詳しくは河野克也牧師のレポートをご覧下さい。
河野克也牧師のレポート
こちらの時間の10月4日(金曜日)午後3時過ぎに、加藤先生のお見舞いに行って来ました。軽い拒絶反応が出て来週の火曜日までは入院生活が続くことになりましたが、加藤先生はお元気そうでした。
ステロイド剤の副作用もそれほどひどくはないようですが、(必要以上に)食欲が出るそうです。
満腹中枢の制御が効きづらくなるということでしょうか。ただ食事に関しては、減塩食と血糖値を下げるという注意事項があり、なかなか大変なようです。体重も現在70キロ程度ですが、手術の関係で筋肉も脂肪も落ちているはずなので、68キロまで落とす必要があると言われています。お昼御飯はおかわりをしたそうですが、回診後立ち寄って下さった上野医師からは、おかわり禁止令が出されました。血糖値が高いこともあり、かなり頻繁に指先を刺して血糖値を計っています。見ていると痛そうでした。
写真は「おかわり禁止令」発令後の夕食です。病院食にしてはおいしいようで
、加藤先生は気に入っていました。お腹がすいたら、無塩・無糖加のクラッカーなら食べてもいいそうです。
では、また。
河野克也(かわのかつや)
5350 Amesbury #204
■2002/10/05 (土) ステロイドの投与始まる。 ベイラー大学メディカルセンターの上野先生もホームページが更新され、加藤望牧師の手術後6日目の状況が出ておりましたので、転載いたします。
加藤望氏報告(術後6日目)
昨日から通称リサイクリングと呼ばれている、拒絶反応の治療であるステロイドの投与が始まっています。とは言っても点滴をするだけなので、加藤氏本人は至って元気な様子です。肝酵素の値も順調に低下しています。術中写真の公開の許可をもらったので近日中に公開致します。
■2002/10/04 (金) 軽い拒絶反応 本日9時過ぎにアメリカの加藤望牧師からお電話を戴きました。お元気そうな声でしたが、軽い拒絶反応が出ているらしく、本日退院予定でしたが、一週間ほど退院が延びるそうです。
退院後は一ヶ月ほど病院内のアパートTwice blessed Houseで、一人で生活するようです。拒絶反応については、ベイラー大学メディカルセンターの上野先生が、「ダラス通信」の方に詳しく書いていてくださっていますので、それを転載します。
ベイラー大学メディカルセンター、上野豪久先生より
加藤望氏報告(術後5日目)
まだしばらくいます
今日はビリルビンと胆管系酵素の値が上がっていたので、肝生検を行いました。肝の保存による障害かと考えていたのですが、生検の結果は「弱い急性拒絶」でした。そのため、退院は来週まで延期となって、ステロイドの点滴をしばらくしていただくことになります。急性拒絶反応は最終的には6割近い患者さんが、かかる正常な免疫反応なのでそんなに心配することはありません。
最終的な退院は10月8日の肝生検の結果を見てからとなります。
■2002/10/03 (木) 検査の結果によっては、明日退院 ダラス、ベーラー大学メディカルセンターの医師、上野豪久先生より、手術後4日目の加藤望牧師の様子が、上野先生のHP「ダラス通信」で伝えられていますので、以下に転載いたします。
加藤望氏報告(術後4日目)
明日は退院です
昨晩、少々熱が出て胸のレントゲンを撮ったところ、右の胸にいくらかの胸水がたまっているようです。肝臓の手術後にはよく見られるものなので、利尿薬をすこし飲んでいただくことにしました。
明日からだのむくみが取れたら、予定どおり退院ということになります。ただ、術後5-7目は拒絶反応が出やすい時期でもあるので、明日の検査結果を見てからということになります
以上にありますように、拒絶反応の心配がありますので、どうぞお祈りください。
■2002/10/02 (水) 便利な壁紙。でももう退院! ベイラー大学の上野医師が、ご本人のホームページ「ダラス通信」(http://www.dallastsushin.com/)で、手術後三日目の加藤望先生の様子をお知らせくださっていますので、転載いたします。
加藤望氏報告(術後3日目)
今日も朝から調子がよく、血液検査も順調に肝機能が回復しています。食事も、普通の食事に上げました。病棟内も何周か歩いてもらえたようです。この様子ですとあさってには退院して、病院の近くのTwice Blessed Placeに移ることができそうです。そのため、コーディネータの人に退院指導をはじめてもらうようにしました。
午後には待望のお通じもありましたので、お腹の具合もよいようです。夕方にはお子さん達もいらっしゃて、楽しめたことと思います。
ちなみに、加藤氏にかかわらず患者さんの経過は、手術の模式図から薬や検査結果などすべて一枚の紙に記しています。私達は壁紙と読んでいるのですが、移植後の経過がすべて記載されているので、外来や、再入院のときでも患者さんの経過がすべて把握できて非常に便利なのです。
■2002/10/01 (火) 「出るものは出すべし、でも踏んじゃダメヨ」 河野克也牧師からの報告です
今日の午後3時半過ぎに訪問した時はちょうど病棟の廊下を2、3周歩いた後でした。手術後2日目にしてリハビリに突入。テンポの早さには驚きです。食事は流動食で、朝はチキンコンソメスープ、昼はクリームスープ、夜もクリームスープ(若草色だったのでアスパラ味か?)に、ジュースとプリンかゼリーが付きます。加藤先生はしばらく減塩の薄味でしたが、このスープはちょっと塩っぱいらしいです。ガスが出れば固形食に移りますが、それ迄は流動食と鼻から入れたチューブで栄養液をとるようです。
上野先生の報告にある「自己(事故)抜去」ですが、これはまだ入れていなければならない(または入れておいた方が良い)チューブを、自分で抜いてしまう事(自己)。加藤先生の場合、トイレに行った時、誤ってチューブをフンズケ、勢いよく抜けてしまったのです(事故)。かなり痛くて、涙も出たそうです。栄養士さんは怒ってましたが、自分で食べられるようになったのでいいだろう、という事で、私達が行った時にはそのままはずしてました。そんなわけで朝食の様子を写したギャラリーの写真ではチューブが写ってますが、5人で写ってる写真では、そのチューブがありません。
さて、夕食後に、加藤先生が何かそわそわしているなと思ったら、「ガスが出た」と一言。待ちに待っていましたので、喜びもひとしお。まあ、おならをして喜ばれるのはこういう時くらいでしょう。「まだ出そう」という事で、退散しました。でもこれで明日からは固形食に移れるでしょう。
こちらの移植医療の誠実さを示すものだと思いますが、病室の壁に、様々な数値を記録する一覧表がはってあります。検査結果をどんどん書き込んでいき、回診の時間には、医師や看護士等のチームがそれをみて経過を評価したり、治療方針、食事や薬の量等を決めるようです。当然家族や見舞に来た友人も、また本人もそれを見て、医師や看護士に質問できます。開かれた医療のあるべき姿を、見るような思いです。また患者と関わるチームも多様な専門家がおり、私たちがいた時も、レスパラトリー・セラピスト(呼吸療法士?)が来て、肩から背中を丁寧にマッサージしていました。加藤先生は手術中呼吸器に繋がれていた為、今の肺活量は1250ほどに落ちています。体力を回復し、リハビリの歩行を続ける中で、徐々に上がっていくのでしょう。
■2002/10/01 (火) 驚きの回復(上野医師レポート) ベイラー大学メディカルセンターの上野医師のホームページ「ダラス通信」に出ている加藤望牧師の術後2日目の様子を転載させていただきました。またダラス通信(http://www.dallastsushin.com/)にありました写真はGaiieyの方に転載してあります。
加藤望氏報告(術後2日目)
今日は朝から加藤氏は調子がよさそうです。お腹も動いているのでマーゲンゾンテをクランプして、流動食を食べていただくことにしました。流動食と言っても日本みたいにおかゆのようなものはないので、ゼリーやジュースです。持続点滴も今日で終わりです。 血液検査の結果も多少貧血が見られることを除けば、肝酵素の値も順調に下がっています。
今日は歩いていただいて、お腹の動きをよくして頂く事にしました。そのためには導尿カテも取ります。なかなかガスは出られないようなので、マーゲンゾンデも抜くのはしばらく待っていたのですが、お昼過ぎには栄養チューブとあわせていわゆるところの自己(事故)抜去をしていただきました。看護婦さんの手を煩わせないための御配慮でしょう。こうなるとしっかり食べていただかないといけません。
午後の回診時にはすっかりすっきりした顔で、椅子に座ることが出来るようになりました。インターナショナルサービスの方も来られて、加藤さんの回復状況には驚いているようです。
■2002/10/01 (火) 一般病棟にお引越し(河野牧師レポート) ダラスの河野克也牧師から現地の日曜午後(日本では月曜の夜)のようずが伝えられてきましたので、掲載します。
加藤先生の状況ですが、日曜の午後3時頃に行ってみたところ、まだICUとのこと。あわてて4階までおりてみると、待ち合い室では、病室から持って来た荷物に囲まれて久美子先生がお昼寝中(まわりは結構そういう人たちでいっぱいでた)。久美子先生の話では、朝の時点で、何か一つ数値が高く(このことは下の上野医師レポート「話も水も」に掲載)、もう一晩ICUということで病室を11時にチェックアウトした、ということでした。
お昼の時点では加藤先生も痛みがあって、鎮痛剤を入れて今も寝ているだろうということで、看護士とだけでも話をして様子を見ようとICUに向かいました。行ってみると加藤先生はお目覚めで、話もできました。看護士(女性)が「痛みは0〜10のスケール(全くなし〜死ぬほど痛い)でどれくらいですか?」と聞くと、「3です」と答えていました。
同じ姿勢が長く、痛みよりはだるさがあるとのことでした。看護士に状況を聞いてみると、状態がいいのでもう14階の病室に移れるということでした。
タイミングよく居合わせたようで、14階の病室に移ったのを確認して、しばらくお話をすることができました。ICUでは、飲み物を飲むことができ、朝(か昼)にはグレープフルーツジュースを2杯飲み、私が訪ねた3時頃にもグレープジュースを1杯飲んだのですが、14階の病室では事情が違うようで、まず透明な液体(水)からはじめ、月曜のお昼にはオートミール、調子がよければ夜には普通の食事、という具合に通常食に移行させるということでし
た。それでまず鼻から胃に通したチューブから水を注ぎ、一旦洗浄ということで、同じチューブから吸引。せっかく飲んだグレープジュースが吸い取られてしまいました。加藤先生も思わず「お腹すいた」。これも回復が順調で、体調がいい証拠です。
それから、一般病棟へ移るのが遅くなった原因の高かった数値は、加藤先生の話
では、肝臓の破壊(ダメージ)の度合いを示す数値で、これがいつまでも高いようだと問題だということです。移植手術ですから、肝臓も多少は組織が傷つくようで、それで一時的に数値が高かったということでしょうか。数値が下がって一件落着です。
また様子を見に行って、アップデートします。
■2002/09/30 (月) 話も水も ベイラー大学メディカルセンターに留学中の上野医師のホームページ、ダラス通信に掲載されました。加藤望牧師の近況を転載します。また同ページにあったICU内での加藤望牧師の写真もギャラリーの方に転載しておきます。
ダラス通信より転載
加藤望氏報告
昨晩中の通常どうり覚醒して、今日の早朝には抜管を済ますことが出来ました ICUにて
。今朝7時の診察時には他の患者さんと同様に回復されており、循環動態も安定していたためSwan-Ganzカテーテル、体外循環バイパス回路を抜去し通常のCV lineに交換しました。朝の採血では肝逸脱酵素が高値だったため、直ちにICUを出ることが出来ませんでしたが、超音波検査の結果肝動静脈、門脈とも異常は認められず、とお昼の採血で酵素が低下したため、午後には入院時の14階の一般病棟に移動いたしました。
すでに普通にお話も出来ますし、お水も飲むこことが出来ます。明日は、病棟内を歩いていただく予定です
■2002/09/29 (日) 移植手術直後の様子。(河野克也牧師から) ダラスの河野克也牧師が、加藤望牧師の移植手術直後の様子について知らせてくださいましたので、掲載します。
今日は嬉しい日でした。
私たちが病院に着いたのがこちらの時間の土曜日の午後2時少し前で、もう手術は始まっていましたので、病室で待機している久美子先生と子供たちと一緒に時間を過ごしました。
手術は7時前に無事終了し、縫合などの段階で執刀した医師が病室まで報告に来
て下さいました。
手術直前に、この先生から「100%とは言わないが、大丈夫です」との力強い
言葉を頂いていたそうですが、本当に実績のある移植チームであることが、こうした言葉の中にも伺えます。7時頃には集中治療室に入り、いろいろ必要な処置がなされた上で、私たちは7時45分くらいに最初の対面となりました(といっても、本人は当然意識がないのですが)。
最初だからということで、久美子先生、ベッキーちゃん、ジョーイくん、私たち夫婦、さらに新垣牧師の6名でベッドを覗き込むような状態でした。その際に、執刀チームの一員の上野先生とお話をすることができました。思ったよりも癒着が少なかく、また肝硬変がひどくはなかったこと等の説明を受けました。大体2〜3時間で意識が戻るということで、10時前に様子を見に行きましたが、その時点ではまだ意識は戻っていませんでした。そのときにいた看護士から、血圧について、またその後のことについて等、説明を聞くことができました。手術中多少血液が失われたと言うことで、血圧(上)を110〜120くらいに上げて、新しい肝臓が働きはじめるようにと、輸血すると言うことでした。その後11時前に集中治療室を訪れたときには意識が戻って、久美子先生が声をかけるとうなずいていました。そのときにいた看護士が、加藤先生に、手術が無事終わり、経過も良好であることや、輸血についてのことなど、逐一話し掛けて説明していたのが印象的でした。加藤先生は全部理解された様子で、一つ一つうなずいていました。もう夜が遅いこともあり、朝までぐっすり休めるように睡眠薬を注入し、久美子先生にも安心して休むように、ということでした。日曜の早朝5時か6時になったら、加藤先生を起こして、自力呼吸に切り替え、チューブ類を外すということでした
。早ければ日曜の午後には病室に戻れるということです。午後に様子を見に行きますので、また夜にでもメールをします。
■2002/09/29 (日) 手術の執刀医の上野先生からのご報告 加藤望牧師の手術を執刀してくださった医師団のひとりの上野豪久先生が、ご自身のホームページのダラス通信に、加藤望牧師の病状等について載せてくださっていますのでそのHPから転載させていただきました。ちなみに、上野先生のダラス通信のURLは、http://www.dallastsushin.com/ です。
9月28日 加藤望氏の移植について
このホームページは医師の守秘義務の観点から患者さんの個人情報は公開していませんでした。ただし、本日肝移植をうけられた加藤望さんは御本人の希望により、しばらくの間現在の状況について、こちらで公表いたします。これは御本人が日本から沢山の方の支援で移植を受けたれているということ、出来る限り日本の方に現在の状況をお知らせしたいということ、また、アメリカでの移植ということを日本に御紹介したいということです。
私をこのことを鑑み加藤望氏の現状について御紹介いたします。また内容に関しては加藤望氏のホームページhttp://www9.ocn.ne.jp/~nkisyoku/にも反映されるようになっています。
7月18日にダラスより当院に肝移植に来られていた加藤望氏は、1週間ほど前から移植の順位が1番でしたが、今日幸いにもドナーの方が現れて1時より当院にて手術を行いました。私も前立ちに入らさせていただきました。私にも朝に加藤さんがPrep.(移植の準備患者)で入院してくるということをコーディネーターから連絡が来ました。午前9時ころに病棟に入院されたので、術前の診察にうかがいました。奥様とお子さんも御一緒にいらっしゃっていました。私も9ヶ月ぶりに日本語で診察することが出来ました。やっぱり日本語はいいですね。手術は午後1時より始まりました。予測されていた癒着はそれほどひどいものではなく、予定通り7時にはICUに入室いたしました。他の移植の患者さんと同じように、まだ麻酔が完全に覚めてはいないので、人工呼吸器につながったままです。予定どうりに行けば今晩中に人工呼吸器が外れて、明日は一般病棟に戻れる予定です
■2002/09/29 (日) 手術成功 ダラスの加藤望牧師の奥様から、本日午前10時過ぎにお電話があり、日本時間の9月29日午前9時過ぎに、加藤望牧師の肝臓移植手術が成功裏のうちに無事終わりましたとの報告がありました。また2時過ぎに、ダラスの河野克也牧師より、ご連絡を戴き、現在手術直後の状態は良いようで、順調に行けば明日には集中治療室から一般病棟に移れるのではないかと言われています。とのご報告も戴きました。
いろいろなことが守られ、順調に進んでいることを感謝しています。同時に、この喜びの背後には、愛する家族を失ったドナーの方の悲しみがあることを覚え、お名前も知らされていませんが、ドナーの方ん家族の方に、天の父なる神様の慰めが豊かに注がれますようお祈りしています。
また、今後の経過については、手術の執刀にあたってくださった医師団のおひとりである、日本から留学中の上野医師のホームページでも、掲載してくださるともことです。当サイトにも転載しようと思っていますが、上野先生のホームページのURLは
http://www.dallastsushin.com/ です。
取り合えず手術成功の第一報としてお知らせいたします。
■2002/09/29 (日) いよいよ手術がはじまります。 ダラスの加藤望牧師より、先ほど電話があり、本日9月29日(日)午前2時(日本時間)より、移植手術を行なうとの連絡が入りました。手術には、日本からベイラー大学メディカルセンターに留学中の上野医師とサンチェス医師等が執刀にあたられるとの事です。
予定では、手術に、5時間から6時間かかるだろうとの事ですが、加藤望牧師の場合、日本でも開腹手術をしており、そのときの術部が癒着していることも考えられ、手術時間は予定の時間より長くなることも、十分に予想されます。
手術後しばらくすれば、話もできるだろうとお医者様はおっしゃっているようですが、どうか、無事に守られ手術が行なわれ、術後の回復も順調に守られますようにますよう、お祈りください。
■2002/09/03 (火) 手術は9月上旬か? 加藤望牧師について、ご家族の方から以下のような、ご連絡がありました。
ベーラーでの手術には変更がないとのことで、現在は4番目の登録になっています。
数日前にも、病院から、もしかすると今日行なわれる手術では、ドナーの方と移植手術を受けられるかたの肝臓のサイズの問題が予測され、そのため手術の順番が回ってくることになるかもしれないということから、待機しておくようにの電話があり、明け方まで緊張しながら待ったそうです。
結果として、その手術は、順番通り、登録者リストの1番目にエントリーされている方が、手術を受け、無地に終わったそうですが、もういつ呼び出されても良いように準備してる状況です。
週に2〜3例、手術が行なわれている状況を考えますと、9月の上旬には手術になるのではという予測が立ちます。
現在の体調は良好で、医師も首を傾げるほど、検査データ−と本人の見た目にギャップがあり、体力が落ちていない状況で手術の日を迎えられることを感謝しています。
とのことでした。ご連絡の通りですと、手術もそう遠くない感じがします。どうぞ覚えてお祈りください。
■2002/08/24 (土) 加藤望師の飲む水は・・・ ダラスの河野克也牧師より8月19日付けで、加藤望牧師のお水の件でご報告を戴いておりましたが、所用ため、掲載が遅れました。つつしんでお詫び申し上げ、下記の加藤望牧師の奥様からのFAXとあわせて掲載いたします。
お水の件ですが、一応の結論が出ましたので、御報告します。
最近こちらで、かなり良い水を発見しました。これはボトルに入って売っているものですが、レイン・フレッシュ(Rain Fresh)というブランドのものです。単なる飲料水ではなく、24段階の過程を経て濾過、調整されたものです。ラベルに書いてある説明を見ると、まず(天然の)水を三層のカーボンフィルターで濾過した上、KDFメディア、マイクロフィルターによる濾過、オゾン処理
(ozonization)、イオン交換処理(ion exchange)、逆浸透処理(reverse
osmosis)、磁気処理(magnetic treatment)、UV処理(ultraviolet)、オゾ
ン格子処理?(ozone lattices)を施した後、最後に医療レベルの酸素を45p
pmまで加えたものだそうです。良く分かりませんが、まあ何しろ良い水のようです。加藤先生自身が飲んで、これが一番お腹にもたれない、と喜んでいますので間違いないでしょう。
それで、この水は1ガロン(約4リットル弱)で2ドルですから、ふつうの市販の水よりも高くなります。この水を飲む必要があるのは加藤先生一人だけですから、1週間3ガロンとして6ドル、1ヶ月で24ドル、一年間では約300ドルかかる計算になります。しかし、ふつうに売っている浄水器だと、せいぜいカーボンフィルターとマイクロフィルターの組み合わせによる濾過のみであり、またかなり大掛かりな浄水器でもフィルターの層が増える程度で、結局水道管に穴を開けて繋ぐような仕組みで賃貸のアパートには適さなかったり、そのような浄水器の値段が300ドルしたりで、一年だけこちらに滞在する加藤先生の事情にはそぐわないという結論になりました。また浄水器を買っても、その浄化された水と、この水(レインフレッシュ)のどちらが良いかは不明です(飲んでみるまで分からない)。それで結局、現在体に合っているこの水を買って、1年間過ごそうということになりました。幸いこの水の製造元が、加藤先生ご一家が引っ越したガーランド市にあり、アパートまで配達してもらえるように手配しようと思います。というわけで、私の方からの報告はここまでです。
■2002/08/24 (土) 手術療針の変更について 加藤望牧師の奥様からファックスで連絡がありました。加藤望牧師の手術方針に変更があり、最終的に手術はベイラー大学メディカルセンターになる模様です。以下、ファックスにある文章を掲載します。
お元気でいらっしゃいますか。いつもお祈りを感謝しています。
先週フォーとワースの新しいオールセインツ病院で移植手術ウェイティングリストトップになった事をお知らせしましたが、昨日(8・22)ダラスのベイラー大学メディカルセンターから連絡が入りました。
オールセインツ病院ではなく、ダラスベイラー大学メディカルセンターで移植します。
主人の場合、日本で2回の手術をしているので、腹腔内に癒着があり、手術(移植)にかなり時間がかかるそうです。
敬虔のあるドクターがそろっているのは、ダラスのベイラー大学メディカルセンターです。手術の安全を最優先にするということで、このような決定が下されたようです。2転3転しましたが、オリジナルプランにもどってしばらく待つことになります。
続けてお祈りくださいますようお願いします。
ダラスより 加藤望(内)
ということで、前回の報告では、移植手術は、もうすぐにもという感じでしたが、少し先にのびるかもしれません。
■2002/08/16 (金) 検査結果の報告の追伸です。合わせてどうぞ 先にお伝えした加藤望牧師からの連絡に添えてあった追伸です。先の報告と合わせてお読みください。
追伸:8月16日(金)には、こちらの日系人教会の新垣先生ご夫妻、河野先生ご夫妻はじめ、教会の方々が手伝って下さって、Twice Blessed House からダラス郊外の町 Garland のアパートに引っ越します。急遽 Fort Worth での移植となったため、Twice Blessed House にも週明けまでいることになるでしょう。ガーランドはダラスから東に約25〜30km、フォートワースはダラスから西に60kmで、ガーランドからフォートワースのオール・セインツ・ホスピタルまでは車で約1時間です。
子供たちは新垣先生のお子さんと同じ中学校に8月19日の初日から通えるようになりました。アパートは新垣先生ご一家の住んでいる同じ所で、3ベッドルームに2つのバストイレ付きです。(牧師ということで家賃を)牧師割引きとして25ドル安くしてもらいました。さすが南部バプテストのクリスチャンが多い地域です。
■2002/08/16 (金) 検査の結果、移植者登録リストに入りました。 加藤望牧師より、検査の結果移植者登録された旨の連絡がありました。詳しくは本文にてご覧下さい。
主の御名を賛美いたします。
皆様のお祈りとあたたかいサポートを心より感謝いたします。
グッドニュースです!8月14日の移植者選考委員会で候補者として受け入れられ、待機者リストに名前が載りました!
リストの順序はというと、ちょっと説明を要します。ベイラー大学メディカルセンターは、ダラスを中心にその隣町フォートワース(60km西)と2ケ所で肝臓移植を行っており、私は両方にリストされることになりました。フォートワースの病院はオール・セインツ病院といい、小さいですがベイラーで10年以上肝臓移植に携わっていたDr.Leveyという先生が派遣されて、ベイラーとほとんど同じ、質の高い移植チームを作り上げているそうです。肝臓内科の先生やコーディネーター、ナースもほとんどがベイラー出身だそうです。そこのリストで、私は血液型O型のトップになっているそうで、明日16日(金)には、ベイラーのインターナショナルオフィスでビーパーをもらうことになっています!24時間いつでも連絡があったらすぐに対応し、6時間以内に入院となります。ベイラーでの順位はO型の5番目か6番目ということで、数カ月待つことになり、肝癌が大きくなったり他に転移したりするリスクを考えると、一刻も早くオール・セインツで、というのが医師団の考えのようです。
移植手術に向けてストップウォッチが動き出した、という心境です。呼び出されるのは2〜3週間後かもしれませんし、今日明日ということもあり得ます。全てを主の御手にゆだねて待ち望む以外に、何も考えられません。
このように、思っていたよりずっと早く道が開かれ、主の導き、天の配剤を感
謝しています。また皆さんの熱き祈りが天に届いているのです。ハレルヤ!
なお続いて、移植に携わる医師団のため、家内と子供たちのため、ドナーにな
られる方の御家族のため、そして手術の成功と術後の回復のため、お祈り下さい。
2002年8月15日
在主、加藤 望
■2002/08/04 (日) ちょっと美味されど薄味 ダラスの河野克也牧師が、加藤望牧師の近況にをお知らせくださいましたので掲載します。ダラスの気候は、加藤望牧師に優しいようです。
加藤先生ですが、金曜日(8/2)は私たち夫婦を誘って下さり、ベイラー病院のカフェテリアにお昼を食べに行きました。きれいなカフェテリアで、また病院とは思えないような充実したメニューにびっくりしました。さすがに塩分をしっかり押さえてあり、薄味ですが、おいしかったです。
それで、加藤先生の体調ですが、ここダラスは気温はかなり高いものの、今年は例年よりはちょっと涼し目なのと、やはり日本にくらべると湿度が低いこともあってて、体への負担はそれほど大きくないようです。精密検査も無事終了し、腫瘍腫瘍もまだ20ミリで成長しておらず、特に急いで処置をしなくてもよいだろうということになり、体調は良いようです。
毎週水曜日には移植チームのミーティングがあり、移植外科の医師、ガン専門医、心臓医、肝臓医、看護婦、ソーシャルワーカー、栄養士など、総勢20〜30人が集まって患者の治療などについて話し合いを持つそうですが、加藤先生については、先週の検査結果をもとに(既に30頁にも及ぶ資料が出来ているそうです)来週の水曜日のミーティングで話し合われるようです。それで、早ければ来週水曜か木曜にも、移植候補者のリストに登録されるかどうかが決定されることになります。その時点で決定されない場合は、翌週の水曜のミーティングに持ち越されるそうです。どうぞ、来週水曜のミーティングで移植候補者リストに登録されるよう、お祈り下さい。
では、また。
在主、河野克也
■2002/08/01 (木) 腫瘍いまだ成長せず。 ダラスの河野克也先生から入った腫瘍の処置に関する件での近況を以下のとおりお知らせします。
先日お伝えした腫瘍の処置ですが、水曜日(31日)の癌専門医の診断の際、その必要はないだろう、ということのようです。日本で確認されていた大きさが20ミリで、今回の検査結果でも20ミリのまま(14ミリの小さい方は、腫瘍ではないことが判明)でしたので、いずれ移植するのだから、なにも今、特に急いで処置することもない、という見解のようです。最初にこの処置が提案されたのが先週の金曜で、移植外科の先生によるものでしたから、一応、加藤先生がもう一度その先生に連絡をとって確認をするようですが、いまのところ処置する予定は入っていないようです
■2002/07/30 (火) さすがにお疲れ ダラスの河野克也牧師から送られてきた加藤望牧師の近況です。一週間の検査はどうやら終わったようです。
近況報告のアップデートです(今回は私の方が教会のビジネスミーティングの準備などで忙しくなり、ちょっと遅くなってしまいました)。
加藤先生は、金曜(26日)に、心臓の様子を見るためのMUGAという検査を受けました。これは、血管から造影在(のようなもの)を流して、放射線(のようなもの)で照らすことで、血管が(光るようにして)写し出されて見えるというものだそうです。体も光る、といううわさも出ましたが、さすがにそれはなかったようです。
さて、金曜の午後には移植外科の医師の診断があり、先日の検査で一つだけであることが確認された腫瘍に関して対処のついて、医師の方の所見などを伺ったようです。
さすがに一週間の精密検査はきつかったようで、28日の日曜日は加藤先生の体調がすぐれず、一日お休みしていました。今週は水曜日(31日)の午後にオンコロジスト(腫瘍学者/腫瘍専門医)の診察を受け今後の治療の方針が決まります。
■2002/07/30 (火) 加藤望牧師の奥様からの手紙です。 主の御名をあがめます。
皆様、お祈りとご支援ありがとうございます。
多くの励ましと祈りに押し出されて、18日無事にダラスに着きました。
河野先生御夫妻に、私たち家族はどれだけ助けられていることでしょう。ただただ感謝します。ベイラー大学病院にて諸手続きを終えて後、私たちは少し離れた所、移植者専用アパートに案内されました。
病院もアパートも、スタッフも皆、陽気です。時差ボケの私たちを歓迎してくれているかのように、この晩、移植した人たちと共に夕食会がありました。始めて会う人々。でも前から知っていたかのようです。あいている席にすわって、目の前にいる2人の婦人にあいさつ。肝臓移植して2ヶ月経過の方々でした。こんなに元気になるの?これから移植を受ける主人と、このふたりの婦人の出合い。もっと驚いたことは、お互いどこから来たのかという話になった時。カリフォルニアから来たことを云うと、その婦人リタさんは、ジョーイとレベッカの生まれた町のことを知っており、ビッグベアに住んでいるのよ、と言うではありませんか。私たちが住んでいたレイクアローヘッドのとなりの山のことです。これで皆さん、私たちがどれだけはしゃいだかおわかりいただけますね。
リタさんは天を指し言いました。「なんて世界はせまいんでしょうね。でも私たちの天のお父さまは、すべてご存知なのよね!」病める者と、その家族でなければ受けることのできない癒しが、ここに住む人たちの全ての会話にあるということに気がつきました。
日曜日は河野先生ご夫婦が奉仕しておられる、第一バプテスト教会へ。ダラスのダウンタウンの真中にある大きな建物です。日語部の新垣先生ご一家をはじめ、皆さんとのお交わりの中で、ベッキーもジョーイも、仲良しの友だちができたようです。
7月22〜26日一週間の検査も、無事守られ、終える事ができました。まずこの検査に間に合うようにと、必死になって、皆様が、祈り、支援下さった事を、心より御礼申し上げます。検査の間をぬって、夫婦で一緒に移植に向けてのオリエンテーション、栄養士からの説明等を受けたりしました。後日にテストされるので勉強中。
主が進むべき道を備え、導いて下さったことを心から感謝し、多くの労とご支援して下さった方々に感謝します。
暑い中、どうぞ御自愛下さい。
感謝しつつ、ペンを置きます。
加藤久美子
■2002/07/25 (木) 結構スパルタ ダラスの河野克也牧師から加藤望牧師の近況が届きましたので掲載します。
加藤先生の近況報告です。御本人からの原稿がまだですので、ちょっと様子をお知らせします。
ベイラー病院は、ダラスのダウンタウンの北側に位置し、一角(1ブロック)全体を占める中央の建物を、様々な専門病院(病棟)が取り囲むようにして、全体で4〜5ブロックにもおよぶ大病院です。中央の建物は、実際には5〜6棟の建物が地上一階部分で繋がっているもので、一番高い建物は17階建てになっています。加藤先生は、今週一週間、ここでみっちり検査を受けています。アメリカの病院では患者は決して甘やかされないようで、検査毎に、迷路のような長い廊下を歩いて移動しているようです。車椅子で楽々移動するのかと思っていましたが、よほどの事が無い限り、途中の椅子やカウチ(ソファー)で休憩しながらも、自力で移動だそうです。そういえばアメリカの病院は、やけに入院期間が短いと聞いています。人間の直る力への信頼でしょうか。加藤先生は、今のところ一つ一つ着実に、検査と説明会のメニューをこなしておられます。水曜日(24日)は、心臓の検査があり、心臓の働き/強さを測定するため、かなりハードな運動をこなされたようです。そうしたなかでも、移植によって元気になれるという希望と確信によって、力強く検査を受けておられます。木曜日(25日)は骨の検査、金曜日(26日)は手術担当医との面接です。
以上、近況でした。
河野克也
■2002/07/24 (水) 近況に追加。腫瘍は一つ(MRIの検査結果) ダラスの河野克也牧師より、21日の検査ついての結果に関する追加情報です。
月曜(21日)に行ったMRIの検査結果がでましたが、それによると、腫瘍はどうやら一つだけのようです。日本での検査では二つ(14ミリと20ミリ)となっていましたが、今回の検査では、最新鋭の器械でのMRIで、腫瘍が1個である事が確認されましたので、おそらく間違いはないと思います。これは朗報(グッドニュース)です。今日(22日)の検査では、腹部のソノグラムや胸部Xレイ(レントゲン)が行われました。検査内容の詳細はまた追って報告致しますが、明日(23日)は、おもに移植に関わる費用の説明、移植のオリエンテーション、移植支援グループの説明、看護コーディネーターとの打ち合わせなど、説明関係が詰まっています。木曜(24日)は、午前中は骨に関する検査、午後はソーシャルワーカー、さらに心臓専門医との面接が予定されています。金曜(25日)は午前中のみで、この日に移植手術担当医との面接があります。最終的な検査結果が全て出揃うのは来週末のようですが、すでに一つ良い知らせが入りましたので、御連絡致しました。
現在入居しているアパートについても今日(22日)説明があったようです。このアパートは「トゥワイス・ブレスド・ハウス」(二度祝福された(者の)家)という意味で、移植患者用のものです。1ベッドルームのアパートと2ベッドルームの二種類あり、通常は(アメリカ国内の場合)検査に1週間ほど来て、1ベッドルームの方に滞在し、移植直前および移植後の回復期間(3ヶ月)を2ベッドルームの方で過ごすパターンが多いようです。加藤先生の場合は、日本から家族でいらしているので、最初から2ベッドの方となりました。ちなみに2ベッドの方が新しくてきれいです。このアパートは、ある方からの寄付で建てられたようで、このへんにアメリカという国のすごさを感じます。
■2002/07/24 (水) 造影剤にアレルギー ダラスの河野克也牧師から、加藤望牧師の近況が送られてきました。検査が始まったようです。以下に送られてきた近況を記します。
21日の検査は一応順調に進んだようです。朝8時半から午後4時半までで、体力的にはきついようですが、一つ一つ丁寧に検査がなされているようです。CTスキャンも予定されていましたが、造影剤に対してアレルギーがあるという事で、その調整(薬?検査?)をしてから改めて行うことになり、それだけは日程がずれましたが、それ以外は予定通りということです。病院内のカフェテリアも、(当然アメリカ人の大好きなハンバーガーなどもありますが)さすがに健康的なメニューも充実しているようで、加藤先生も「なかなかおいしかった」と喜んでいました。
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加藤望牧師のお子さん達は、月曜(21日)は、新垣牧師の上のお子さん二人と一緒に、新垣先生が近くのモールに連れて行って下さり、羽を伸したようです。火曜(22日)は、二人を教会員のお宅での家庭集会にお連れし、集会中新垣家の子供二人と一緒に時間を過ごしました。久美子先生は疲労回復中。かなり元気になられた様子です。
また御連絡します。
■2002/07/22 (月) 日曜日の礼拝 ダラスの河野克也牧師より、加藤望牧師の日曜日の様子が伝えられてきたので掲載します。
今日(21日)は、私達夫婦の出席するジャパニーズ・チャペルに加藤先生御一家をお連れしました。みのりちゃんとはじめくんも、朝はアメリカ人の(英語部の)教会学校に出席しましたが、大きなアメリカ人の子供に囲まれて多少緊張したようです。はじめくんは、ジャパニーズ・チャペルの男の子たちと一緒になって、楽しそうに遊んでいました。加藤先生は調子が良さそうでしたが、久美子先生の方がかなりお疲れでした。今までの疲れが出たのでしょう。どうぞお祈り下さい。
*注写真も送られてきましたが、それはGalleryのほうに掲載します。
■2002/07/21 (日) 良い水の確保が問題 ダラスの河野克也牧師から加藤望牧師の近況が送られてきましたので掲載します。
こちらは現在、夏時間ですので、日本の時間より14時間遅れます。昼夜を逆転させた上にさらに2時間引いた時間です。夏時間は4月の最初の日曜日から10月の最後の土曜日までです。10月の最後の日曜から、冬時間(通常の時間)に戻ります。その時には時差が15時間に増えますが、まだ当分は夏時間なので14時間で考えていて下されば良いと思います。
さて、今後のことについて。とりあえず18、19日と必要なものの買い物にお連れしましたので、なんとか落ち着けるようになったのではないかと思いますが、これからのことを考えると、いくつか必要なものが出てくると思います。
(1)運転免許証の書き換え:カリフォルニア州の免許証をテキサス州のものに書き換える必要がありますが、テストを受けなければならないと聞いています。おそらく加藤先生はそれは無理でしょうから、久美子先生だけ免許証を書き換えることになると思います。ただし、長期滞在者がテキサスの免許証に書き換える義務「30日以内に」となっていますので、検査結果を待ってからでも十分間に合います。
(2)車の購入/リース:買い物に行くにも何をするにも、こちらは日本のように公共の交通機関が発達していないので、やはり車が必需品です。中古車を買うかリースをするか、早いうちに話し合う必要がありそうです。
(3)水の確保:加藤先生の場合、肝臓の病気で解毒機能が著しく低下しているために、常に安全な水を確保する必要があるということですが、ダラスの水も加藤先生の肝臓にはかなり負担になるでしょう。今のところはスーパーで売っているボトル入りの水を買っていますが、長期間になることから、浄水器を買うか水を配達してくれる業者に頼むか、何か考える必要があると思います。解毒の必要をできるだけ減らすことを考えれば、無農薬、低農薬の食品を選ぶことになるでしょう。まあ、こちらはその点では結構環境は整っているでしょう。検査結果が出るまでは、なるべく良質のボトル入りの水を選ぶかたちで済ませることになると思います。
思い付くままにいろいろ書きました。来週一週間が検査、その後一週間で結果が出て、移植について最終決定がなされます。この2週間は大きな意味を持つようです。
■2002/07/20 (土) ナンシーさんと面会 ダラスにいる河野克也牧師より、加藤望先生の様子が伝えられてきましたので
いかにお知らせします。
加藤先生の様子、アップデートします。
今日(19日)午後三時に、インターナショナル・サービスのナンシーさんと会い、検査のスケジュールを頂きました。22日(月)から26日(金)まで、月曜から木曜までは午前8時半から午後三時過ぎ(4時あるいは5時頃)まで、金曜は午前中のみ、とにかくびっしりとスケジュールが埋まっていました。
それこそ頭の先から足の先までかと思う位、様々な角度から検査をするようです。検査内容はまた追って御連絡しますが、とにかく大変な一週間になりそうです。その検査の結果が出揃うのに一週間かかり、それから移植チームのメンバー全員で検査結果を踏まえて討議して、肝臓移植の候補(キャンディデット)となるかどうかが決定されるということでした。何よりも今は、検査が無事終了すること、検査期間中の加藤先生の体力が支えられるよう、また正式に移植候補者として登録されるように祈るばかりです。正式に登録されれば、あとは肝臓提供者があらわれるまで待機することになります。
ところで、上野先生(ベイラー大学メディカルセンター移植外科に勤務なさっている日本人医師)すぐに早速メールを入れたところ、三時のナンシーさんとの打ち合わせの初めに顔を出して下さいました。30代前半のような感じで、若いドクターでした。ちょうど三時から手術が始まっているということで、簡単な挨拶をしただけでしたが、会うことが出来て心強かったです。
ちなみに 上野先生のホームページは http://www.dallastsushin.com です。
■2002/07/19 (金) 無事到着しました。 加藤望牧師が無事にダラスに着いたと、現地に留学中の河野克也牧師から連絡があり、到着の様子が伝えられてきました。いかにそれを記します。
加藤先生と御家族は、本日予定通り、無事到着しました。
到着直後は長旅でお疲れの様子でしたが、ひと休みして落ち着かれたようです。
到着は時間通りでした。病院からの迎えの車で空港からベイラー大学病院へ直行し、まずインターナショナル・サービスのオフィスを訪れ、スタッフの方々に暖かく歓迎して頂いた後、滞在する移植患者用のアパートに入居しました。2ベッドルーム、1バスルームのアパートですが、数年前に建築されたアパートで清潔な感じでした。アパートにお皿からナイフやフォークまで揃っていましたので、生活開始も比較的スムーズに行くと思います。
そのあとお昼はマクドナルドのテイクアウトをアパートで食べ、午後には久美子先生と息子さんを買い物(食料品等)にお連れしました。その間加藤先生は体を休め、娘さんは時差ボケ調整をしました。夕方は、同じ移植患者用アパートのコミュニーティー・ディナーで、状況の同じ患者や家族が食事を共にするということでした。このあたりが、やはりアメリカの病院の行き届いた(進んでいる)点だと思います。アパートと病院の間は、定期的にシャトルバスが出ているということで、このあたりもさすがにきちんとしています。確か明日(19日金曜)には加藤先生用の車椅子も用意して下さると聞きました。
さて、加藤先生の予定ですが、明日午後3時に病院でインターナショナルサービスのチーフのナンシー・エスカミーヤさんと面談し、今後の治療や検査の予定が知らされることになっているようで、その時点でこれからの治療の予定などが話し合われるそうです。
検査そのものは22日(月曜日)からと聞いています。というわけで、金曜日、土曜日は比較的ゆっくり過ごせるようです。日曜には加藤先生御家族を、私たちの出席するダラス第一バプテスト教会ジャパニーズチャペルにお連れする予定です。子供達の教会学校が非常に充実しているので、二人も楽しめたらと思います。チャペルの牧師である新垣先生には、長女(12歳)、長男(10歳)、次男(7歳)と3人のお子さんがいらっしゃるので、友だちになって一緒に遊べると思います。
遅くなりましたが、とりあえず今日一日の様子をお知らせ致しました。
■2002/07/18 (木) アメリカに向けて出発 本日、12時、加藤望牧師はAmerican航空176便でダラスに向かい出発しました。
ご本人が今は飛行機の中ですので、ご本人に代わって、お見送りに行ったメンバーから、出発の様子をご報告します。
朝7時半、吉祥寺から成田に向けリムジンバスで出発。2時間後に成田に到着。車中では体に負担がかからないようにシートを倒していました。空港に着くと、疲れた様子で、お願いしてあった車椅子に乗り移動。チェックインを済ませた後、10時半より、予定してあった記者会見をおこないました。
子供達の「お父さんとサッカーがしたいです。」「おとうさんと楽しく過ごしたいです。」というコメントの後、加藤牧師が支援くださった方へのお礼の後、記者の質問の答える形で、これまでの経緯や、病状をしっかり話されました。
特に、記者からの厚生省に何かご意見がありますかと言う問いに対して、「日本の優秀な医療機器が、海外で移植のためにつかわれているのに、日本国内出、移植を必要としている人につかわれていないと言うのは皮肉ですね。」という言葉に、記者達がうなずいていたのが印象的でした。
またご本人のコメントとして「命のバトンを受けて、元気に帰国し、神と人に仕える使命を全うしたく願っております。」という言葉が伝えられています。
ともかく、忙しい出立で、疲れた様子でしたので、とにかく無事にまもられ、疲れもできるだけ少なく到着できるよう祈るばかりです。
ちなみに取材にきた報道陣は
毎日新聞、朝日新聞、共同通信、時事通信、テレビ朝日、千葉テレビの6社でした。
(記 濱その枝)
更新記録
●2003年12月10日:新規公開